鈴木啓之 アーカイヴァー
数々のスターを輩出した"花の82年組"
松田聖子や河合奈保子、田原俊彦らがデビューし、時代の変わり目と共にアイドルも新時代へと突入した1980年。以降も多くのアイドル歌手が輩出されて、80年代アイドルは百花繚乱の様相を呈した。
デビュー年で見ると、菊池桃子、岡田有希子、荻野目洋子らがデビューした1984年、斉藤由貴、南野陽子、中山美穂、おニャン子クラブらがデビューした1985年も豊作年であったが、特に優れた新人が集中したのが1982年で、後に"花の82年組"と呼ばれるようになる。
この年の日本レコード大賞新人賞にノミネートされたのは、石川秀美、シブがき隊、早見優、堀ちえみ、松本伊代の5組。松本伊代は1981年10月デビューだったが、賞レースでは82年組に属していた。最優秀新人賞はシブがき隊が受賞している。
他には、共にオーディション番組『スター誕生!』で勝ち抜いた小泉今日子と中森明菜もデビュー。そしてこの二人がいたことで、1982年がアイドルデビューの特別な年になった大きな理由といえるだろう。
小泉今日子はデビュー時こそ当時流行りの聖子ちゃんカットでいかにもアイドルっぽい可愛らしい曲を歌っていた。しかもデビュー曲「私の16才」とセカンド・シングルの「素敵なラブリーボーイ」はいずれも70年代アイドルの曲のカバーであった。
それがデビューから1年後に、ショートカットにイメージチェンジして歌った5枚目のシングル「まっ赤な女の子」で一気にブレイク。筒美京平作曲による弾けたポップスだった。
中森明菜はセカンド・シングル「少女A」で人気を呼ぶも、賞レースでは不遇なスロースターターとなったが、その後ヒットを連ねて抜群の存在感を示し、既にトップアイドルとして活躍していた松田聖子のライバル的なポジションを得たのだった。
マニアならずとも聴きたくなる個性派揃い
当時、リアルタイムで歌番組やバラエティ番組を見ていた身からすれば、この年は他にもまだたくさんのアイドルがデビューして群雄割拠を繰り広げていた様子が思い出される。
ここでは、人気歌番組だった『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』の常連組には至らずとも、それぞれに抜群の魅力を放っていた「82年組アイドル」の記憶を辿ってみたい。
まずは、モデルを中心とした事務所として今もなお健在のオスカープロモーションが送り出した3人組「パンジー」。とはいえ、正式なグループではなく、映画出演やグラビア展開の際のユニット名で、歌手としてはソロデビューした北原佐和子、真鍋ちえみ、三井比佐子の3人のこと。
中でも最も人気が高かったと思われる北原佐和子は、デビュー曲となった「マイ・ボーイフレンド」のレコードが、ピクチャーレーベル仕様のイエロー盤だったりして、メーカーとしても売り出しに力が入っていた様子が窺える。
透明感のあるフワッとした声で歌われ、オールディーズ感が醸し出されたポップスナンバーが耳心地よかった。ゴダイゴのタケカワユキヒデが作曲を手掛けたセカンド・シングル「スイート・チェリーパイ」は地声と絶妙にマッチした傑作。その後も大瀧詠一の「夢で逢えたら」や、イタリアンポップスの名曲「砂に消えた涙」をカバーするなど、マニアライクな展開を見せてくれた。
真鍋ちえみは結局シングル3枚にとどまったが、デビュー曲「ねらわれた少女」は細野晴臣作曲によるテクノ歌謡。セカンド・シングル「ロマンティックしましょう」は加藤和彦の作曲で、後年になって再評価されている。
もう一人はシングル2枚とアルバム1枚で歌手活動を辞してしまった三井比佐子。「月曜日はシックシック」と「デンジャラス・ゾーン」は、共に筒美京平の作品。かなり個性的な歌声には不思議な魅力があってクセになる。
まだまだいた82年デビューのアイドルたち
個性的な声という点では、NHK『レッツゴーヤング』に、サンデーズの一員としてレギュラー出演していた坂上とし恵がいる。渡辺プロダクション所属だったことから、同社制作の番組『クイズ!ドレミファドン』のアシスタントを長く務めた(後に野々村真と結婚)。
デビュー曲「き・い・て MY LOVE」はトリッキーな曲で、松本伊代の「抱きしめたい」や「チャイニーズ・キッス」を手掛けた亀井登志夫の作と聞けば合点がいく。セカンド・シングル「黒い瞳」のB面に収められた「ト・シ・エ」も、キュートな自己紹介ソングとして印象深い。
同じ渡辺プロだった水野きみこは、ミュージカルのテーマ曲だったセカンド・シングル「夢みるアニー」がわりと知られているかもしれない。華奢な見た目からギャップを感じる確かな歌唱力は、唯一のアルバム『はじめまして』で確認できる。
『笑っていいとも!』から生まれた異色のユニット「よめきん」(松金よね子とKINYAもメンバー)で、唯一の正統派アイドルだったモデル出身の渡辺めぐみも忘れてはならない。
デビュー曲「ときめき Touch Me」は、爽やかなアイドルポップスの典型といえる良曲である。マニア的にはレイ・パーカー Jr.がオリジナルの映画『ゴーストバスターズ』のテーマをカバーしていたのがポイント高し。また、所ジョージが作曲した「Friday」は、バラエティ番組『いきなり!フライデーナイト』のエンディング・テーマに使われていた。
その他、『3年B組金八先生』第1シリーズの生徒役だった、つちやかおり。第2シリーズの川上麻衣子。『2年B組仙八先生』に出ていた三田寛子。女優に活躍の場を移す伊藤かずえや白石まるみ。
最もマイナーなところでは、大滝詠一「カナリア諸島にて」をカバーした(なぜかタイトルが「カナリア諸島」になっていた)百瀬まなみ。「秘密のオルゴール」でデビューした川田あつ子……枚挙に暇がない。
グループでは、シャワー、スターボー、ラジオっ娘(後に"Lady,Oh!"に改名)などもこの年。女子大生アイドルだった宮崎美子や斉藤慶子、角川ヒロインの薬師丸ひろ子や原田知世も実は82年組なのであった。
令和の現在、アイドルといえば大半がグループだが、昭和はソロが主流。48や坂道グループなどからもソロ歌手は輩出されているが、デビューからしっかりコンセプトを持ってプロデュースされたソロアイドルが見られなくなって久しい。
記憶に新しいところで大ブレイクしたのは、松浦亜弥辺りが最後だったろうか。そろそろ昭和アイドルを凌駕するような、強力なソロアイドルシンガーが登場してもよい時期かもしれない。