特別対談・キャンディーズ(Part2) 佐藤利明×馬飼野元宏 P2

特別対談・キャンディーズ(Part2) 佐藤利明×馬飼野元宏 P2

Part 2

馬飼野元宏 × 佐藤利明

解散に向けて、
みんなの気持ちが一つになった。

15枚目のシングル「アン・ドゥ・トロワ」(1977年9月21日発売)。作詞・喜多條忠、作曲・吉田拓郎、編曲・馬飼野康二という「やさしい悪魔」の作家陣が手掛けた。解散発表後初のリリース曲であるが、楽曲の制作とレコーディングは解散発表前に行われている。最高位7位を記録。

佐藤「アン・ドゥ・トロワ」は解散宣言する前にレコーディングされているのに、解散を予見していたような曲でした。喜多條忠と吉田拓郎のコンビはやっぱり凄いなと思うのは、これはポップスでもフォークでもなく間違いなく歌謡曲なんだけど、シティポップみたいに外側に広がっていくんじゃなくて、内面の温かさみたいなことを描いた歌。「『やさしい悪魔』が自分の最高傑作だ」といったことを、拓郎さんは自分のラジオ番組で当時語っていたけど、この「アン・ドゥ・トロワ」はフランスっぽい大人のスローバラードでまったく違うアプローチを出してきた。

馬飼野アコーディオンなども使って、シャンソン風な雰囲気もありますよね。このタイプの曲は彼女たちのシングルにはなかったから、際立って聴こえたところもあるでしょうね。

「この曲でキャンディーズが最後なのか」当時の僕はそう思って耳を傾けた。馬飼野 元宏

佐藤これで僕らがキャンディーズを送り出してあげようと気持ちになった。いや、「あげよう」なんて中学生が思うのはおこがましい(笑)。「大好きなお姉さんが引っ越すことになって、もう会えなくなるけど、笑って送り出そう」なんて気持ちでしたよ。拓郎さん自身も『大いなる人』ってアルバムでカバーしていて、そのカバーもまたいい。最後に「さよならキャンディーズ」って歌ってて。拓郎さんは上から目線のクリエイターじゃなくて、「俺らファンと同じなんだ」っていう。あのフレーズ一つで好感度が自分の中でかなり上がりました。

16枚目のシングル「わな」(1977年12月5日発売)。作詞・島武実、作編曲・穂口雄右。ミキちゃんこと藤村美樹が初めてセンターを務めたこの曲は、最高位3位を記録。

佐藤解散まで4ヶ月に迫ったタイミングでリリースされた「わな」は、作曲に穂口雄右さんがカムバック。ちょっと不良っぽさもあって、サウンドも歌詞も成熟しているんですよね。翌年の1978年1月に『ザ・ベストテン』がスタートしましたが、第1回目の放送時の2位がキャンディーズの「わな」、そして1位が、ピンク・レディーが「UFO」だったんですよ。

馬飼野この曲ではミキちゃんがセンターを務めています。彼女はもともとコーラスは抜群でしたが、声がややハスキーで優しく歌えなかったため、センターになりにくかったという話がありますが、凄く魅力的な声ですよね。

佐藤解散から数十年後、田中好子さんに取材した際に直接伺いましたが、一度もセンターに立っていなかったミキちゃんのために、ランちゃんとスーちゃんで相談してスタッフに直談判したと。ミキちゃんの声って、キャンディーズのどの曲を聴いても楽曲の芯になっている。絶対音感を持っているミキちゃんがコーラスを受け持つことで、ランちゃんとスーちゃんが自由に歌える。「やさしい悪魔」あたりで、ミキちゃんの洋楽的なノリの良さが確立された感はありました。

馬飼野こうしてこれまでの楽曲を振り返ると、3人それぞれの声質もよくわかる。穂口さんが彼女たちを的確に評していますが、「ランちゃんは音域が広い。そして色気がある」。例えば「年下の男の子」の鼻にかかる感じとか、語尾の上がる感じですよね。あれはスーちゃんやミキちゃんにはないものだった。

