知的障害を持つお子さんと暮らしながら、同じ境遇にいる人たちの不安や悩みを少しでも軽減できればと、長年勤めた出版社を退職して「親なきあと」相談室を立ち上げた渡部伸さんによる連載コラム。自らの経験をもとに「親なきあと」に関する役立ち情報をお伝えしていきます。
「障害」? 「障がい」?
「障碍」?
この連載の中で、私は「障害」の表記を採用しています。お読みいただいている方の中には、「害」の字に抵抗を感じる方もいるかもしれません。
実はこの連載を始めるにあたり、担当編集の方から「障がい」の表記に統一しませんか、という提案があったのですが、お断りした経緯がありました。そこで今回は「障害」の表記について、私の考え方をお伝えしたいと思います。
「障害」「障がい」「障碍」……メディアや自治体によってどの表記を使用するか、判断が分かれています。少し前にもある自治体で、市が作る文書等では「障がい」に改めるという報道がありました。
記者会見の席で市長は「害という字には悪いイメージがあり、人に当てはめるのは適切ではないと思う。社会の意識を変えるためにも、ひらがな表記にすべきと判断した」と発言されたとのことです。
「社会モデル」という重要
な考え方
私は以前から「障がい」という表記は使っていません。一番大きな理由は、「障害」の文字面だけ変えても社会の差別意識がなくなるわけではなく、逆にこのような書き換えに不快感を覚える人もいるので、法律上使用されている「障害」を使うのがベターだと考えているからです。
もちろん「害」の字を避けたいと思う人の気持ちを否定はしませんが、言葉の書き換えにこだわることには違和感を持っています。もう一つの理由として、「社会モデル」という考え方があります。
以前は、「医療モデル」という考え方が支配的でした。これは個人モデルとも呼ばれ、障害者の社会的な不利は個人の問題であるから、それを克服するために医療やリハビリなどを施し、周囲が援助してあげましょう、というものです。
この「医療モデル」という考え方だと、障害による生活のしにくさは、あくまで障害者個人に起因するもので、障害者が健常者の基準に合わせていろいろな不利を乗り越えなければならないことになります。そうなると、社会にある障害者の生きにくい仕組みは、何も変える必要がないということになります。
それに対して、現在一般的になってきた「社会モデル」は、社会の仕組みに不備があるためにハンディキャップを生み出している、という考え方です。この立場に立てば、社会が変わらなくてはいけない、ということになります。
つまり、社会の側に整備されていない部分や理解が足りない面があり、そのために不利な状態にあるのが「障害」である、ということです。先ほどの市長は、障害者に配慮してこの決定をされたと思うので、それ自体は大変ありがたいことです。
しかし「害という字を人に当てはめている」のではなく、「社会が障害を生み出している」のです。
「障害」のある社会を変え
ていくことが大切
障害が個人の中にあるものではなく、社会との関係性の中にあるものであるならば、なぜ「障がい」と書き換えをしなくてはいけないのか、ということになります。「社会モデル」という考え方に共感している私としては、「障がい者」という表記を使うことは考えていません。
もちろんすべてを「社会モデル」に当てはめて、社会を変えれば何でも問題が解決するというものではありません。しかし、これまで個人にすべてを帰結させてきた障害による不利益を、社会の問題という別な側面から見ることによって、必要な施策を行うということにつながっていくのではないかと思います。
これはすべての自治体の方にお願いしたいことですが、「表記を改めるのではなく、行政として社会にある障害をなくしていく」という発信をしていただきたいと切に希望します。
ただし、「障害」の表記に拒否反応を示したり、嫌悪感を抱く方もいらっしゃいます。そのお気持ちも分かるので、「障がい」の表記はダメだ!などと言うつもりはありません。
ただ、「障害」の表記には、この「社会モデル」という考え方があること、障害者の生きにくさを生み出している社会そのものが変わっていく必要があることは、知っていただきたいと思います。
当たり前のことですが、文字の表記は問題の本質ではありません。いかに障害者も健常者も、地域で安心して暮らせるようになるか、共生社会が実現できるかが大切なことです。
この表記の問題を知ることは、障害と社会の関係性を考える一つの大きなきっかけになるかと思い、今回はこのテーマで書かせていただきました。