特別対談・沢田研二(前編) 佐藤利明×北沢夏音

「ジュリー」と呼ばれるスーパースター・沢田研二は1967年のデビュー以来、敬愛するローリング・ストーンズのように常に転がり続け、ノスタルジー列車に決して乗車することなく、75歳を迎えた今も歌い手として“現在進行形”にある。これまでの道程すべてがもはや伝説なのだ。

その55年以上に及ぶ長い歴史をほぼリアルタイムで体験し、いちリスナーとして親しみ、嘆き、喜び、本人に話を訊く機会にも巡りあえた二人の書き手、佐藤利明(1963年生まれ)と北沢夏音(1962年生まれ)。ファンとしてのピュアな視点を含ませながら、とめどなく溢れ出る“ジュリー考”を交わす。

あの日、SNSでは「#ジュリー」が飛び交っていた。──佐藤利明

2023年6月25日、75歳のジュリー伝説。

佐藤沢田研二という人は、僕や夏音さんが物心ついた頃からテレビというメディアの中にいた人気者の代表格でした。スーパースター。そこから半世紀以上、僕らが還暦の世代になっても、「沢田研二はジュリーのまま」今日もそこにいて歌ってくれている。

北沢それは奇跡的なことです。しかも今年6月の75歳の誕生日に開催した、さいたまスーパーアリーナ公演も19,000枚の前売チケットが完売。僕、行ってきたんですけど、一番てっぺんまでぎっしりお客さん。2018年に同じ会場でね、9,000人って聞いたけど7,000人しかいない、これはやれないって当日キャンセルして非難囂々になった。そのリベンジを見事に果たした。

佐藤沢田さんって常にそうだったんですが、やりっ放しはなくて、落とし前をちゃんとつける人なんですね。スキャンダルがあっても何があっても、必ずそれ以上の結果を生み出す。ドタキャン騒ぎの時は「沢田研二のわがまま」って言われ、普通はあんな騒ぎになったらそこでアーティストは終わる。でも、沢田さんはそこからまた立ち上がって、それ以上の結果を出してしまう。

6月25日、さいたまスーパーアリーナで開催された『沢田研二 LIVE 2022-2023「まだまだ一生懸命」ツアーファイナル バースデーライブ!』。ステージは「シーサイド・バウンド」を幕開けに、前半(第1部)はザ・タイガースのヒットナンバーを7曲畳みかけた。

ザ・タイガース時代の沢田研二のイメージイラスト
イラスト/いともこ

北沢トッポ以外のタイガースのオリジナルメンバー、ピーとタローとサリーが揃っていて(シローは他界)。それはもう、お客さんも盛り上がるよね。リアルタイムでタイガースに熱狂した当時ティーンエイジャーだった人たちが、全国から駆けつけていたから。

佐藤しかもあの日は沢田研二がファンと共に歩んできた、日本の音楽ヒストリーの再現でもあったんです。タイガースは1967年にデビュー。そこからずっとファンの人にとっての50数年という時間を、今の75歳の沢田研二が共有してくれる。これは凄いこと。60年代、70年代、80年代のどこから入っていても、ファンが過ごしてきた時間と沢田さん自身の時間がリンクする。心のコール&レスポンスがある。

北沢時を経てきたけど、みんな僕の歌を聴いてくれてありがとうっていうその気持ち……だからあの日も 「ありがとうの日」だった。お客さんもジュリーの誕生日を祝う気持ちで来てるし。今は世情的にも厳しい時代だし、日常に帰ればそれぞれの現実が待ってるけど、ここでジュリーと一緒に「みんな頑張ったね」っていう日になってた。幸せな波動のようなものを感じました。

ザ・タイガースによる第1部のあと、第2部は90年代のジュリーを代表するナンバー「そのキスが欲しい」に始まり、「サムライ」「ダーリング」「勝手にしやがれ」といったヒットナンバーのオンパレード。さらに後半は、自身のレーベルを立ち上げてセルフプロデュースとなった時代の楽曲を絡めながら、昨年秋の主演映画『土を喰らう十二ヶ月』の主題歌「いつか君は」でステージを締めくくった。

ジュリーがメインカルチャーだった時代を体験できた──北沢夏音

言葉にならない衝撃を受けた初ジュリー体験

佐藤僕と夏音さんは同じ世代ですけど、最初の沢田研二体験っていつでした?

北沢僕がはっきり沢田研二っていう人を意識したのは1973年の「危険なふたり」(作詞:安井和美/作曲:加瀬邦彦)。NHK紅白歌合戦の時に白い衣装でジャケットの下は裸。真っ赤な長いマフラーを振り回すアクションをして、当時小学生の僕はもう目が点になるというか(笑)。男とか女とか性別を超越した、とんでもないものを浴びたっていうのかな。そんな強烈な体験として残ってます。

佐藤その頃は僕も同じ小学生だからアイドルに夢中で、「好きなのは桜田淳子ちゃん」って言ってたけど、ジュリーの「危険なふたり」に物凄い色気を感じ取ったのは確か。“妖艶”っていう言葉の意味すら分からなかったけど(笑)。

北沢当然、小学生の僕らは「この人になりたい!」って思ってしまった(笑)。だから最初に憧れた大人がジュリー。でも周りにいる大人とは全然違う。かといってお兄さんとかそんな身近な存在でもない。人っていうより、何か別の、言葉にできない存在。利明さんのジュリー初体験はいつでした?

佐藤最初は小学2年生の時で「君をのせて」(作詞:岩谷時子/作曲:宮川泰)。天地真理が好きで映画『虹をわたって』(1972年・松竹)を観に行ったんです。その中でジュリーがヨットの青年役で出てきて、ギターを持って歌うシーンがあって。「この曲いいな」って純粋に思いました。

1971年1月にザ・タイガースが解散し、2月には沢田研二と岸部修三、元ザ・テンプターズの萩原健一、大口広司、元ザ・スパイダースの井上堯之、大野克夫の6人で新たなバンド、PYGを結成。「君をのせて」はPYG活動時にリリースされた、ソロシンガーとしての沢田研二のファースト・シングルであった。