特別対談・キャンディーズ(Part2) 佐藤利明×馬飼野元宏

特別対談・キャンディーズ(Part2) 佐藤利明×馬飼野元宏

Part 2

馬飼野元宏 × 佐藤利明

キャンディーズとピンク・レディー。ともに国民的な人気を集めながら、1970年代を瞬く間に疾走していったガールズ・グループである。

両者はしばしばライバルとして比較されることがあったが、キャンディーズは1973年9月から1978年4月まで、ピンク・レディーは1976年8月から1981年3月までと、活動期間が重なりあった時期は意外なほどに短い。

キャンディーズとピンク・レディーを熱く語り合う対談企画。
Part 1 に続く今回のPart 2では、キャンディーズがお茶の間の人気者として確実なものとした「春一番」以後からスタート。

イラスト/いともこ

吉田拓郎らの創造性を
掻き立てた存在。

馬飼野「春一番」が最高3位のヒットとなった後、3ヶ月後に10枚目のシングル「夏が来た!」がリリースされました(1976年5月31日発売/最高位5位)。この曲は渡辺プロの若手歌手であった青木美冴さんが歌うために穂口雄右さんが提供した楽曲でしたが、急遽キャンディーズが歌うことになった。

佐藤「春一番」のヒットを受けて「春の次は夏だろう」と、レコード会社が決めたのだと思うけど、作者の穂口さんにとっては不本意なことだった。そしてご自身の矜持から、キャンディーズの楽曲制作からは少し距離を置くことになった。続く11枚目のシングル「ハート泥棒」(作詞:林春生/作曲:すぎやまこういち/最高位17位)は同年9月1日に発売されましたが、その1週間前の8月25日にピンク・レディーの「ペッパー警部」が発売。デビュー曲ながら最高位4位を記録した。つまり“警部”が“泥棒”を追い越してしまった。もちろんその関係性は偶然だけど、歴史的な観点で見ると、きっとそこには引き寄せる何かがあったと思います。

ピンク・レディーのデビュー曲「ペッパー警部」がリリースされた1976年は、キャンディーズにとっても重要な年だった。

佐藤そして「哀愁のシンフォニー」(11月21日発売/最高位12位)。作詞のなかにし礼さんはザ・ピーナッツの「愛のフィナーレ」なども書いているけど、溌剌とした女の子のイメージとはちょっと違う、大人の会話を描いていく。そして作曲を担当した三木たかしさんは、60年代から70年代にかけてアイドル、ポップス、演歌まで自在に作れる歌謡曲の魅力を知り尽くした存在。この曲が発売された当時、僕は多感な中学1年生だったけど、夜中に一人で聴きたくなる曲でした。

馬飼野楽曲としてはドメスティックなメロディーですが、シングルのリリース順の流れで聴くとまったく違和感がない。この曲ってライブでかなり盛り上がります。「こっちを向いて~」 というところでファンが一斉に紙テープを投げるんです。

佐藤1976年末は、キャンディーズが「春一番」で『紅白歌合戦』に出場し、賞レースの新人賞はピンク・レディーがさらっていった。そのピンク・レディーが持つ絵空事路線が、キャンディーズのビジュアル的な要素にも影響を与えていったのかもしれないと思わせた曲が「やさしい悪魔」でした。

13枚目のシングル「やさしい悪魔」(1977年3月1日発売)。作詞・喜多條忠、作曲・吉田拓郎、編曲・馬飼野康二。これまでの清楚なイメージからガラリと印象を変えた露出の多い衣装は、渡辺プロの先輩であるアン・ルイスがデザインを手掛けた。最高位4位を記録。

佐藤最初に拓郎さんが書いてきた曲を松崎さんが却下した。そうしたら拓郎さんがおかんむりになってしまった。だけど、ちょうどその時に喜多條忠さんが「いい詞ができた」って歌詞をあげてきた。それで松崎さんが拓郎さんに連絡をしたら、「そんなにいい詞ならウチにおいでよ」ってことになり、ディレクターや喜多條さんみんなで拓郎さんのお宅に出向いたそうなんです。そしたら拓郎さんが「この詞だったら曲書けるよ」って、その場で書き始めて一晩で仕上げたという。

キャンディーズは、ミュージシャンやソングライターの制作意欲やイメージを掻き立てる存在だった。その一つが「やさしい悪魔」。

馬飼野こういう形での提供曲って、得てしてレコードの片面のみ、1曲だけ担当するケースが多いですが、B面の「あなたのイエスタデイ」も同じ作家陣が手掛けている。拓郎さん自身が「やさしい悪魔」は会心の一曲だったと自負されています。

