馬飼野元宏(まかいの・もとひろ)音楽ライター
自らの意思で別れを告げ、北へ帰る主人公
大晦日のNHK『紅白歌合戦』に、今年(2023年)も石川さゆりが出場を果たす。通算46回と、今や紅組、白組を含めて最多出場回数を誇る大ベテランだが、彼女の初出場は1977(昭和52)年。歌われたのは同年の大ヒット「津軽海峡・冬景色」だった。
2007年からは、この曲ともう1つの代表作「天城越え」を、1年ごとに交互に歌い続けている。2023年は「津軽海峡・冬景色」が歌われる年だ。
これだけ長い期間、同じ曲が歌われ続けているのは、楽曲の耐久力もさることながら、常にその時代に相応しい形で楽曲が表現されているからであろう。
「天城越え」は、紅白の舞台でマーティ・フリードマンや布袋寅泰との共演もあり、ロック的アプローチも可能な楽曲であることが分かるが、一方の「津軽海峡・冬景色」も、この時代の演歌のスタイルを大きく逸脱する、革新的な楽曲だった。
それは、作詞の阿久悠、作曲の三木たかしが共に作り上げた、現代に通じる歌謡曲の創造性の高さを象徴するものである。
「津軽海峡・冬景色」は、1977年1月1日の発売で、石川さゆりのシングルとしては15作目。阿久悠の起用は、1976年4月の12作目「十九の純情」からで、三木たかしとのコンビも連続4曲目である。
この曲は1976年11月に発売されたアルバム『365日恋もよう』に先行収録されている。阿久悠と三木たかしが四季に沿って12曲を書き下ろし、19歳の石川さゆりが少女から大人の女へと成長していく様を描き出しているが、その最後に置かれたのが「津軽海峡・冬景色」だった。
今聴いてもアルバムの他の楽曲に比べ、飛び抜けて完成度が高い。単純にアルバムの1曲として書かれたとは考えにくく、シングル化を前提に作られたのであろう。
この曲は三木たかしの曲先で作られた。そのことは石川さゆりらの証言でも明らかで、筆者も阿久悠の長男・深田太郎氏から聞いている。そして、最後にタイトルをはめ込むのは、阿久悠の指定だった。
恋に破れた女性が北へ向かう設定は、演歌ではお馴染みのシチュエーション。しかし、歌詞の2番で相手の男に別れを告げ、自らの意思で北へ帰ることを表明している点が時代に対して新しかった。
三連符にピタリと乗せた阿久悠の超絶作詞法
楽曲作りの技術的な特徴は、まず導音と呼ばれる主音から半音下の音が最後に1箇所だけ用いられている点。
「あーあ、津軽海峡冬景色~」の「し」の音だ。不安定な音で、洋楽風に聞こえてしまうため演歌ではほとんど使われないが、この曲で用いられたことにより、従来の演歌とは異なる、洗練された印象を与えている。
最も特徴的なのは、Aメロとサビの終盤に、三連符のメロディーを配している点だ。阿久は、三木から三連符のメロディーが来たことで、「いきなり青森駅まで行けた。(従来の)七五調の歌詞だったら仙台あたりで一泊しなきゃいけなかった」と冗談めかして語ったという。
三連符で音符を細かく割ることにより曲にスピード感が出て、冒頭の2行で上野から青森まで辿り着いてしまう、大胆な時間の省略を可能にしたのである。
ちなみに三連符とは、1つの音符の長さを3つに均等に分けた配列である。「津軽海峡・冬景色」の場合は4分音符を3つに分けており、
タタタ/タタタ/タタタ/タタタ
というリズムの区切りになる。1つの「タタタ」が三連符で、1拍になるわけだ。だが、三連符に対する阿久悠の作詞術は、時間の省略だけに留まらない。それは言葉の置き方だ。歌い出しが、
上野/発の/夜行/列車/降りた/時か/ら
