現代日本を代表する俳優の役所広司さん。最新の配信ドラマはコメディ作品で、自身の生業でもある〝俳優役〟を演じています。一方で、歴史の渦中を生きる人物も多く演じてきた役所さん。そこにはどんな思いがあるのか、たっぷりと伺いました。
聞き手・文/門間雄介 撮影/興村憲彦
更新日:2026年10月29日
1956年、長崎県出身。仲代達矢主宰の「無名塾」を経て、多くの映画、テレビドラマで活躍。映画『Shall we ダンス?』(96年)、『うなぎ』(97年)ほかで数多くの映画賞を受賞。映画『時には懺悔を』が全国公開中。また、12月13日(日)まで鎌倉市川喜多映画記念館にて【特別展】「LIVING IN CINEMA 俳優 役所広司」が開催中。
人の記憶にだけ残る舞台俳優の仕事は、
いずれ完全に消えてしまう。
それがロマンティックでいいんです。
──役所さんの最新主演作となるNetflixシリーズ『俺のこと、なんか言ってた?』は、ある日突然、世界から忘れ去られてしまった舞台俳優が再起を図る物語です。抱腹絶倒のコメディでありながら、映像制作の現場が直面する労働環境への問題提起も盛り込まれています。
俳優が主人公で、撮影現場の様子も描かれますが、この業界では今、働き方を巡るさまざまな問題が取り沙汰されています。パワハラだセクハラだと、世間の関心も集まる問題を織り込んで、宮藤官九郎さんがすばらしい脚本を書いてくれました。コメディの枠にとどまらず、働き方についてあらためて考え直す、ひとつのきっかけになるような作品かもしれません。
世界から忘れられた俳優が人生を生き直す。
Netflixシリーズ
俺のこと、なんか言ってた?
10月22日より世界独占配信
脚本/宮藤官九郎 監督/金子文紀、坂上卓哉、渡部篤史
出演/役所広司、賀来賢人、松山ケンイチ、江口のりこ、濱田雅功、吉田羊
誰もが知るベテラン俳優・高瀬川玄(役所広司)は、ロンドンでの舞台公演の成功直後に世界的なパンデミックに見舞われる。2年後に帰国すると、家族・名声・金とともに、人々の記憶からも消えていた。人一倍“承認欲求”が強い高瀬川が、どん底から人生の再起を図るコメディドラマ。
──役所さんご自身も、現場の労働環境の健全化に向けて、積極的な提言をしてきました。改善が進んでいる手応えはありますか?
多少はあるかもしれませんが、このドラマが世界で配信されたら、それぞれの国の環境と比較して、観た方はどんなことを思うのか。映像制作の現場は過酷で、どの国も似たり寄ったりなところがあります。しかしその中でも、日本は後進国です。この業界に関わる人たちは基本的にフリーランスなので、コロナ禍で生活が続けられなくなり、夢をあきらめた人たちもいたに違いありません。俳優もスタッフも、その仕事だけで食べていけるくらい、賃金が底上げされるのが望ましい。ただそこに到達するまでには、まだまだ長い時間がかかりそうです。このドラマを通じて、制作現場の厳しい現状を少しでも理解していただければいいなと思います。
──そのような厳しさが描かれる一方で、作品作りに真摯に取り組む、俳優やスタッフたちの姿も印象的です。
俳優というのは儚い仕事で、ほんの短い間、認識されたり評価されたりしても、やがて忘れ去られてしまいます。名作といわれる映画に出演すれば、100年後に顧みられることもあるでしょうが、人の記憶だけに残る舞台俳優の仕事は、いずれ完全に消えてしまう。でもそんな儚い一瞬のために、すべてを尽くす俳優やスタッフたちが、とても美しいもののように感じます。舞台だって、歴史には残らないかもしれませんが、観客の心には最後の瞬間まで残り続けるかもしれない。それがいいと思うんです、ロマンティックで。
──このドラマのおもしろさのひとつは、役所さん扮する主人公が強い〝承認欲求〟に駆り立てられて、なりふり構わずに行動するところです。
彼はまわりに認めてもらうことがとにかく好きなんでしょう。でもそれ以上に、芝居をすることが好きなんです。俳優は前面に顔が出る仕事なので、承認欲求のない人などいないのかもしれません。このドラマの主人公は、それを隠そうとしても隠し切れないタイプなのでおもしろいんですが。ただ最終的に、俳優の仕事にいちばん大事なものは、好きという気持ちなんだと思います。演じることが本心から好き。それを見て喜んでくれる観客が好き。決してお金儲けのためにやっているのではない。その気持ちが、誰も観たことのないものを作ろうという、強いエネルギーにつながっていくはずです。
