佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)
敗戦直後のセコハン娘
1947(昭和22)年12月31日公開の正月映画『春の饗宴』(東宝)で、笠置シヅ子は「東京ブギウギ」(作詞:鈴木勝/作曲:服部良一)を歌った。明けて1948(昭和23)年1月に同曲はコロムビアからレコードがリリースされて、たちまち大ヒット。「ブギの女王」として戦後ニッポンを、そのパンチのある歌声で、明るく牽引していった。
その「東京ブギウギ」の直前、1947年11月に笠置シヅ子がリリースしたユニークな曲がある。服部良一が戦前、淡谷のり子とコンビを組んで大ヒットさせた「別れのブルース」(作詞:藤浦洸)や「雨のブルース」(作詞:野川香文)スタイルの和製ブルース「セコハン娘」(作詞:結城雄次郎)だ。
「ブルースの女王」と謳われた淡谷のり子のブルースは、ジャズのブルース・コードではなく、あくまでもやるせない、切ない心情を歌った流行歌である。歌で描かれているシチュエーションや退廃的なムードも相まって、戦前に一大ブームを巻き起こした。
「セコハン娘」は和製ブルースらしく、哀調を帯びたイントロで始まる。歌の主人公は年頃の娘だが、こう嘆いている。着物もドレスも、ハンドバッグもハイヒールも、何もかもお姉さんの“お古”ばかり。やっと見つけた愛しい恋人ですら、姉の“お古”である。全くやりきれない。しかもヒロインはお母さんの連れ子だから、大事なお父さんも二度目のお父さんである。だから私は「セコハン娘」なの、という内容。
「別れのブルース」同様、マイナーコードの和製ブルース調で、ヒロインのやるせない状況、気持ちが切々と歌われる。あまりにも切ないムードなので悲劇的に感じられるが、歌詞はナンセンスなノヴェルティ・ソング。
セコハン=Second Hands(中古品)というフレーズが、この時代の世相を反映している。敗戦後2年、生活に必要なあらゆる物資が不足していた。必要なものは全く手に入らない。運良く出物があっても、闇市の値段は高くて庶民に手が出るものではない。それも使い古したセコハンか、進駐軍の払い下げ品である。
長く辛い戦争が終わり、日本は連合国の支配下に置かれ、平和と自由を謳歌していた。だが、それも連合国総司令官のダグラス・マッカーサーから与えられたもの、という意識が強かった。そうした占領下の庶民感覚をカリカチュアした服部ブルースである。
闇市時代の庶民感覚
作詞の結城雄二郎は、のちに作家として『昔々の宝塚歌劇』(1977年/甲陽書房)を上梓する文筆家。歌詞は明らかにパロディなのだが、イントロも含めた服部良一のアレンジ、哀調を帯びた笠置シヅ子のヴォーカルが、敗戦後の「やるせない」ムードを醸し出して、悲歌=エレジーとして不思議な味わいがある。
三番がさらに切ない。婚期を逸したヒロインは、いつになったらお嫁に行けるのか、それともセコハン娘のまま終わってしまうのか。もしも結婚したとしても、「二度目の花嫁」と人から指さされるだろう。
なんとも自虐的だが、連合軍統治下の庶民感覚の反映でもある。これまでの服部ソング同様、曲全体のオチがつくのがいい。何もかも「セコハン娘」だけど、胸を張って言えることがある。ただ一つだけ、セコハンではないものがある。それは「乙女の純潔」。神様だけが「ご存じなの」。ラスト、笠置シヅ子が明るく歌い上げる。
やるせないブルースが一転して、明るい希望に溢れた歌声となる。これが服部の仕掛けである。
ステージではどんな風に歌っていたのか。空前のブギウギ・ブームの中、市川崑が演出した映画『果しなき情熱』(1949年/新東宝)は、服部良一の楽曲をフィーチャーして、淡谷のり子、かつての李香蘭こと山口淑子などが次々と登場する音楽映画で、そのメインは笠置シヅ子だ。
映画ではキャバレーで笠置シヅ子が「セコハン娘」を歌うシーンがある。笠置の専属バンド、楽団クラック・スターの演奏をバックに、ポーカーフェイスの笠置が、無表情に切々と歌い上げる。
歌詞に合わせて、無表情からニコニコ顔になり、それが一転して哀愁を湛えた表情となる。わずか3分のうちに、表情も動きも目まぐるしく変化するのだが、歌詞の内容とリンクして、不思議な説得力と味わいがある。
抜群のパフォーマンス
少女歌劇出身で、戦前は帝国劇場でのSGD(松竹楽劇団)のステージを縦横に歌って踊っていた笠置シヅ子は、楽曲に合わせてステージの振り付けを自分で考えることが多かった。おそらく「セコハン娘」のくるくる変わる表情や動きも笠置のアイデアだろう。
レコードの歌唱も素晴らしいが、映画に記録されたパフォーマンスに、根っからのステージ・アクトレスであり、表現者としての笠置シヅ子の天賦の才を感じることができる。
この『果しなき情熱』は、戦前にヒットを飛ばしていた野心家の作曲家(堀雄二)が、敗戦後に創作上のスランプに陥り苦悩する。物語や主人公のキャラクターはほとんど創作だが、楽曲は全て服部良一のヒットソングの数々。
淡谷のり子が「雨のブルース」、山口淑子が「蘇州夜曲」(作詞:西條八十)歌うなど服部良一ソングブック映画でもある。この映画で笠置シヅ子は、戦前に淡谷のり子が歌った「私のトランペット」(作詞:村雨まさを)や、ラストに新曲「ブギウギ娘」(作詞:村雨まさを)を歌っているが、いずれも素晴らしく、笠置シヅ子のパフォーマーとしての実力を体感することができる。
笠置シヅ子の歌声は60曲近くレコード音源に残されているが、ステージでのライブ音源や映像はほとんど残っていない。一方で昭和20年代に「ブギの女王」として25本もの映画に出演しているが、作品はほぼ現存している。
どの映画にも3曲から5曲、歌唱シーンがある。全盛期の笠置シヅ子のイキイキとした表情、服部良一のサウンドの新しさを、これらの映画で体感することができる。