という並び。その後も
北へ/帰る/人の/群れは/誰も/無口/で
といった具合。「上野」や「夜行」など3音の単語、あるいは「発の」「北へ」など、2音の単語+助詞といった構成で、全ての三連符にピタリと言葉がはめ込まれており、「時から」「無口で」など、各センテンスの最後の部分だけが、次に1音、はみ出す形で組まれている。
言葉の区切り方が三連符のリズムと一致しているのだ。唯一、違う箇所が最後の
凍え/そうな
の部分。歌詞2番もこの形式を崩していない。
作詞と作曲の絶妙なマッチング
作曲と作詞のマッチングは、まずメロディーに乗る歌詞が、通常の言葉の発音通りのアクセントになっていると違和感がない。ここは作詞家が留意する点で、歌手が歌いにくいと判断したら、歌入れ時に言葉を入れ替える場合もある。
そのほかに、音符の流れと言葉の区切りが一致していると、聞き手に言葉の意味が伝わり、歌詞が覚えやすくなる。「津軽海峡・冬景色」はこのケースで、三連符にピタリとはまった単語の数々が、言葉にリズムを生み、加えてダラッとしがちな三連の曲調を引き締め、曲に緊張感を与える。
聴き手の目の前に風景や心情が鮮やかに浮かぶのは、こうした効果によるものだ。言葉をスムーズに聴かせるテクニックは、例えば歌詞2番の
息で/曇る/窓の/ガラス
という部分にも顕著だ。普通ここは「窓ガラスを」と書きたいところだが、三連符に乗せるため、あえて「窓の」と「ガラス」で単語を割って、聞き手の耳に届けやすくしている。
三連符を駆使した演歌では、矢吹健の「あなたのブルース」や、日野美歌の「氷雨」などがあるが、「津軽海峡・冬景色」の完成度は突出している。三連符の曲にここまで完璧に言葉が嵌め込まれたケースは少ない。
阿久悠の、物語作者としての絶妙な語り口と省略技に加え、言葉をいかに綺麗に聞き手に届けるかまで腐心した形跡が、この歌詞とメロディーのマッチングに残されているのだ。驚愕の作詞テクニックである。
もちろん、単語とメロディーがはまらないケースも歌謡曲には多々ある。阿久悠作品で言えば、尾崎紀世彦「また逢う日まで」のサビ「その時心は何かを」の2小節分が、
その時心/は何かを
と分かれているので、「罠に顔?」と聞こえてしまう。だが、これはこれで聞き手を一旦立ち止まらせ、注意を惹く効果があるのだ。
阿久悠と三木たかしが生み出した「時代を超えた演歌」の傑作
歌い手の石川さゆりは、「津軽海峡・冬景色」の大ヒットで一躍トップ歌手に躍り出る。
同年には、やはり阿久=三木コンビによる「能登半島」「暖流」の旅情三部作を連続ヒットさせた。どちらの曲も、やはり三連符を駆使した構成の楽曲になっており、歌詞もさすがに「津軽海峡・冬景色」ほど完璧には至らなかったものの、ほぼ同様のスタイルではめ込まれている。
曲構成、詞と曲のマッチングがヒットの要因だと、作家陣やスタッフも確信していたのだろう。そしてどちらの曲も、女性が自らの意思で恋に飛び込んで行ったり、自らの意思で別れを決意している。
男性に縋る、未練を引きずるといった従来の演歌の作風から離れた、自立した意志を持った女性像が描かれたことで、「津軽海峡・冬景色」は耐久性を保ち続けたのだ。
もちろん石川さゆりの歌唱力の高さに加え、トップ・シンガーとして活動を続け、随所でこの曲を歌い継いできたこと。三木たかしの楽曲が、従来の演歌フォーマットを逸脱した曲想で書かれていることも大きい。さらに阿久悠の超絶作詞技法によって、多くの人にその物語が届き、現在まで長く愛される名曲となったのだ。