殺傷武器の輸出解禁に反対します 写真提供/航空自衛隊ウェブサイト

2026年4月21日、高市内閣は「殺傷能力のある武器」の輸出を全面的に解禁しました。
高市首相は「(平和国家としての)これまでの歩みや基本理念を堅持することに全く変わりはない」と話していますが、本当にそうでしょうか。
「通販生活」では2年前、2024年盛夏号でこの大問題を特集しました。
当時の岸田内閣がイギリス、イタリアと共同開発する時期戦闘機の輸出を、「閣議決定」で決めてしまったのです。
この特集、いま読み直しても論点はまったく変わっていません。
日本は、殺傷武器を輸出する国になっていいのでしょうか?その決め方は、閣議決定でよいのでしょうか?
「通販生活」2024年盛夏号に掲載したお三方の意見を、ぜひもう一度お読みください。

私はこう考える。

  • 川崎 哲さん

    川崎 哲さん

  • 青井 未帆さん

    青井 未帆さん

  • 小泉 悠さん

    小泉 悠さん

川崎 哲さん

川崎 哲さん

ピースボート共同代表

殺傷武器の輸出解禁は、
「平和国家」のイメージを
大きく損なうものです。

第二次世界大戦後の日本では憲法九条に立脚して、外交・防衛に関わる重要な方針が、国会答弁や国会決議を通じて形づくられました。それが「専守防衛」「非核三原則」、そして「武器輸出三原則」です。これらは憲法や法律で定められてこそいませんが、国の成り立ちに関わる重要な基本政策、国是というべき存在です。

武器輸出三原則は1967年、佐藤内閣で初めて表明されました。共産圏、国連決議で武器輸出を禁止されている国、そして紛争当事国への輸出を禁ずる内容でしたが、76年、三木内閣のときに「相手国にかかわらず禁止」と厳格化されます。その後、中曽根内閣でアメリカへの武器技術供与の例外化、民主党野田内閣で「平和貢献・国際協力に伴う海外移転容認」と緩和されましたが、「基本的には禁止」という大原則は残っていました。

それを大きく変えたのが2014年、第二次安倍内閣です。軍事強化路線を突き進む安倍政権は、その一環として武器輸出三原則をやめ、代わりに「防衛装備移転三原則」を定めたのです。「防衛装備」とは要するに「武器」のことです。それを「原則として輸出OK、ただし紛争当事国へは禁止」と、「原則」と「例外」を転換させるものでした。

ただ、その時点でもまだ、殺傷能力のある武器の輸出は認められていません。そこに踏み込んだのが、22年12月に岸田政権下で閣議決定された「安保関連三文書」です。敵基地攻撃能力の保有を認めたほか、殺傷能力のある武器も輸出可能とする方向へ舵を切ったのです。そして昨年の閣議決定で、殺傷武器についても「他国の特許を使ったライセンス品ならば可能」「掃海や救難目的であれば可能」などと解禁されてしまいました。そして今年3月、外国と共同開発した戦闘機の第三国輸出解禁まで閣議決定されたわけです。

武器輸出規制をめぐる動き

1967年 佐藤栄作内閣
共産圏や紛争当事国などへの武器輸出を禁止する「武器輸出三原則」を表明。
1976年 三木武夫内閣
平和国家の立場から三原則以外の国にも輸出を禁じる政府統一見解。
…事実上の全面禁輸宮沢喜一外務大臣は「わが国は兵器の輸出をして金をかせぐほど落ちぶれてはいない」。
1983年 中曽根康弘内閣
アメリカを例外扱いとする「対米武器技術供与についての談話」を発表。
…初の例外化
2011年 野田佳彦内閣
平和貢献や国際共同開発であれば輸出を可能とする官房長官談話。
…三原則に穴
2014年 安倍晋三内閣
「武器輸出三原則」に代えて「防衛装備移転三原則」を閣議決定。
…禁輸から転換(殺傷武器は認めず)
2023年 岸田文雄内閣
「防衛装備移転三原則」と運用指針を改定。
…殺傷武器の輸出も容認
2024年3月 岸田内閣
イギリス・イタリアと共同開発する次期戦闘機の日本から第三国への輸出解禁