佐藤スーちゃんの場合はひたむきな歌声と素直な音で、作り込んでない感じがいい。一生懸命に歌っている感じ。例えば「アン・ドゥ・トロワ」では、3人のコーラスの時にスーちゃんがメインのメロディを担当していて、彼女の声が通るんですよ。それが聴いていて気持ちいいんです。

馬飼野普通であれば、センターを外されたらショックで腐ってしまうと思うけど、最後までサイドで歌い通したところも凄いですよね。

イラスト/いともこ

ラストシングルと、
伝説の解散コンサート。

佐藤そして1978年2月25日に、いよいよ最後のシングル「微笑がえし」が発売された。

馬飼野この曲だけソニー側のディレクターとして酒井政利さんが担当することになりました。そして酒井さんが山口百恵さんらと仕事をしていた関係もあり、作詞に阿木燿子さんが起用されています。

佐藤酒井さんが阿木さんに注文したのは、タイトルやフレーズを織り込んで「今までの歌の集大成のような曲」にしてほしいということ。阿木さんのセンスの良さが表れていると思うのは、一緒に住んでいた二人が別れるのに、可笑しくって涙が出そうっていう。そのセンチメントと楽しさと春の空気が全部表現されているところ。

馬飼野この曲は、なんというかちょっと別格ですよね。

佐藤3人がセンターボーカルを担当する唯一の曲です。この曲をみんなで1位にしようと決めて、ファンも有線に電話したり、ラジオにリクエストの葉書を送ったりして。そしたら本当に1位を獲得して、彼女たちの花道をみんなで作り上げた。キャンディーズが、真の国民的アイドルになった瞬間でもあった。「キャンディーズって何?」と後世に語るとすれば、この「微笑がえし」にすべてが集約していくと思います。

そして、1978年4月4日。東京・後楽園球場にて、55,000人を動員した解散コンサート『ファイナルカーニバル』が開催された。

馬飼野僕がキャンディーズのコンサートを観たのは、この日が最初で最後でした。友達を誘って観に行きました。

佐藤コンサートの構成でいうと、少しずつ陽が沈んで暗くなっていく中で、洋楽カバーで始まりながらキャンディーズのヒット曲が出てくる感じが素晴らしかった。コール・アンド・レスポンスをみんなでやって、声を出し続けて達成感がある。そして一番最後に披露された「つばさ」。最後のシングルになりましたが、あの歌詞の中に解散の日のためのメッセージが織り込まれていた。それからコーダに「春一番」が流れてきて、それはそれはミュージカルの終幕のような見事なエンディングで。夢のような4時間でした。あの日は、最後の日を同じ空間で過ごすことができる喜びが、何よりも大きかったですよね。

馬飼野キャンディーズはデビュー曲から順に追っていくと、歌唱力やコーラスワーク、楽曲の洗練が手に取るように分かります。最後までメンバーチェンジもなく、アイドルがただの人形ではなく、自我を持ちそれを表明したことも、旧態依然たる芸能界に一石を投じたとも言えます。1970年代後半、日本歌謡における大きな変革期の象徴的存在だったと言えるでしょう。

佐藤キャンディーズは当時十代の僕らにとって、まさに「隣の女の子」「近所のお姉さん」のような身近な存在でした。彼女たちの曲を聴くと、多感な時期に感じていた様々なことが蘇ってきます。そして1976年の夏に「ペッパー警部」で登場したピンク・レディーは、まったく異次元の世界、恋だとか愛だとかではなく、まるで映画やテーマパークに行くような不思議な体験をもたらしてくれました。

二人で話し始めたら止まらなくなって、気がついたら6時間が経ってました(笑)。

(次回ピンク・レディー対談Part 1に続く)

企画・構成/中野充浩(ワイルドフラワーズ)、取材・文/宮内健、撮影/武政欽哉、レコード提供/鈴木啓之