オトナの歌謡曲

時の過ぎゆくままに〜沢田研二の時代

時の過ぎゆくままに 〜沢田研二の時代

佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)

沢田研二の美しさに魅せられた久世光彦と阿久悠

1975(昭和50)年8月21日、沢田研二のソロシングルとしては14枚目となる「時の過ぎゆくままに」(作詞・阿久悠/作曲・大野克夫)がリリースされた。この曲から「沢田研二の時代」が新たなフェーズに入っていくことになる。

グループサウンズの時代が終焉した1971(昭和46)年、沢田研二は「君をのせて」(作詞・安井かずみ)でソロデビュー。その頃小学二年生だった僕でさえ、ジュリーの容貌や佇まいに、この世の人とは思えない美しさを感じた。

やがて1973(昭和48)年にリリースされた「危険なふたり」(作詞・安井かずみ/作曲・加瀬邦彦)がビッグヒット。テレビの歌番組で大人の女性との禁断の愛を歌い上げる姿に見惚れた。1950年代のオールディーズのような明るいノリのサウンド。気だるさも、切なさも、全てが美しかった。

その沢田研二の美しさは、当時のクリエイターたちを魅了し、刺激を与えた。TBSの演出家・久世光彦もその一人。久世は『時間ですよ』(70〜73年)、『寺内貫太郎一家』(74年)をプロデュース・演出をしていたが、こうしたヒット作を手掛けながら退廃や背徳の美をひそかに描きたいと考えていた。

1935(昭和10)年生まれの久世は、敗戦後の退廃的なムード、戦前のデカダンスな雰囲気へのこだわりがあった。それを沢田研二の醸し出す雰囲気に感じていた。盟友である作詞家・阿久悠に「沢田研二のドラマをやることになった。企画に加わって欲しい」と持ちかけた。

70年代〜80年代の沢田研二イメージ
イラスト/いともこ

「虚構の世界の水先案内人」としての沢田研二

久世の沢田への想いは、阿久曰く「恋心に近いもの」だった。「局のエレベーターで、沢田研二と一緒になっちゃって、ドキドキしてしまったよ」と大真面目に話したこともあった。阿久もまた、沢田の「けだるさを秘めた退廃美」に魅せられていた。

二人は等身大の沢田研二や素顔のジュリーではなく、「虚構の世界の水先案内人としての沢田研二の魅力」を探すことにした。さまざまな役柄を考えているうちに、1975年12月に時効を迎える「三億円事件」の犯人が、もしも沢田研二だったら? という発想になった。

実録ドラマではなく、美しい沢田研二が追い詰められ、痛めつけられる立場に置くことでより妖しく見せることができる。久世のイメージしていたデカダンスである。

久世は『悪魔のようなあいつ』というタイトルを考えて、阿久は盟友の劇画家・上村一夫と劇画化をすすめ女性週刊誌「ヤングレディ」(講談社)での連載を開始した。ドラマのシナリオは若手映画監督・長谷川和彦が手掛けることになった。こうしたメディアミックスは現在では普通になってしまったが、1975年当時は、かなり「攻めた」企画であった。

そしてプロジェクトが形になっていくうち「いいテーマ曲が欲しいね」という話になり、阿久は「時の過ぎゆくままに」を作詞。タイトルは、敗戦間もなく公開されたハンフリー・ボガート主演の映画『カサブランカ』(42年・米)の挿入歌「アズ・タイム・ゴーズ・バイ 時の過ぎゆくまま」にインスパイアされたもの。

実はこれが阿久悠にとって、初めての沢田研二のための作詞となった。

沢田研二の新たな時代の幕開けと歌謡曲全盛期

「時の過ぎゆくままに」のシングル盤のジャケット
沢田研二が主演したテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』(1975年)の主題歌「時の過ぎゆくままに」のシングル盤。提供/鈴木啓之、撮影/武政欽哉

気だるさと切なさに満ちたこの詞について、阿久は「虚無的な人間が一瞬虚無を忘れて愛に溺れ、熱が冷めるとやはり虚無の中にある」と『夢を食った男たち』(文春文庫)で書いている。詞の最後の「堕ちてゆく」というフレーズを変えてくれと、沢田の所属事務所から言われるも、阿久はそれを「堕ちる歌」なのだからと受け入れなかった。

曲は、久世光彦のアイデアで阿久の詞を井上忠夫、井上堯之、加瀬邦彦、荒木一郎、都倉俊一、大野克夫の六人の作曲家にオファーした。そのなかで一番ふさわしいものを選ぶという贅沢な企画であった。

久世が選んだのは、元ザ・スパイダースのキーボードで、1971年に沢田研二、萩原健一たちが結成したPYGでオルガンを担当していた大野克夫。久世はPYGのメンバーによる井上堯之バンドと大野に、『寺内貫太郎一家』の音楽を任せていた。

こうして1975年6月6日ドラマ『悪魔のようなあいつ』(全17話)のオンエアがスタート。阿久と大野による「時の過ぎゆくままに」は8月21日にリリースされ、オリコンでは5週連続1位を記録。沢田にとってもソロデビュー以来、最大のヒット曲となった。

ここから作詞・阿久悠、作曲・大野克夫による「沢田研二の新たな時代」が幕を開けることとなる。「勝手にしやがれ」「憎みきれないろくでなし」(77年)、「サムライ」「ダーリング」(78年)、「カサブランカ・ダンディ」(79年)など、70年代後半の歌謡曲は沢田研二が牽引していく。

退廃と背徳の美しさ、そして色気。女性も男性も、子供たちも、誰もが、沢田研二がまとった妖しい虚構の世界に、魅了されていくことになった。

佐藤利明 近影

文/佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)

1963年東京都生まれ。昭和を彩った歌謡曲や娯楽映画の魅力をコラム、ラジオ、音楽・映像ソフトのプロデュースで発信しているエンタテイメントの伝道師。小泉今日子・浜田真理子のCD「マイ・ラスト・ソング アンソロジー」のプロデュース、舞台「マイ・ラスト・ソング〜久世さんが残してくれた歌」の構成を手掛ける。著書『クレイジー音楽大全』(シンコーミュージック)、『石原裕次郎 昭和太陽伝』『みんなの寅さん from1969』(アルファベータブックス)など多数。2015年文化放送特別賞受賞。第8回両国アートフェスティバル芸術監督。

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