馬飼野元宏(音楽ライター)
再評価著しい林哲司メロディーの魅力
ここ数年にわたる「シティポップ」ブームで、常にその中心にいたのが作曲家・林哲司である。
2023年は作曲家デビュー50周年のメモリアル・イヤーとあって、数々のコンピレーション・アルバムや書籍が発売され、林自身もメディアに頻繁に登場していた。
11月5日には東京国際フォーラムホールAにて、『ザ・シティ・ポップ・クロニクル 林哲司の世界 in コンサート』が開催され、同月8日にはトリビュート・アルバム『50th Anniversary Special A Tribute of Hayshi Tetsuji-Saudade-』もリリースされ、林哲司の再評価もピークを迎えた。
作曲家・林哲司が大ブレイクしたのは、1980年代。菊池桃子、杉山清貴&オメガトライブにデビュー曲から関わり幾多の大ヒット作を生み出したほか、杏里「悲しみがとまらない」、原田知世「天国にいちばん近い島」、中森明菜「北ウイング」、上田正樹「悲しい色やね」といった、アーティストにとっての代表作をいくつも提供してきた。
林哲司は「シティポップ」の枠にとどまらず、現在まで続く日本のポップスの音楽的基盤を作った1人であることは間違いない。
80年代突入の直前に誕生した伝説の2曲
その林哲司には、80年代の全盛期を迎える直前、1979(昭和54)年に発表された助走と呼べる2つの曲がある。1つが竹内まりやに提供した「SEPTEMBER」、もう1曲は松原みきのデビュー曲「真夜中のドア〜Stay with me〜」である。
実のところ、この2曲は似ているようで制作の意図は異なっている。林の発言によると、「SEPTEMBER」に関しては、シンプルで分かりやすい曲をと依頼され、作っては見たものの歌謡ポップスのようなメロディーになってしまい、恐る恐る提出した作品だったという。
南沙織や太田裕美が歌いそうな歌謡曲メロディーだったものが、竹内の独特な声質のおかげで、良質なポップチューンに変貌した、と語っていた。伊東ゆかりの系譜にある竹内のヴォーカルは、林の楽曲をまるで洋楽カヴァーのように聴かせる魅力があったのだ。リリースは1979年9月1日だった。
一方「真夜中のドア」は、1979年11月5日リリース。松原みきの所属事務所であるポケットパークの菊地哲栄プロデューサーから、「思い切り洋楽っぽく作ってほしい」という依頼を受け、完璧な洋楽志向で書いたメロディーだった。
ジャズの経験があった松原は、ジャジーでありつつ濡れた声質を持っていたため、いざ歌入れに入ると、どこか大人っぽいその歌い方と相まって、「洋楽的に書いたつもりの曲が、歌謡曲のような日本の王道ポップス方向に引っ張られた」と林は語っていた。
「SEPTEMBER」と「真夜中のドア」は当初、全く真逆の曲想で作られており、洋楽と歌謡曲の両端にあったものが、双方の要素がうまくブレンドされ、2曲ともどもポップシーンの中央へと寄って行ったのである。
洋楽的なメロディーと歌謡曲のブレンド
もともと林は、洋楽的なメロディーを書ける作家であった。1977年には「スカイ・ハイ」の大ヒットで知られる英国のグループ、ジグソーに「If I Have To Go Away」という楽曲を提供し、英米でシングル曲としてリリースされ、イギリスでチャートインした記録を持っている。
こういった林の洋楽的センスが、歌謡曲的要素とブレンドされ、ヒットを生んだのが「SEPTEMBER」と「真夜中のドア」の2曲だったのだ。
「SEPTEMBER」のコーラスにはEPOが参加している。EPOはこの翌年にシュガーベイブのカヴァー「DOWNTOWN」でデビューするが、オールディーズスタイルの軽快なコーラスワークは、竹内の声と相まって、ポップスの原点に近いサウンドを奏でている。その後、竹内は自作自演者となり数々の自作曲を生み出していくが、その曲想とも近い。
一方の「真夜中のドア」は、チャートのトップ30に入るヒットとなったが、何よりこの曲が注目されることになったのは、2020年の後半。インドネシアの歌手Rainychによるカヴァーが海外で話題になり、これをきっかけに世界各国のサブスクリプションで再生回数が上位にランクされ、Spotifyでは2300万回以上の再生数を記録した。
世界規模でのリバイバルヒットにより、日本のポップスが一躍世界に広まる契機となり、シティポップの代表的ナンバーとして世に知れ渡ることとなったのだ。
松本隆と三浦徳子。2人の作詞家の異なる作風が名曲を生んだ
ところで、「何がシティポップであるか」を足らしめる要素は、もちろんサウンド(アレンジ)面であり、メロディーにしてもセブンス、ナインスなどの分数コードを駆使した、洋楽的で洗練された曲調であったりする。だが、実のところ、作詞面もかなり大きな要素だ。
シティポップの詞は、都会やリゾートといったシチュエーションで、大人の男女が織りなす恋の駆け引きなどが描かれるのが常だが、それ以上に「あまり具体的な心理描写を必要としない」というのもあるのではないか。
「SEPTEMBER」の作詞は松本隆。「真夜中のドア」は三浦徳子。どちらも別れの歌で、女性側が男性側に縋りつくが、最後は別れを受け入れる結末まで同じである。
「SEPTEMBER」は別れの理由が明確だ。恋人が他の年上女性に心移りしたことで、主人公は男性の後を追いかけ電車に飛び乗る。その女性に会って「彼のことを返して」と言いたいが言えない、という気の弱さを吐露し、交際の継続を諦める。
この辺りの詳細なディテールと心理描写は松本隆ならではのもので、別れの理由と女性の悲しい心情が手に取るように分かる。
逆に「真夜中のドア」における三浦徳子の詞は、交際から二度目の冬が来て、彼の心が離れて行ったとあるが、それ以上の理由は明確にされていない。主人公は真夜中にドアを叩き、帰らないでと泣き、別れの局面で心に穴が開いたが、なぜ2人の関係は壊れたのかまでは描写されていないのだ。
これは作詞家・三浦徳子の特性と言えるかもしれない。他の代表作である松田聖子の「青い珊瑚礁」「夏の扉」といった初期の傑作、田原俊彦の「シャワーな気分」、八神純子の「みずいろの雨」などを聴くと、恋のときめきの理由、別れの要因などの具体的な描写が極めて少ない。
因果律がどこにもないのである。むしろ、その主人公の「気分」や「感傷」といったものを重視し、その状況を描く作詞家と言える。それがサウンド&メロディーと一体となった時に、初めて心象が表現されるのだ。三浦はまさしくシティポップ向きの作詞家なのである。
ゆえに松本隆の書いた「SEPTEMBER」はポップスの名曲として語られ、三浦徳子の書いた「真夜中のドア」はシティポップの名曲と呼ばれるようになった。2曲の大きな違いは、前述のように前者は歌謡曲メロディー的に書かれ、後者は洋楽的に書かれたことに加え、作詞家のチョイスがそれぞれの曲調と見事にハマったことも大きいのだろう。
そして、この2曲が成功を収めたことにより、林哲司メロディーは、80年代にシーンの中心に躍り出ていく。