馬飼野元宏(まかいの・もとひろ)音楽ライター
キャンディーズ誕生前夜「スクールメイツ」時代の活動
昭和の歌謡界におけるガール・グループは、大別すると2種類しかない。1つはデュオ即ち2人組。もう1つは3人以上、である。
前者においてはザ・ピーナッツ、こまどり姉妹、ピンク・レディーといった大人気デュオが燦然とその名を歌謡史に刻むが、3人以上となると意外に成功例は少ない。
おニャン子クラブのような集団アイドルグループは成り立ちや育成プロセスが異なるので除くが、3人以上で名を知られたグループといえば、「黄色いさくらんぼ」のスリー・キャッツ、そのカヴァーでデビューしたゴールデンハーフ(こちらは5→4→3人と次第に減っていった)、そして最大の成功例がキャンディーズだ。
キャンディーズは伊藤蘭(ラン)、田中好子(スー)、藤村美樹(ミキ)の3人組。渡辺プロダクションが運営する東京音楽学院の生徒たちで結成されていた「スクールメイツ」の一員だった。伊藤と田中は中学生から同学院に通い始め、一年遅れて藤村が参加、ここで3人は出会う。
当初は人気スターのバックで踊るほか、独自のイベント「スクールメイツショー」などの仕事をこなしていた。また、1972年4月にテイチクからスクールメイツの一員として、ザ・ニューシーカーズの「愛するハーモニー」の日本語カヴァーをリリースしている。
時を同じくして、3人はNHKの音楽番組『歌謡グランドショー』のマスコットガール兼アシスタントに抜擢。同番組のプロデューサーに「食べてしまいたいほどかわいい女の子たち」をイメージして、「キャンディーズ」という絶妙のネーミングが付けられた。
また、この年の大晦日に3人はスクールメイツの一員としてNHK『紅白歌合戦』にも出演。オープニングのダンス、橋幸夫のバックで「子連れ狼」のコーラス、さらに「純潔」を歌う南沙織のバックで、3人がぬいぐるみのパンダと一緒に踊るパフォーマンスを披露した。翌73年4月からは、ゴールデンハーフに代わりTBS『8時だョ!全員集合』のアシスタントとしてレギュラー出演が始まる。
天地真理のスタッフ陣とナベプロ系GS残党の活躍
グループ名まで決まっていながら、レコードデビューの予定もなかったキャンディーズだが、東京音楽学院を訪れた渡辺音楽出版の松崎澄夫が彼女たちを目に留め、自ら会社に担当を申し出て、これによって歌手デビューが決定した。
この松崎澄夫こそがキャンディーズ成功の最初のキーマンであった。松崎は1960年代に轟健二の芸名で、グループサウンズのアウト・キャストでヴォーカルを務めており、その後ジ・アダムスを結成。解散後は裏方に転身し、渡辺音楽出版で音楽制作を手掛け、伊丹幸雄を世に送り出していた。
レコード会社はCBSソニーに決まったが、ソニー側のディレクターは中曽根皓二、渡辺音楽出版側は中島二千六と松崎が製作陣となった。中曽根=中島の組み合わせは、71年にデビューして瞬く間にトップアイドルの座を獲得した天地真理と同じ布陣。
1973年9月1日にリリースされたキャンディーズのデビュー曲「あなたに夢中」も、山上路夫(作詞)・森田公一(作曲)と、天地真理の絶頂期の「虹をわたって」「恋する夏の日」を生み出したコンビで、編曲の竜崎孝路も天地作品には欠かせないアレンジャーだった。
「あなたに夢中」には、ナベプロのプロダクションポリシーとでもいうべき思想が凝縮されている。
高度成長期の日本で明るい希望と未来を、エンターテインメントを通して体現し隆盛を極めていったのがナベプロであり、シンガーたちは歌を通してそういったピースフル&ハピネスな世界観を世に届けてきた。「あなたに夢中」も前向きでポジティヴなテーマが歌われている。
そして、松崎とはアウト・キャストの盟友だったキーボーディストの穂口雄右が、彼女たちのヴォーカル・トレーニングを行った。中島は「歌って踊って、ハーモニーも出せる」グループを目標としたが、ハーモニーの要素は間違いなくナベプロ中興の祖であるザ・ピーナッツの後継的存在を意識したもの。
穂口は当初、二拍三連も取れなかった3人に、リズム、正確なピッチ、テンション・コードとハーモニーの組み立てを徹底して教え込み、同時に3人の個性を把握。ランは時代を先取りしたリズム感と広い音域、スーはその音色と安定した歌唱力、ミキは読譜力があり絶対音感の持ち主のため、音楽面でのリーダーを任せた。
初期の停滞と次への一手が実を結ぶ
「あなたに夢中」は歌い出しで、ラン、ミキ、スーの順で声を重ねていき3声の美しいハーモニーを聴かせ、サビではスーのリード・ヴォーカルにランとミキが追っかけのフレーズを被せる考え抜いた構成で、東京音楽学院の講師だった西条満による振り付けも、後ろ向きの3人が一人ずつ振り返るという、独創性の高いものだった。
しかし、「あなたに夢中」はオリコン・チャート最高36位とそこそこの成績に終わった。露出や仕込みは完璧だったが、大きなヒットに至らなかった要因の1つに、この73年秋に世界を襲ったオイル・ショックによる激しいインフレと国内の政情不安もある…などと書くと大袈裟な後付けに思われるかもしれない。
だが、日本の高度成長期はここで終焉を迎え、同時にナベプロの根幹にあった「明るくポジティヴな日本の未来像」が、現実社会の前では絵空事になってしまったこともまた事実。
実際、ナベプロ思想の70年代型体現者であった天地真理は、73年夏をピークに人気は下降線を辿り、彼女の歌うハッピーな世界よりも、「神田川」などの四畳半フォークや、山口百恵「ひと夏の経験」、中条きよし「うそ」といった暗いムードの楽曲が大衆に許容され、チャートの上位を占めていく。
「あなたに夢中」が大多数に受け入れられなかったのは、そういった時代の空気の変化も1つの要因だったと思えるのだ。
キャンディーズはシングル第2作「そよ風のくちづけ」を74年1月に発表するが、これは前月にリリースされたファースト・アルバム『あなたに夢中/内気なキャンディーズ』に収録されていた「盗まれたくちづけ」の改題リメイク。
そして第3弾「危い土曜日」では作詞に安井かずみを起用し、際どい歌詞とファンキーなサウンドで路線変更を図るがこれも不発。だが、その後この曲はライブの盛り上がりに欠かせない定番曲に成長していく。
3声ハーモニーの仕込みといい、デビュー時点で何かしらの種を蒔いており、のちにそれが花開くのがキャンディーズ・プロジェクトの凄さであった。解散まで年ごとに人気・セールスが右肩上がりになっていったのは、こうした実験性の高さあってのこと。メンバーとスタッフの努力が最初に実を結ぶのは、5作目「年下の男の子」まで待つことになる。