経済界と政府の思惑が結び付き、
軍事開発にお金が出るように。

こうした変化の背景には、武器の開発や製造で利益を得たい企業の存在があります。経団連は長年、「企業の防衛部門への公的支援」を政府に要請してきました。一方政府の側にも、最先端技術で他国に後れを取りたくない思惑がある。それらが結び付いて、企業や学術機関の軍事研究・開発に政府が巨額のお金を出す流れができました。そして、武器をたくさん作れば利益を伸ばせるという発想が、武器輸出解禁につながったのです。

今回、ウクライナ戦争などで国際社会の緊張が高まり、中国との関係も悪化して、政府は軍事力で対抗する方針を取っています。防衛費倍増もその表れですし、23年には「同志国」の軍隊に武器を提供するOSA(政府安全保障能力強化支援)が創設されました。これで「中国を包囲する」というのです。

しかし、日本が軍事力を強化すれば、当然周辺諸国も警戒感を高め、軍拡競争を呼び起こします。アジアにおける軍事費の伸びは近年、世界的に見ても際立っています。巨大な武器マーケットがアジアですでに構築されているのです。政府は「平和国家の理念は変わらない」と言いますが、こうした状況を見れば、実際には憲法九条に基づく大原則が根底から覆されつつあるのは明らかです。

世界を覆う〝分断〟とは異なる
発想で、日本は対話推進の役割を。

二度の原爆を経験し、戦争の痛みを深く知る国として、軍事力ではない形で平和構築に貢献してほしい──。私はピースボートで世界をめぐる中で、世界の人々が「平和国家」日本に抱く強い期待を感じてきました。紛争地などでも、日本に信頼を寄せる現地パートナーの存在が、私たちの安全を担保してくれていると実感します。

殺傷武器の輸出解禁はこうした人々の信頼を、そして「平和国家」のイメージを大きく損なうものです。紛争国に輸出しないといっても、いったん国外に出た武器や技術がその後、どこで使われるかはわからず、ウクライナやガザで起きているような戦争や虐殺に使われる可能性もあるのです。

世界では「民主主義と権威主義」といった〝分断の時代〟が始まりつつあります。だからこそ、それとは違う発想──憲法九条が掲げる「軍事力以外の形での問題解決」という考え方を広げていくことが、日本の役割ではないでしょうか。

たとえば、兵器の国際移転に関する規制を定めた「武器貿易条約」を拡大し、規制強化を呼びかける。あるいは災害や紛争後の復興支援、自然環境の修復支援などのほか、東アジア地域で、平和共同体のような枠組みを構築することも有用でしょう。

周辺国と無条件に「仲良く」なる必要はないけれど、問題解決のための対話まで拒否すれば本当に戦争になってしまう。対立関係にあったとしても双方が安全を確保でき、共通の利益を得られる道筋を見出すことはできるはずだし、そうした方向性をこそ、日本は目指すべきだと思います。

青井 未帆さん

青井 未帆さん

学習院大学教授

安全保障政策の議論が
憲法九条と完全に
切り離されています。

今年3月、岸田政権はイギリス・イタリアと共同開発する次期戦闘機について、日本から第三国への輸出を解禁する方針を閣議決定しました。これまで認められてこなかった、高い殺傷能力を持つ戦闘機の輸出が可能になったのです。

なぜ、これほど大きな方針転換が、国会での決議ではなく閣議決定によって行なわれたのか。それは、武器輸出のルールを定めた「防衛装備移転三原則」や「武器輸出三原則」が、国会で定められる法律ではなく、政府の「内部方針」という位置付けだからです。一時期、法律にするべきとの議論もありましたが、「何をもって武器と呼ぶのか」といった定義をすべて法に書き込むのは不可能ですし、刻々と変化する国際状況をその都度反映できないなど、法律で定めるのが難しい面があるのは事実だと思います。

ただ、内部方針というと政府が勝手に運用できるように聞こえますが、そうではありません。法律ではなくても、これらの原則は非常に深いところで憲法九条と結び付いて理解されてきました。

武器輸出は本来、とても強力な外交カードの一つです。武器輸出三原則は、そのカードを日本は「持たない」という選択をし、企業の経済的自由よりも「平和国家」としてのあり方を優先させるものでした。時代とともに禁輸の条件が緩和されてきたとはいえ、他国と比べて圧倒的に抑制的な政策が採られてきたことは確かです。