佐藤本人たちは余りの難しさにレコーディングで苦労したそうだけど、拓郎さん自らが歌唱指導を施して。三声、二声、ユニゾンと細かく変遷するコーラスも含めて、レコードテイクは神がかり的な完成度ですよ。

馬飼野音楽面の成長という意味でもう一つ触れておきたいのは、8枚目のアルバムとなる『キャンディーズ 1 1/2~やさしい悪魔~』(1977年4月21日発売)。2枚組のA面にシングル曲をはじめとするオリジナル曲、B面にビートルズやジャニス・イアンなどの洋楽カバーが収められていて、C面にはメンバー3人がそれぞれ作詞作曲を手掛けたソロ・ナンバーが2曲ずつ収録。どれも素晴らしい仕上がりです。

自作曲にトライしたことで、アーティストとしてワンランク成長した『キャンディーズ 1 1/2~やさしい悪魔~』。D面は3人のサイン入り。

歌番組への出演と並行して、1976年10月からスタートしたバラエティ番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』に出演。伊東四朗や小松政夫とともにコントを繰り広げ、コメディエンヌとしての才能を広く知らしめていく。

佐藤キャンディーズがもう一つ突き抜けていたのが、テレビのバラエティ番組で見せるコントの才能。これが見事だった。コントが上手いっていうのは感覚なんですよ。もちろん『8時だョ!全員集合』でいかりや長介さんに厳しく指導されたり、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』で伊東四朗さんのように舞台で腕を磨いてきた人たちに鍛えられたところもあると思う。だけど、そんなベテランたちに囲まれながらも、アドリブもできてリアクションも取れて。ランちゃんなんかは手応えを感じたら、次にまたそれを自分なりに進化させる。そうすると作家が書いてないギャグも彼女たちから生まれてくる。

馬飼野ラジオのレギュラー番組も全部そうでしたよね。3人だけでそういうことをやっちゃう。文化放送の『GO!GO!キャンディーズ』なんて面白かったですよ。フレンドリーを通り越して、三枚目でしたから。自虐的なネタがバンバン飛び出てくる(笑)。でも、あけすけだけど下品じゃない。そこも彼女たちのキャラクターの魅力なんでしょうね。

ヒット曲が連発している最中の、
突然の解散宣言。

作詞・喜多條忠、作曲・佐瀬寿一、編曲・馬飼野康二による14枚目のシングル「暑中お見舞い申し上げます」(1977年6月21日発売)は、郵政省のCMソングにも起用され、最高位5位を記録した。

馬飼野作曲の佐瀬寿一さんは「およげ!たいやきくん」の作者です。この曲は伊藤蘭がセンターじゃないと絶対に成立しなかったんじゃないかと個人的には思います。合間に入る「ううっ、うーん」っていう呟きは、絶対ランちゃんのイメージで佐瀬さんと喜多條さんは書いたと思う(笑)。

佐藤ちなみにキャンディーズが「暑中お見舞い申し上げます」を出した同時期に、ピンク・レディーは「渚のシンドバッド」を発売。この「暑中お見舞い〜」がヒットしている最中の7月17日。日比谷野音のコンサートで「普通の女の子に戻りたい!」と、突然の解散宣言でファンを驚かせました。

「普通の女の子に戻りたい」キャンディーズのファンは、その想いを受け入れた。佐藤 利明

佐藤実はその年の春にはすでに決意を固めていた。「自分たちは一番良い時で辞めて、個々の人生を歩みたい」と、ここでアイドルが、しかも渡辺プロという王道の路線にいた彼女たちが、自我を持った。芸能界であれば、普通は握り潰されるものだけど、ここでキャンディーズ・チームっていうのができていて、音楽制作スタッフも事務所サイドも、彼女たちの意思がそこまで固いのであれば、そうさせてあげよう。誰もがそれを納得して応援しようと気持ちが入れ替わった。

馬飼野実はキャンディーズって、それまでに14枚のシングルを出しながらも、一度もチャート1位を獲ったことがなかったんですよね。

佐藤半年後の解散に向けて、「悲願のチャート1位にする」という目標が明確になった。そのためにスタッフもファンもすべてのエネルギーを注いで、彼女たち自身もその想いを受け止めていく。しかも解散宣言する前にレコーディングした15枚目のシングル「アン・ドゥ・トロワ」は、これがまた未来を予見したような曲だった。