戦争を「体験」した方が少なくなる中、どう「語り継ぐ」かが重要になっています。そこで読者のみなさんから、両親や祖父母の戦争体験手記を募集します。ご投稿いただいた手記は、今夏の「通販生活」で特集掲載します。
投稿例
母と父で大きく違う「戦争体験」
(59歳、H・Y)
1928(昭和3)年生まれの父と1932(昭和7)年生まれの母から、1965(昭和40)年生まれの私は戦争の話を子どもの頃よく聞きました。
福岡の炭鉱で有名な町に生まれ育った母がいつも話したのは、食料不足による飢餓。「イモが食べられるのはまだマシ。私たちはイモの茎を食べていたんだから」「すいとんなんて、本当に汁だけだったよ」という具合で、戦争中はいつも「麦ごはんでもいいから、お腹いっぱい食べたい」と思っていたそうです。
終戦後まもなく、母の町にあった陸軍の倉庫にはコメや肉など莫大な食料が保管されていたことが分かったそうで、そのことを引き合いに「戦争で得するのは軍人だけ、庶民は損ばかりだよ」と、母なりのとてもシンプルな戦争反対の理由をよく話していました。
飢餓以外の話もありました。空襲の際、防空壕の中に敷いた湿った薄っぺらなゴザの上で夜を明かしたことや、隣の家が爆弾の直撃を受けて庭の簡易な壕に隠れていたおばあさんが亡くなったこと。それから、髪の毛にはいつもシラミの卵が付着していて二つ上の姉に取ってもらっていたことなど、子ども心にも「戦争はいやだな」と思える話ばかりでした。
こうした母の体験と父の「戦争体験」は真逆のものでした。父の父(祖父)は、日本統治時代に一家で朝鮮半島に渡り、父はソウル近郊で生まれました。祖父は果樹園を経営する「地元の名士」であり、父は生まれてから16歳で迎える終戦の日まで「金持ちのボンボン」でした。母が経験した飢餓や空襲とは無縁(朝鮮半島は米軍による空襲は終戦までほぼなかった)。父が話す「戦争時代の辛い話」と言えば、寄宿舎で上級生から毎晩殴られたことや、冬の軍事教練の屋外授業のときの寒さなどでした。父の人生において、戦中は最も裕福で恵まれた時間とも言えるため、「悲惨な戦争」の話などあるはずもありません。
同じ戦争の時代を生きた父と母ですが、生まれた場所や環境によってこれほど違うものかと、今回二人から聞いた話を思い出し改めて感じました。
募集要項
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- 締切
- 2月28日(金)
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