──その点、精力的に作品に出演し続ける役所さんは、「好き」という気持ちがまだまだ枯れそうには見えません。
いえ、ここだけの話、俳優の仕事を好きなのかどうかさえ、そもそもよくわからないんです。なぜこんなに台詞を覚えなければいけないのか、なぜこんなに苦しいことをしなければならないのかと、いつも考えてしまいます。ただ作品を作り終えて、一緒に苦労した仲間たちと労をねぎらう、そのエンディングはやっぱり悪いものじゃない。俳優の仕事は、共演者や大勢のスタッフに支えられていて、ひとりでできるものではありません。自分には見当もつかないような発想を持つ人たちと出会い、関わっていくことが、自分はとくに好きなのかなという気がします。
日本が崩壊してしまうような
危機的状況にあったことを
伝えていかなければいけない。
──2023年のNetflixシリーズ『THE DAYS』では、福島第一原発の事故を題材に、事態の収束に当たった吉田昌郎所長役を演じました。どのような思いで作品に臨みましたか?
プロデュースと脚本を務めた増本淳さんが、ずいぶん取材をされて、できるだけ事実に忠実に描こうとした作品です。吉田所長については、さまざまな資料も、事故当時の音声も残っていたので、その音までなるべく聞いて準備に当たりました。素顔の吉田所長は、スポーツが好きで、おもしろい方だったようです。彼にとっていちばん苦しかったことは、自分の部下に犠牲者が出てしまったことでしょう。国を守ること、部下を守ることが、彼の最大の目的だったはずですから。あの時、命を懸けて戦った人たちがいたことや、それでも人間の手には御せないものがあったことは確かです。下手したら、日本は本当に崩壊してしまうような危機的状況にあった。そのことを伝えていかなければいけないと思っていました。
原発事故対応を指揮したリアルな実録ドラマ。
Netflixシリーズ
THE DAYS(2023年)
Netflixほかで配信中
企画・脚本/増本淳 監督/西浦正記、中田秀夫
原案/門田隆将『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』(角川文庫刊)
出演/役所広司、竹野内豊、小日向文世、小林薫、音尾琢真、光石研
製作/ワーナー・ブラザース映画 制作/リオネス
2011年3月11日、巨大地震と津波に襲われ、全電源を喪失する未曾有の事故が起こった福島第一原子力発電所。原子炉の爆発を阻止するため、政府や電力会社、そして命懸けで作業にあたる現場の作業員との間で葛藤しながら陣頭指揮を執った所長の吉田昌郎を、役所が演じた。
──ただ演じるだけでなく、事実を伝えたい、多くの人に知ってもらいたい、という思いが強かったと。
そうです。事故が収束に向かう数日の間に何が起きていたのか、国民には知る権利があります。出演の依頼を受けた時、増本さんは「福島第一原発が廃炉になるまで、このドラマシリーズを作り続けていきたい」と話していました。素晴らしい企画だと思いました。原発を扱う作品は、ネット配信のNetflixだから制作できましたが、日本の地上波放送では不可能です。ニュース番組ですら、以前は原発の話題にストップがかかることもありました。でもそういう時代は超えていかなければいけませんよね。
──作品を通して、今後の理想的なエネルギーのあり方についても考えさせられます。
作品のメッセージは観る方がひとりひとり感じてくださればいいことです。ただ原発は使用済み燃料を処理するのに何万年もかかります。何万年も時間が経てば、地中深くに埋めた廃棄物の文字やマークが、その時代の人たちにはもはや認識できなくなっている恐れもある。
戦争や紛争が各地で起きる今、エネルギーを安定して確保するために、ますます原子力は重宝されるのかもしれません。「二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギー」などと言われたらなおさらです。でも未解決な問題が山積みな中で、原子力の使用には慎重であるべきではないか。違うかたちでのエネルギー供給ができれば、それがいちばんいいと考えています。
──『THE DAYS』のように、実際に起きた出来事や実在した人物を演じる時の心構えは、フィクションを演じる時とどう異なりますか?
