1963年、クレイジーキャッツの大晦日〜第14回紅白歌合戦「ホンダラ行進曲」

佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)

1963年のクレイジーキャッツ旋風!

今から60年前、1963(昭和38)年に空前のクレイジーキャッツ・ブームが吹き荒れた。

前年7月に公開された映画『ニッポン無責任野郎』(1962年/東宝)で、植木等が演じた「他人の思惑など一切関係なく、出世のためなら手段を厭わない」の主人公のキャラクターは、上役の顔色を伺いながら、平穏に定年まで過ごす「終身雇用」のサラリーマン社会へのアンチテーゼでもあった。

ピカレスクな主人公なのに、底抜けに明るい植木等が演じると、爽快なヒーローに見えてしまう。

青島幸男が作詞、萩原哲晶が作曲・編曲した主題歌「無責任一代男」や「ハイ、それまでョ」などのクレイジー・ソングは、チンドン・ジャズともいうべきサウンドで、ストレスを一気に解消してくれるようなパワーがみなぎっていた。

前年、1961(昭和36)年にリリースされたデビュー曲「スーダラ節」(作詞:青島幸男/作曲:萩原哲晶)に始まるクレイジーソングの数々は、全国津々浦々に流れ、彼らは時代の寵児となっていた。

クレイジーキャッツが戦後ジャズ・ブームから誕生したジャズ・バンドであることを知らない世代も、「とかくこの世は無責任」と笑いながら唄う植木等の明るさに魅了されていた。

小学校でも子供たちがクレイジーソングを歌い、人気番組『シャボン玉ホリデー』(NTV)から生まれた植木等のギャグ「お呼びでない」を真似しておどけていた。

このブームは、戦後間もなく、笠置シヅ子が「ブギの女王」として時代を駆け抜けた現象を、さらにパワーアップさせたような社会現象でもあった。

“無意味”そのものを歌に!

青島幸男は次々と植木等やクレイジーキャッツのためにコミカルなノヴェルティ・ソングを書き続けていたが、前年の破竹の勢いの快進撃の反動で、「いささか落ち込んでいた時期」と話してくれたことがある。

メンバー全員が出演する映画『クレージー作戦先手必勝』(1963年/東宝)の主題歌として、4月20日にキングレコードからリリースされた「ホンダラ行進曲」は、オールタイムでもクレイジー・ソングのベストに挙げるファンも多い。かくいう筆者もそうである。

映画『クレージー作戦先手必勝』(1963年)の主題歌としてリリースされた「ホンダラ行進曲」。クレイジーキャッツのベストソングに挙げるファンも多い。提供/鈴木啓之

萩原哲晶の編曲によるイントロは、戦前、古賀政男が作曲、藤山一郎が歌って大ヒットした「丘を越えて」(1931年/作詞:島田芳文)のイントロのパロディで、明るく前進したくなる気分を高揚させるリズムは、服部良一作曲で戦後を象徴する大ヒットとなった「青い山脈」(1949年/作詞:西条八十)の明るく楽しい希望に溢れる歌謡曲のノリ。

一つ山を越しても「ホンダラッタホイ」、もう一つ越しても「ホンダラッタホイ」、越しても越しても「ホンダラッタホイ」と、「丘を越えて」のようなポジティブな気分になったところで、「だから越さずに」でストンと落とす。

イケイケムードの高度経済成長の時代に、乗っているかと思わせておいて、最後は「だからやらずに」と何にもしないことを選択・奨励する。「前進すること」「克服すること」を否定してしまうのだ。

希望に溢れる歌謡曲のノリで、一見、意味不明にも思える青島幸男の歌詞の凄み。最後の「だからやらずに」の開き直りは、「スーダラ節」の「わかっちゃいるけど〜」に通じる。達観でもある。

青島は「この歌には柄にもなく虚無的なムードがある」と著書『わかっちゃいるけど…シャボン玉の頃』(1988年/文藝春秋)で回想している。時代の寵児となった青島は、どこか醒めていて、これが最後の一曲のつもりで書いたというが、それゆえに傑作となった。

しかも行進曲だ。クレイジーのメンバーも、作曲の萩原哲晶も戦前生まれで、戦時中は軍国少年だった。幼い頃から行進曲で育ち、否応なく行進させられた世代だけに、行進曲は骨の髄まで染み込んでいる。クレイジー・ソングに「ゴマスリ行進曲」「大冒険マーチ」(1965年)が多いのは、植木等やメンバーの勢いとマーチがピッタリだからでもある。

大瀧詠一はこの曲について語っている。「世に無意味な歌は数あれど、無意味を歌った歌は少ない」(LP『クレイジーキャッツ・デラックス』ライナーより)。まさにその通りである。

「ホンダラ行進曲」が大ヒットした1963年の大晦日。

植木等は前年に続いて2度目となる『第14回NHK紅白歌合戦』に、ハナ肇とクレイジーキャッツと共に出場した。翌1964年に東京オリンピックを控えて、高度経済成長のムードは一気に高まる中、東京・日比谷の東京宝塚劇場からテレビとラジオで中継された。

オープニングは、聖火ランナーの出立ちで「丈夫で長持ち」のキャッチフレーズで大人気だったコメディアン・俳優の渥美清がマラソンして会場に入ってくる。この年、子供たちの人気者は植木等であり渥美清だった。

そして、植木等はトリの三波春夫の前に登場。ステージ上の階段からジャンプしてきた植木等が映画『日本一の色男』(東宝)の主題歌「どうしてこんなにもてるんだろう」(作詞:青島幸男/作曲:萩原哲晶)を唄う姿は、東宝クレージー映画の勢いをそのままステージで再現していた。

映画『日本一の色男』(1963年)の主題歌「どうしてこんなにもてるんだろう」

続いて舞台の袖からハナ肇、谷啓、犬塚弘、桜井センリ、石橋エータローら他のメンバーたちが登場。クレイジーの面々ともに「ホンダラ行進曲」をオーバーアクションで唄う。残された映像を観ると、1963年のハナ肇とクレイジーキャッツが、本当の意味で国民的スターだったことを実感させてくれる。