1975年、ジュリーの黄金時代がやって来た。
佐藤ずっと後になって分かったことなんですが、ジュリーをどのように売っていくかっていう、所属事務所だった渡辺プロダクションの打ち出し方がここで見えるんです。「君をのせて」(作詞:岩谷時子/作曲:宮川泰)は、時代や事務所を牽引してきた作家たちに沢田研二を託す形で。でも何かを変えるヒットにはならなかった。そこで次のシングル「許されない愛」(作詞:山上路夫/作曲:加瀬邦彦)では、加瀬邦彦をプロデューサーに迎えたことが転機となりました。
北沢加瀬さんはワイルドワンズで、タイガースの兄貴分みたいな存在。ずっとジュリーの音楽監督的な立場になって支え続けた人。やがて作詞に阿久悠、作曲に大野克夫を迎える時期が来て、そこでジュリーの真の黄金時代が築き上げられていく。それ以前にもヒット曲はあるけど、大ヒットを連発してレコード大賞獲ってみたいな時期が1970年代中盤〜後半にやって来る。その頃のジュリーは本当に「一等賞」に拘っていて、『ザ・ベストテン』でもその言葉をよく使ってました。
佐藤阿久さんとの最初の仕事は、前回のコラムでも触れた1975年の「時の過ぎゆくままに」(主演したテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』の主題歌。演出:久世光彦/作詞:阿久悠/作曲:大野克夫)。この曲が映し出す退廃と背徳の美しさに、女性も男性も子供たちまでもがジュリーがまとう妖しい虚構の世界に魅了された。あの時、お日様の下じゃ体験することができない、学校や先生じゃ教えてくれない、デカダンスの世界に初めて触れたんです。
北沢不幸の甘美さっていうのかな。不幸を不幸として受け止めちゃうと辛くなるし、救いや逃げ場がなくなる。でも「堕ちていくことって実は甘美なものなんだよ」って、久世さんや阿久さんが教えてくれました。
誰もが納得したレコード大賞「勝手にしやがれ」
佐藤で、興味深いのは翌年のシングルでは、大成功した「時の過ぎゆくままに」の堕ちていく世界観を一度やめて立ち上がっていく。それで生まれたのが、やせ我慢するハードボイルド感覚を詞にのせた「立ちどまるな ふりむくな」(作詞:阿久悠/作曲:大野克夫)。
北沢大好きな曲です、ヒットしなかったけど最高に好き。ここから阿久さんは「男のやせ我慢」っていうのをジュリーの世界観の柱に置いていく。多感な思春期を迎えていた僕は相当影響受けちゃって。10代の恋愛観にハードボイルドが投げ込まれたんだから(笑)。
佐藤僕ら少年にとってはこれが戒めの曲でした(笑)。そういった「男のやせ我慢」の原点ってすべてハンフリー・ボガート(愛称ボギー)なんです。映画『カサブランカ』(1941年)ではイングリッド・バーグマンと再燃するのを堪えて、相手の幸せのために自分を諦める。これがやせ我慢だと。阿久さんとの5年間はジュリーが次のフェーズに突入したという意味でも重要な時期。それをみんなが認識したのが1977年のレコード大賞を受賞した「勝手にしやがれ」(作詞:阿久悠/作曲:大野克夫)じゃないですか。
北沢それも本当に凄いなって思うんです。最高の作品がその年を代表するヒット曲になった。納得できない政治的な駆け引きで賞レースが行われるのが芸能界なんだけど、この時は奇跡的に賞も獲った。誰もが納得した。そして次は阿久悠時代のジュリーの最高傑作って言ってもいい「憎みきれないろくでなし」(作詞:阿久悠/作曲:大野克夫)。
佐藤この曲はレイモンド・チャンドラーの小説世界から影響を受けたものですけど、自分でハードボイルドを奨励しときながら、「キザだよね」って一回自重する。
北沢「憎みきれないろくでなし」っていうフレーズをひねり出す阿久さんも凄いけど、ジュリーがやると説得力が増すという。アイドルやスターは基本的にモテるっていう像を持ってるわけだけど、それだけじゃダメなんだよって。もう少しそこに入り切らない部分を持てる・持てないかで差が出て、そんな剰余を溢れさせていたのは、やっぱり当時はジュリーしかいなかった。
佐藤沢田さんが持ってる異次元の魅力、マルチバースの入口みたいなのがあって、そこから広がる世界の壮大さとか、いろんな感情や感覚だったり、そういうものを一言で表すと“官能美”なんですよ。様式美じゃない。フェロモンなんです。板東玉三郎さんのように様式美を突き詰めた「この世のものならざる美しさ」があるとすれば、1970年代のジュリーの場合は、あの人しか醸し出せない官能美だった。
作詞:阿久悠/作曲:大野克夫のコンビが編んだヒット曲は、その後1978年の「サムライ」「ダーリング」「ヤマトより愛をこめて」「LOVE(抱きしめたい)」、1979年の「カサブランカ・ダンディ」「OH! ギャル」まで続いていく。まさにジュリーの黄金時代だ。対談の後編ではジュリーがさらなる進化を遂げる1980年代から始めよう。(後編に続く)