また逢う日まで
〜阿久悠が切り拓いた歌謡曲の時代①
また逢う日まで 〜阿久悠が切り拓いた歌謡曲の時代①
佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)
歌謡曲に新しい「別れ」の情景をもたらした歌
阿久悠にとって「作詞家」として最初の栄誉となったのが、1971(昭和46)年3月5日にリリースされた尾崎紀世彦の「また逢う日まで」(作曲:筒美京平)だ。
この曲の登場は衝撃的だった。トム・ジョーンズを思わせるパワフルな歌唱、そしてエルヴィス・プレスリーがラスベガスのショーで歌った時のような容貌。尾崎紀世彦の圧倒的なパフォーマンスは、それまでの日本の男性歌手のイメージを180度変えてしまうほどだった。
ブラスを利かせたキャッチーなイントロ。パンチのあるリズム・セクション。パワフルかつ伸びやかな歌声。歌番組に登場するだけで、まるでラスベガスのディナーショーのような雰囲気となった。「KIEYO(キーヨ)」の愛称で親しまれた尾崎のステージングも新しかったが、阿久悠の歌詞もまた斬新だった。
男と女の「別れ」をテーマにした曲だが、阿久悠はそれまでの歌謡曲における「別れ」のシチュエーションを大きく変えたのである。
日本の流行歌、歌謡曲には「別れの歌」はたくさんあるが、そのシチュエーションは、男か女、どちらか一人が去っていき、後に残された一人が未練を感じ、後悔と悲しみにくれる。というものが大半だった。
ところが阿久悠は、もっと違うシーンはないかと映画のラストシーンをイメージするかのように考えた。それが「納得ずくで二人が同時に出ていく」という情景だった。
しかも歌い手は、尾崎紀世彦である。尾崎のイメージは欧米的であり、どちらかというとヨーロッパ的でもある。二人が同時に別れ去って行く場所は、日本ではなくヨーロッパ的。日本家屋ではなく、パリの裏町にあるような生活の匂いがするマンションだった。
互いに傷つくから、別れの理由は明かさないまま、二人でドアを締めて、名前を消して……というシチュエーションをイメージして歌詞にしたのである。この新しい「別れ」のあり方は、1970年代という新しい時代の扉をノックして、人々に新鮮な感覚をもたらした。
「また逢う日まで」は、1971年12月31日、第13回日本レコード大賞での大賞を受賞、同時に第2回日本歌謡大賞の大賞をダブル受賞した。阿久悠にしてみれば、本音を言えば作詞賞の方が欲しかったので「いささか憮然としていたが、あとで当日のVTRを見ると、Vサインをしていたから、やはりうれしかったのだろう」と『愛すべき名歌 私的歌謡曲史』(1999年/岩波書店)で回想している。
数奇な運命をたどった歌「また逢う日まで」
筒美京平による「また逢う日まで」のメロディーは、実はそれまでに二度にわたってリメイクをされていた。最初は1969(昭和44)年、家電メーカーのCMソングとして作曲され、やなせたかしが歌詞をつけ、「若いってすばらしい」のヒットで知られる槙みちるが歌った。しかしスポンサーの意向で不採用となった。
この楽曲に魅力を感じた音楽出版社・日音の村上司は、この頃「白いサンゴ礁」がヒットしていたGSグループ、ズー・ニー・ヴーの新曲に採用することにした。そこで「白いサンゴ礁」を作詞した阿久悠が、彼らのために「ひとりの悲しみ」として作詞を手掛けた。
ここで阿久悠は「70年安保で挫折した若者はどうなる?」と考えた。安保反対を訴えていた若者たちが、阻止することができずに挫折して、きっと彼らは国会議事堂の見える東京にいることが耐えられないのではないか? 安保闘争で挫折した若者の孤独をテーマに、1970年2月10日「ひとりの悲しみ」がリリースされた。
この年の11月22日に公開された日活映画『野良猫ロック マシン・アニマル』(監督/長谷部安春)にズー・ニー・ヴーが出演して「ひとりの悲しみ」をリード・ヴォーカルの町田義人が歌うシーンがある。阿久悠が描いた「青年の挫折と心の痛み」が見事に表現されているが、歌はヒットしなかった。
「挫折を味わった人間に、挫折というもの持ち出すことを自体がまちがいではないか?」そこで阿久悠は「若者たちが本当に求めているものは何か? それを考えてみるべきだった」と反省したという。
それでも日音の村上司は、筒美京平のメロディに限りない魅力を感じて、その頃ナイトクラブで歌っていた尾崎紀世彦に「ひとりの悲しみ」をテスト録音させた。尾崎の伸びやかな歌声で曲のイメージが大きく変わり、村上は阿久悠に改めて、尾崎紀世彦のために新しく作詞してほしいと依頼した。
こうして「70年安保で挫折した若者の孤独の歌」が「ヨーロッパ的な新しい別れの歌」に生まれ変わった。この二曲は全く同じメロディでありながら、全く異なる曲である。「ひとりの悲しみ」は1960年代の若者像であり、「また逢う日まで」は1970年代の若者の新しい生き方を象徴する曲でもあった。
「なぜ詞を変えたか。それは時代性である。なぜ売れたか。これもまた、時代性なのである」
阿久悠が『作詞入門』(2009年/岩波書店)で記しているように、この「また逢う日まで」の登場は、1970年代の歌謡曲そのものを大きく変えていくこととなる。ここから「作詞家・阿久悠」の時代が本格的に始まったのだ。