その人のことをできるだけ知っておきたいので、資料は可能なかぎり読みます。お墓を訪ねたり、関係した人の話を聞いたりして、その人の痕跡にも触れるようにしています。その上で想像して、キャラクターを作り上げていくわけですが、責任は重大です。子孫の方からおかしいと思われないようにしないといけないし、「俺はそうじゃない!」と本人から怒られたらいけない。それが演じる者の責任です。
われわれが知っている歴史には、
意外と嘘偽りがあるのかもしれません。
歴史を伝えていく試みには、
なるべく参加していきたい。
──役所さんの出演した映画を振り返ると、山本五十六を演じた『聯合艦隊司令長官 山本五十六 ‐太平洋戦争70年目の真実‐』(2011年/成島出監督)や、終戦時の陸軍大臣である阿南惟幾を演じた『日本のいちばん長い日』(2015年/原田眞人監督)など、歴史上の人物を演じた作品が多いことに気づきます。どういった理由からですか?
最近は幕末から太平洋戦争前後の話が多かったと思いますが、日本が道を誤ってしまった理由や、その過程で判断を下した人物の思いを知りたいんです。そして今を生きるひとりとして、それを伝えていきたい。たとえば『峠 最後のサムライ』(2022年/小泉堯史監督)の河井継之助は、判断を間違えた結果、戊辰戦争で長岡藩を焼け野原にしてしまいます。
──『峠 最後のサムライ』は、平和的な解決を望みながら戦争に突入してしまう、幕末の長岡藩の家老・河井継之助の物語です。
河井継之助は今でこそ英雄ですが、戊辰戦争の直後は周囲の反感を買ったからか、墓石を訪ねると傷跡だらけでボロボロでした。山本五十六もアメリカとの戦争に反対していたけれど、結局は真珠湾攻撃を決行することになる。山本五十六の物語や『日本のいちばん長い日』は、これまで何度か映画化されてきましたが、そうやって伝え続けることが大事なんだと思います。
──『蜩ノ記』(2014年/小泉堯史監督)で演じた江戸時代の武士・戸田秋谷は家譜の編纂に携わり、歴史を嘘偽りなく、正しく伝えることを信条としていました。そんな秋谷のキャラクターと、役所さんの伝えたいという思いはどこか重なるように感じます。
われわれが知っている歴史には、意外と嘘偽りがあるのかもしれません。しかもたくさん(笑)。
ただ時代によって解釈が変わったり、もし新たな事実が出てきたら、別の視点からその出来事を捉え直したりできるかもしれない。だから歴史を伝えていく試みには、なるべく参加していきたいんです。
敗戦直後の混乱を生きた子どもたちの活劇。
わたしの知らない子どもたち
10月16日より全国にて公開中
原案・脚本・監督/西川美和
出演/小八重葵美、二階堂ふみ、岡田准一、田中裕子、役所広司ほか
配給/K2 Pictures
©2026 K2 Pictures・AOI Pro.