そうした、他国にはない非常に特殊な政策が国民に広く受け入れられてきた。それが可能だったのは、やはり「日本は平和国家だから」という国民の思いがあってこそだと思います。その意味で武器輸出三原則は、憲法九条をもっとも具現化した政策だったといえます。

それだけ国民に定着していた原則を、閣議決定のみで変えてしまうことが許されるのか。そもそも武器輸出三原則が国会での議論をきっかけに生まれてきたものであるという出自を考えても、本来ならしっかりと国会で議論することが必要だったはずです。政府の国民への説明責任、透明性という点でも、正当性を持ち得ません。

悪しき慣行の始まりは、
集団的自衛権行使容認の閣議決定。

重要な事項を国会を通さずに決めてしまう悪しき慣行ともいえる手法は近年、何度も繰り返されてきました。中でも大きな転換点になったのは2014年、集団的自衛権行使容認の閣議決定です。

戦後日本の安保政策の一大転換を国会を通すことなく決めたわけですが、当時は政府も「これは憲法違反ではなく、解釈の変更に過ぎない」と説明する姿勢がありました。ところがそれ以降の閣議決定では、憲法との関係性についての説明はほとんどなされません。安保政策に関する議論が、憲法九条と完全に切り離されているのです。

この切り離しは、もちろん意図的なものです。政府としては、14年に集団的自衛権行使を認めた際の憲法解釈変更の枠組みの中にすべて含まれるから、憲法九条との関係性についての説明や議論はもう必要ないという考えなのでしょう。今回の戦闘機共同開発ではイギリス、イタリアと条約を結ぶことになるため、国会で承認を受ける必要があります。しかし、その議論においても、与党のみならず野党もほとんど憲法に触れないまま審議が進んでいます。

国会での議論がなければ報道は少なくなります。メディアも憲法に関する論点をわざわざ拾い上げようとはしません。その結果、国民の関心が薄まるのは避けられないことかもしれません。しかし、国民が声を上げなければ、政府は決して自分たちから説明しようとはしません。だから私たちは、忘れることなく「これはおかしい」「憲法問題ではないのか」と言い続けなくてはならないのです。

もちろん、選挙を通じて民主的な政治プロセスが働くようにするのは大前提です。それだけではなく、「安保法制違憲訴訟」のように司法を巻き込んだり、路上に出て声を上げたりするなどさまざまな手段で自分の意思を示していく。それが当たり前だと考える文化を醸成していかなくてはならないと思います。

通販生活読者も反対しています。

24年4月、メールアンケートを実施。回答者数2257人。

Q 殺傷能力のある武器の輸出解禁について

殺傷能力のある武器の輸出解禁についてのアンケート結果

Q 武器輸出に関する方針転換が
閣議決定だけで行なわれることについて

武器輸出に関する方針転換が閣議決定だけで行なわれることについてのアンケート結果

「殺す側」ではなく「殺される側」に
足場を置いて考える。

私は殺傷能力の高い戦闘機を日本が共同開発することに反対ですし、それを第三国輸出するなどあってはならないと考えています。政府は「安全保障上のリスクからの判断だ」と言いますが、私たちはそうした「リスク評価」ができるわけではありません。しかし、「それなら仕方ない」と黙ってしまっていいわけがない。「殺す側」ではなく「殺される側」に足場を置いて考え続けるのが、私たちの役割なのではないでしょうか。

憲法九条の原点には、かつて多くの人の命が失われた戦争への反省に立った、「二度と戦争は許さない」という思いがあったはずです。そこから戦後をスタートした日本が、「自分たちの国がつくった武器で人が死んでも構わない」とするのは、あまりにおかしい。「人が戦争で死ぬことがあってはならない」という、私たちの原点に立ち返るべきだと思います。

小泉 悠さん

小泉 悠さん

東京大学先端科学技術研究センター准教授

武器輸出は必要ですが、
国民的な議論をせずに
決めたことは大問題です。

2022年にロシアがウクライナに侵攻してから、まもなく2年半。今年に入ってロシアが優位に立ちつつあります。長期化するこの戦争で明らかになったのは、現代においても実は、領土を奪い合うタイプの戦争では「兵士と砲弾の数が多いほうが有利」ということだと思います。

