センチメンタル・ダイナ〜笠置シヅ子が挑んだホットなブルース

センチメンタル・ダイナ〜笠置シヅ子が挑んだホットなブルース

佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)

ドラマ『ブギウギ』にも登場!

NHK連続ドラマ『ブギウギ』第7週「義理と恋とワテ」は、実際にあった笠置シヅ子の引き抜き騒動をモチーフにしたエピソード。

松竹楽劇団がモデルの梅丸楽劇団の旗揚げ公演『スヰング・アルバム』で、「ラッパと娘」(作詞作曲:服部良一)を歌って、一躍「スウィングの女王」となった福来スズ子(趣里)。その1年後、彼女にライバル会社の日宝(東宝がモデル)からの引き抜き騒動が巻き起こる。

そうした中、スズ子の声とパフォーマンスに心酔していた羽鳥善一(草彅剛)は、作詞家・藤村(宮本亜門)と「スウィングの女王」に相応しいジャズ・ブルースを作っていた。それが「センチメンタル・ダイナ」(作詞:野川香文/作曲:服部良一)である。

ドラマでは第7週の最後(2023年11月17日金曜)に、スズ子がステージで披露した。趣里のホットなスウィング感覚に、日本中の視聴者が釘付けとなり、SNSのタイムラインを賑わせた。

イラスト/いともこ

スウィングの女王のジャズ・ソング

「センチメンタル・ダイナ」は、1940(昭和15)年3月20日にコロムビアレコードから、笠置シヅ子の2枚目のレコードとしてリリースされた。

「ダイナ」といえば、戦前はジャズソングの定番、ジャズの代名詞だった。立教大学出身のディック・ミネのデビュー曲として1934(昭和9)年12月にテイチクからリリースされて大ヒット。創唱は同年5月にコロムビアからリリースされた中野忠晴とコロムビア・リズム・ボーイズだった。

その後、エノケンこと榎本健一が、サトウハチローの自由な訳詞による「エノケンのダイナ」を歌って大ヒット。「旦那、ちょっと待って頂戴ナー」と「ダイナ」を「旦那」と言い換えてのコミカルなノヴェルティ・ソングが大ヒット。巷に流れていた。

その、誰もが知っているジャズ・スタンダードを、「スウィングの女王」である笠置シヅ子のために、服部良一が大胆にもブルース・アレンジの変奏曲にしようと思いつき、「センチメンタル・ダイナ」が生まれた。

笠置シヅ子がブレイクする直前、服部は淡谷のり子のために「別れのブルース」(1937年/作詞:藤浦洸)を作曲。気だるくブルージーな歌声で大ヒットし、淡谷のり子は一躍「ブルースの女王」と呼ばれ、トップスターとなっていた。

ドラマ『ブギウギ』では菊地凛子が、淡谷のり子をモデルにした茨田りつ子を演じていて、「ブルースの女王」と「スウィングの女王」の確執と友情が描かれていくこととなる。

さて、「センチメンタル・ダイナ」の作詞は、大井蛇津郎(大いにジャズろうのもじり)のペンネームでジャズ評論家としても活躍していたジャーナリスト。服部良一とは、淡谷のり子の「雨のブルース」(1938年)でコンビを組んで大ヒットしていた。

「センチメンタル・ダイナ」はブルース・コードのイントロから始まる。「ラッパと娘」はホット・ジャズだったが、歌い出しは気だるいブルースだ。「スウィングの女王」がブルースを歌う仕掛けで、「雨のブルース」で流行歌に、黒人のブルース感覚を取り入れた、服部と野川の狙いである。

「ダイナ」といえば明るいスウィングのイメージだが、前半のやるせない歌詞とメロディーはジャズ・ブルースの味わいである。ところが後半、タイトルの「センチメンタル・ダイナ」のフレーズの直前、笠置の歌声は絶妙のタイミングで、スウィンギーに転調。

それがどんどんテンポアップして、パワフルな歌声となっていく。ジャズ・シンガー、笠置シヅ子のチカラがストレートに伝わってくる。特に最後のコーダー部分、笠置の「〜ダイナ」に合わせて伴奏が「ジャン」と終わる。心地良くも切ない音楽体験である。

1940年3月にリリースされた、笠置シヅ子としての2作目のシングル「センチメンタル・ダイナ」のSPレコードの盤面。資料協力/保利透

戦前のステージの熱気を体感

「センチメンタル・ダイナ」のレコードは、笠置シヅ子が活躍したSGD(松竹楽劇団)のステージの一景を味わっているような気分にさせてくれる。

戦前の音楽シーンで、これほどの歌唱力、表現力を持っているジャズ・シンガーは、笠置シヅ子の他にはいなかっただろう。例えるなら、ルイ・アームストロング、エラ・フィッツジェラルド、ミルドレッド・ベイリーのようなスウィング感、ホットな感覚がある。

後に「大阪のおばちゃん」の典型的なイメージで、映画やテレビの名脇役となる笠置シヅ子の庶民性、親しみやすさは、この頃から彼女の魅力であった。下駄履きの下町感覚と黒人アーティストのような哀愁、それが「スウィングの女王」時代のレコード音源からも感じ取ることができる。

少女歌劇時代でもジャズ・ソングは歌っていたが、ここまでのハイレベルのジャズ・アレンジは、服部良一との出会いあればこそ。笠置のジャズ・フィーリングに気づいて、その魅力を引き出したのは服部良一だった。SGD(松竹楽劇団)で1年数ヶ月、彼女のために選曲・アレンジ・作曲を続けてきた服部によって、笠置シヅ子の才能が引き出されたのである。

「センチメンタル・ダイナ」は、戦後、1946(昭和21)年11月に再レコーディング盤がリリースされ、東宝映画『春の饗宴』(1947年/山本嘉次郎監督)でも歌っているが、アレンジ、演奏、そして笠置シヅ子のパフォーマンスは、オリジナル盤が圧倒的である。

それは1940(昭和15)年の服部のアレンジ、笠置のスウィング感、バンドのノリだけでなく、スタジオの熱気、空気までもがレコードにパッケージされているからだろう。