歌い続けたい歌「街の灯り」
歌い続けたい歌
「街の灯り」
浜田真理子(シンガーソングライター・ピアノ弾き語り)
「街の灯り」に再会して
小泉今日子さんと一緒にもう15年も続けている音楽舞台『マイ・ラスト・ソング』。同エッセイを書いた演出家の久世光彦さんと阿久悠さんとの関係性や、久世ドラマについて描くために「街の灯り」が選曲されることが多い。私自身もこの曲が大好きで、またお客様からもリクエストの多い人気曲だ。
この曲は1973年6月に堺正章さんがリリース。久世さんが手がけたホームドラマ『時間ですよ』で挿入歌として使われた。その年の紅白歌合戦でも歌われ、レコード大賞作曲賞を受賞したそうだ。リリース当時、私は9歳。『時間ですよ』は見ていたはずなのだが、この歌についての記憶はおぼろだ。子供の頃に口ずさんだ覚えはない気がする。
再びこの歌に出会ったのは、ずいぶん大人になってからだ。1990年代の半ば、働いていた古本屋さんで見つけた「チャカと昆虫採集」という不思議な名前のユニットによる「うたの引力実験室」(1991年リリース)というアルバムの中に収録されていたのだった。
何気なくそのCDを手に取った時、「チャカと昆虫採集」と「うたの引力実験室」のどちらがアーティスト名で、どちらがアルバムタイトルなのかも分からないほどだったが、収録されている曲がどれも、派手ではないがうなるような名曲揃い、そして好きな歌ばかりだった。ずいぶん経ってからいろいろなご縁の巡り合わせでジャズライブにも伺うようになったが、チャカさんは和洋問わず隠れた名曲を探し出す名探偵のような歌手なのだ。
「街の灯り」を聴いた時、胸が暖かくなって旧友に再会したような気持ちになった。口ずさんだ覚えはないといったが、なぜだかメロディも歌詞までも体に染み込んでいて歌えてしまう歌謡曲の鑑のような曲である。さらに大人になってからは、子供の頃おそらくはよく理解できていなかった歌詞があらためて心の深いところにじわじわくるのだった。
胸が沈むこともなく、夜の海なんて見たこともない9歳の子供に良さが分かるわけもなかったと今では思う。大人にならないと分からない歌詞なのだ。再会をしてからは長く歌い続けている。こんなに繰り返し歌っているのにメロディにも歌詞にも飽きることがないのは名曲の証なのだろう。暗い海は時に冬の海になったり、戦時下の外国の海になったり、東日本大震災のあとの東北の海になったり、歌うたびに違う風景が思い浮かぶ。灯りもいろんな街でぼんやり光る。
「街の灯り」に遊ぶ
どうしてそうすることになったのか今となってはよく思い出せないが、間奏の部分に「Mr. Lonely」を挟み込むことを思いついた。何か別な曲を入れたいと思ったのはもともとメドレーが好きでよくやっていたからだが、当時よく聴いていたジョニ・ミッチェルの「Chinese Cafe」に出てくる「Unchained Melody」みたいなことがやってみたかったということもある。
耳元で低く歌われる好きな歌は何がいいだろう。寂しげな歌がいいなあ。寂しいといえばロンリー、ロンリーと言えばミスターロンリー。そんな連想だったのかしら。あらためて書くと安易ですね。異国の地で、兵士が思い浮かべた街の灯りはどんなだっただろう。
初めて歌ってみたのは、地元・松江でのコンサート。2004年12月のことだった。その前日は吹雪で開催が危ぶまれたが当日は嘘みたいに晴れて無事にできたコンサートだった。
こんなに寒い日なら、初めて聞くお客様にも「くもる窓」という言葉に実感がわくだろうと思った。くもったガラス窓に字を書いたことのない人っていないよね。案の定とても好評で、懐かしいとか、久しぶりにあの歌を聴いてよかったという人が多かった。「ジェットストリームの曲だよね」という人もあった。歌との再会の喜びはみんな同じなのだな。
そのライブ音源は未発表だったのだが、阿久悠さんの作品を集めた『続・人間 万葉歌』というボックスセットの中に入れていただけることになって、日の目を見ることになった。その時解説を書かれていたのがライターの北沢夏音さんだった。この度この『オトナの歌謡曲』で北沢さんと再びご一緒できるのも不思議なご縁。
MariMariというユニットを組んで最近のライブやツアーでご一緒している沖縄県宮古島出身のMarinoさんともよく演奏している。間奏の部分をこれまでは一人で歌ったりピアノで弾いたりしていたが、Marinoさんと出会ってからは、テナーサックスを吹いてもらっている。インストで聞くと余計にジェットストリーム感が出る。ジェットストリームのストリングスも良かったが、朗々と鳴るサックスもいい。どこか知らない夜の海や街の灯りを求めて旅をしたくなる。