近年、テクノロジーの進歩とともに兵器は高性能化しています。しかし、一方が高性能の兵器を持てば、相手も同じような能力を備えるので、そう簡単に優勢にはなれない。しかも、現在の戦場ではドローンが飛び回り、どこで何をしているかが互いに丸見えなので、どちらも身動きが取れない……。そうなると、非常に古典的な〝腕っぷし〟の勝負、つまり一日に何万発大砲を撃てるかが勝ち負けを決めることになります。「ハイテク技術の登場によって、戦争のあり方は一世紀前に戻ってしまった」という指摘もあるくらいです。

こうなると強いのがロシアです。ロシアはハイテク技術には弱いのですが、〝ローテク産業大国〟なんです。国内に巨大な軍事産業があり、砲弾から何から、輸入が滞っても国内で生産できる体制が整っている。平時には極めて非効率なやり方が戦時には優位に変わるのです。その巨大な生産能力にウクライナが手を焼いているのが現状です。

たとえば、いま一般的に使われている大砲の砲弾を、ロシアは年間300〜350万発生産できるといわれています。加えて、北朝鮮からも100〜200万発輸入している。ところがウクライナを支援するアメリカやヨーロッパは、頑張っても合計200万発強くらいしか生産できていない。ロシアの半分以下なわけで、これでは戦況は厳しいはずです。

武器輸出は、軍事安全保障戦略の
一環として必要なもの。

そうした状況の中で、日本の武器輸出をどう考えるのか。よく「死の商人」という言葉が使われます。儲かりさえすれば誰にでも武器を売る、ときには戦争を煽るような「商人」がいるのは事実です。日本もそうした商人の仲間入りをして、世界中に武器を売っていくべきだとは、僕は思いませんし、ノウハウがないので無理でしょう。

そもそも、日本で武器を生産している企業は、決してそれによって膨大な利益を得ているわけではありません。どこの国でもそうですが、自国政府に武器を納める場合は輸出時より利益率が低く設定されていて、儲けようがないのです。それで撤退を決めた企業もたくさんあるし、手を引きたいけれど「国へのご奉公」だからといってなんとか続けているメーカーもあります。

さらに、兵器が非常に複雑化してきた結果、一国単独での開発はほとんど不可能になっています。特に戦闘機はそうです。もし共同開発を認めないのであれば、日本は極めて高い費用を支払って他国から入手するほかないことになります。

また、昨年11月、日本からフィリピンに防空レーダーが納入されるなど、防衛装備品のアジア諸国への移転も進められていますが、これも商業的な面よりも、周辺諸国の防衛力を向上させることによって中国の軍拡に対抗する意図が強いと思います。

つまり、日本の武器輸出はあくまで軍事安全保障戦略の一環であって、「死の商人」のようなものとはまったく別物です。こうした形の武器輸出は、抑止力を向上させて安全を守るために必要だと僕は考えています。

憲法前文が示す目標を実現するには、
どうすればいいのかを考えたい。

とはいえ、その方針変更について政府がきちんと説明も議論もせず、閣議決定のみで進めてしまったことは大問題です。やはり国会の場を通じての、国民的な議論が必要だったと考えます。軍事的合理性だけを考えるなら、防衛のプロである自衛隊だけで決めればいいのかもしれません。しかし、そのように一部の人たちだけで大事なことを決めてしまう社会を否定するのが、民主主義国である日本の国是であるはずです。

僕は、日本が守るべき最大の価値はこの民主主義だと考えています。もちろん、政治や社会のあり方に相当問題はあるけれど、それを批判したところで命を狙われることはない。その意味では100点満点の60点くらい、民主主義の国として合格点は取れているのではないでしょうか。

武器輸出について考えるべきは、その守るべき価値──民主主義に反するような、権威主義的な国とは取引をしないということだと思います。中国、ロシア、北朝鮮という三つの仮想敵国がいずれも核を保有する状況で、これらの国々と日本が仲良くする選択肢は、現状では難しい。であれば、軍事的対立が続くことは受け入れた上で、戦争にまで至らない方法を考えることが現実的なあり方だと思います。

僕は、日本国憲法の前文がとても好きなんです。公正な国際秩序をつくり、その中で「名誉ある地位を占めたい」という前文に書かれている目標には非常に共感するし、それを実現するためにはどうすればいいのかを考えたい。安全保障の研究を続けているのは、そのためなのかもしれません。

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