役所広司主演の映画『すばらしき世界』(2020年)の西川美和監督最新作。終戦後、孤児になった12歳の少女・琴子(小八重葵美)や、教師・文美子(二階堂ふみ)らが、混沌とする戦後の東京で必死に生きる術を探していく。役所は、矯正施設寮から逃げ出した子どもたちに力を貸す漁師夫婦を、田中裕子とともに演じた。
──10月16日公開の『わたしの知らない子どもたち』では、一転して名もなき市井の人を演じました。戦後間もない時代を舞台に、戦争孤児たちが生き延びていくさまを描いた作品です。
戦争孤児を通して戦争について語る映画は、日本ではそれほど多くなかったような気がします。でもテレビのニュースなどで戦場が映ると、犠牲になっているのはたくさんの子どもたちです。その中には親を失い、孤児になってしまう子もいる。見守ってくれる大人がいないなんて、それほどかわいそうなことはありません。でも西川美和監督は、戦争孤児たちをただかわいそうな存在として描くのではなく、彼らを通して、戦争がすべてを狂わせるのだと主張しています。脚本を読んだ時点で、西川さんらしい戦争映画だなと感銘を受けました。
でき上がった作品を観たら、子どもたちの俳優としての表現が何より素晴らしい。彼らにも承認欲求はあるのかもしれませんが、大人と比べたらはるかに無邪気です。大人は彼らに絶対勝てません。子どもたちの目の表情はこんなにも雄弁なのかと、あらためて気づきました。
──戦争を体験していない世代として、戦争を語り継ぐことにどんな意義を感じていますか?
僕たちが子どもだった頃、学校で戦争について詳しく教わることはありませんでした。なぜ日本は戦争をしたのか、なぜよその国に土足で踏み込んでいったのか、教わる機会はなかったはずです。もしかしたら教育の場が、その辺りを避けてきたのかもしれません。でも映画という媒体が何かきっかけを作ってあげれば、実際には戦争を体験していない人たちにも、もっと知りたいという思いが生まれるにちがいない。日本という国として、語り継いでいかなければならないのは明らかです。そして映画も、ビジネスの観点で捉えるだけでなく、つとめて取り組んでいかなければならないことだと思います。
──海外ではホロコーストを扱った映画が、毎年何作も作られています。決して忘れることがないように作り続けているのだとしたら、日本も作り続けなければいけないのかもしれません。
ええ、嘘偽りのない、正しい映画を。子どもの頃、たとえばアメリカの戦争映画を観ていて、戦っている敵国は一方的な悪だと思っていました。原爆に関しても、戦争を早く終結させるために必要だったと信じている人が、アメリカにはたくさんいるようです。日本でも戦意高揚を目的に作られた映画もあったと思います。戦争に関連した表現は、確かに難しい部分があります。戦争映画は戦った人たちや戦闘シーンを「美しく」見せてしまうこともあります。間違って受け取られないために、戦争映画は慎重に作らなければいけません。
戦争を経験された仲代達矢さんや
三船敏郎さんが築いてきた、
価値あるものを引き継いでいく。
──師匠である仲代達矢さんには、どんな影響を受けてきましたか? 仲代さんは戦時中に空襲を受けた経験もあり、反戦と平和への思いを最後まで貫きました。
仲代さんは、戦後も食べるものに困るような体験をされた方で、戦争は二度とあってはいけないと強く考えていました。俳優として脚光を浴びた『人間の條件』(1959~61年/小林正樹監督)も、戦争の非人間性を描いた映画でしたし、最後に出演した舞台『肝っ玉おっ母とその子どもたち』も反戦がテーマです。その影響はほとんど無意識に受けてきました。仲代さんに限りません。三船敏郎さんも戦時中は兵役に就いていた方なので、三船さんが演じる戦争映画は気迫が違う。そんな仲代さんや三船さんが関わってきた日本映画を観て、影響を受けてきたわけですから、先輩たちが築いてきた価値あるものを引き継いでいかなければいけません。
──その責任も、きっと重大です。
そう思います。ただウクライナやガザのニュース映像を見ると、戦争のかたちが大きく変わってきたのを痛感します。無人のドローンが爆撃するなどして、戦争は人の痛みを感じにくいものになってきている。でも爆撃によって煙を上げている建物の下には、紛れもなく人間がいます。そんなことをいつまで続けるつもりなんでしょうか。