自ら踏んづけたのと、
他人に踏んづけられたのでは
諦めも大きく違いますよね。
中原中也の詞的に言うと、
〝曲っちまった悲しみに〟。
今後、メガネフレームは
記憶合金にすべきですかね。

『新聞を床に広げて読んでいるところに来客を知らせるピンポンが。メガネを外して慌てて立ち上がったら、床に置いたばかりのメガネを踏んづけた』メガネ踏んじゃった・68歳