1971年、天地真理のファースト・イヤー。

1971年、天地真理のファースト・イヤー。

佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)

少年たちを魅了した「隣のマリちゃん」

2023年10月15日。池袋ヒューマックス・シネマで開催された『真理ちゃん映画祭り2』は、470名のファンが集結。主演作『愛ってなんだろ』(1973年・松竹・廣瀬襄)上映前には、天地真理と相手役・森田健作が登壇。半世紀ぶりにスクリーンのカップルが揃って、当時の想い出を語った。

花束贈呈役として、タブレット純と僕も登壇。真理さんとは久しぶりの再会となった。あの頃と変わらぬ「真理ちゃんスマイル」で、朗らかに当時の思い出を語る姿に、胸が熱くなった……。

天地真理が「水色の恋」(作詞:田上えり/作曲:田上みどり)でデビューしたのは1971(昭和46)年10月1日のこと。テレビの歌番組で満面の笑みを浮かべ、優しく美しい声で歌う彼女に、当時小学2年生だった僕はたちまち魅了された。

天地真理のデビューシングル「水色の恋」。提供/鈴木啓之(以下すべて)

初めて天地真理をテレビで観たのは同年7月21日、TBSの『時間ですよ』だった。窓辺に座って白いギターを弾きながら「恋はみずいろ」を歌い、次のシーンにもその歌声が流れ、ドラマが展開していく。

ポール・モーリア楽団の演奏で、日本でも親しまれていた「恋はみずいろ」を爽やかに歌う「隣のマリちゃん」は、番組のコメディ・リリーフである堺正章演じる健ちゃんの憧れのマドンナ役として、番組のアイドル的存在となっていく。

イラスト/いともこ

天地真理にサムシング感じた森光子

天地真理。本名・斎藤真理は、1967(昭和42)年に国立音楽大学附属高等学校ピアノ科に進学、途中で声楽科へ転じる。当時は空前のフォーク・ブーム。ジョーン・バエズや森山良子に憧れてフォークに夢中となり、ヤマハ音楽振興会付属教室でヴォーカルを学び、プロ歌手を目指してレッスンを続ける日々を過ごす。

卒業後の1970(昭和45)年には渡辺プロダクションへの所属が決定。本格的なヴォーカルを学び、実力派だった彼女は、フォーク・シンガーとしてのデビューのチャンスを伺っていた。

その頃、TBSの人気ドラマ『時間ですよ』で、川口晶が演じていた「松の湯」の従業員役の後釜のオーディションを受ける。堺正章、悠木千帆(のちの樹木希林)と一緒に「トリオ・ザ・銭湯」の一員としてコメディ・リリーフの役どころ。西真澄とともに最終審査まで残るも、残念ながら不合格となる。

しかし、オーディションで天地真理にサムシングを感じた主演の森光子が、「彼女をどうしても残してほしい」と、プロデューサーで演出の久世光彦に懇願。ならばと、久世は急遽「隣のマリちゃん」役を作って、7月21日から出演することとなった。

高視聴率番組『時間ですよ』。そこに突如として現れた「天地真理」は、お茶の間にいた日本の少年たちを魅了した。「恋はみずいろ」を歌ったのは、まだデビュー前でオリジナル曲がなかったこともあり、久世光彦が天地真理のイメージで選曲した。

小柳ルミ子・南沙織・天地真理の「新・三人娘」

CBSソニーでは天地真理のレコード・デビューが着々と準備されていた。デビュー曲をどうするか? 天地真理には歌いたい曲があった。

第2回「ヤマハ作曲コンクール」(後の「ヤマハポピュラーソングコンテスト」)に出場した彼女は、藤田とし子が歌ったエントリー曲「小さな私」(作詞:田上えり/作曲:田上みどり)を気に入っていて、どうしても歌いたいとディレクターに提案。「白雪姫みたいな心」というフレーズに、ファンタジックなイメージを抱いてのセレクトだった。

やがて「小さな私」は「水色の恋」へとブラッシュアップされ、天地真理のデビュー曲に決定。「あなたの隣にいるソニーの白雪姫」のキャッチフレーズで、1971(昭和46)年10月1日、天地真理はレコードデビューを果たした。

『時間ですよ』の「隣のマリちゃん」は、こうして歌手・天地真理としてトップアイドルへの階段を登り始める。チャートでは12週連続10位以内にランクインして、最高3位を記録。

この年の4月25日に「わたしの城下町」(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃)でデビューした小柳ルミ子、6月1日に「17歳」(作詞:有馬美恵子/作曲:筒美京平)でデビューした南沙織とともに、天地真理は「新・三人娘」と呼ばれ、歌番組やステージで共演した。

いずれも話題になった「新・三人娘」のデビューシングル。後発デビューにも関わらず、天地真理の人気は急上昇。空前の真理ちゃんブームが巻き起こった。

半世紀経っても色褪せることはない

その頃『時間ですよ』では、堺正章がレコードリリースした番組初のオリジナル挿入歌「涙から明日へ」(作詞:小谷夏(久世光彦のペンネーム)/作曲:山下毅雄)をデュエット。

この歌の主人公は、失恋か何かで挫折したけれども、振り返らずに前に進んでいく。喪失を乗り越えて明日に向かって進む。このポジティブさに、久世光彦の「希望」を感じる。天地真理の明るく、包み込むような歌声にぴったりの曲だった。

この曲をフィーチャーした天地真理のファースト・アルバム『水色の恋/涙から明日へ』が、1971年12月1日にリリースされた。トワエモアの「虹と雪のバラード」、メリー・ホプキンの「悲しき天使」などのフォーク系のカヴァー中心だったが、中でも「涙から明日へ」が素晴らしかった。アルバムはヒットチャートのトップに輝き、年間アルバムチャートでも1位を記録した。

天地真理はアイドルの領域を超えた、優れたフォーク歌手でもあった。

彼女の登場は、それまでの女性アイドルの概念を大きく変えることとなった。3枚目の「ひとりじゃないの」(作詞:小谷夏/作曲:森田公一)からはフォークからポップス路線へとなり、デビューから11曲がベスト10入り、うち5曲が1位を記録。まさに空前絶後の人気が巻き起こっていく。天地真理の快進撃は、1970年代前半の歌謡界をリードした……。

その時の熱気が、冒頭で触れた2023年10月15日の『真理ちゃん映画まつり2』で蘇った。変わらぬスマイルの真理ちゃんに、かつてのファンたちが熱い眼差しと声援を送った。天地真理がファンとともに歩んできた半世紀を噛み締める一日となった。