戦後81年も戦争を忘れない。「黒川の女たち」を知っていますか?

2025年に公開された映画『黒川の女たち』は、
戦争が、女性たちに何をもたらすのかをえぐり出した作品です。
1945年の満州の地で何があったのか――。
つらいシーンがあります。
でも、見ているこちらが救われるシーンもあります。
これからもずっと〝戦後〟を続けていくために、
この映画を観ていただけませんか。

私たちが推薦します

画像:上野千鶴子さん

上野千鶴子さん

画像:落合恵子さん

落合恵子さん

画像:梯久美子さん

梯久美子さん

画像:安田菜津紀さん

安田菜津紀さん

画像:斎藤美奈子さん

斎藤美奈子さん

画像:上野千鶴子さん

上野千鶴子さん

社会学者

国と軍隊は国民を守ってくれません。黒川の女たちが教える教訓です。

黒川の女たち、って言われてもわかんないよね。戦争中、てか、いまのロシアとウクライナのように、日本が勝手に中国を侵略したときに、国策で大量の日本移民を傀儡国家、満州に送りだした際に、岐阜県の黒川村から分村移民した黒川開拓団の若き女性たちのことです。

敗戦直前の1945年8月9日、日ソ中立条約を破ったソ連軍がソ満国境を越えて侵攻したときに、関東軍はさっさと開拓民を置き去りにして撤退していました。自分たちの田畑を奪った開拓民に恨みを持っていた現地の人たちからの略奪から身を守るために、武装したソ連軍に護衛を頼んだ黒川開拓団の長老たち。それまでに闘える男たちは「ねこそぎ動員」で徴兵され、ソ満国境に配置。このにわか兵士たちが捕虜としてシベリア抑留されたことも覚えておいてください。ソ連兵が代わりに要求したのが「女を出せ」。兵隊さんの妻は出せないと、彼らが頭を下げたのが17歳以上の未婚女性15人。うち2人は苛酷な体験から現地で亡くなりました。

帰国してからも受難は続きます。共同体の中では誰がどんな目にあったかは誰でも知っています。「嫁にいけないカラダ」になった彼女たちは、生きて戻った故郷の村にもいられません。彼女たちの受難は、触れてはいけない「忘れたい過去」になりました。

戦後約40年経って1982年に、忘れない、と「乙女の碑」を建立。でも説明がありません。さらに遺族会が代替わりして、2018年にようやく「説明文」が入りました。「忘れてはならない」と顔をさらして証言した元「乙女」たちがいたからです。除幕式には生存者のうち2名の女性が出席を拒みました。

それからさらに7年。コロナ禍を経て彼女たちの人生を追いかけた監督のカメラは、顔をさらして一同に集まり、談笑に興じる老いた「乙女」たちの姿を映し出します。ひとりの女性の孫娘は、「おばあちゃんを誇りに思う」と口にします。性暴力は加害者の罪であって、被害者の恥ではない。「#MeToo」と声をあげてきた女性たちが、社会の見方を変えたのです。そこに至るまでおよそ70年。乙女たちは90代になっていました。教訓。長生きはするもんだ。

民衆は三度国家に捨てられる。一度は移民という国外への棄民によって。二度目は敗戦時に辺境に放置されて敵の人々に蹂躙されることによって。三度目は命からがら生き抜いた人々を、差別し排除するというむごい処遇をすることによって。国と軍隊は国民を守ってくれません。男たちも同じ。女を守ると見せかけて、つけこみ、利用したら使い捨てる。これも、黒川の女たちが教える、もう一つの教訓です。

画像:岐阜県白川町・佐久良太神社の「乙女の碑」

岐阜県白川町・佐久良太神社の「乙女の碑」。

画像:落合恵子さん

落合恵子さん

作家

いま、ここから、それぞれのわたしから。あらゆる機会に、その声を。

ノルウェーの社会学者で、「平和学の父」と呼ばれたヨハン・ガルトゥングが唱えた「積極的平和主義」。2024年に亡くなった彼は、戦争のない状態を「消極的平和」と定義し、貧困や飢餓、差別等、構造的暴力がない状態こそ、「積極的平和」という形態であると主張した。

『黒川の女たち』で証言した女性たちが被った、筆舌に尽くしがたい(想像しただけで、どうにかなりそうだ)無念さ、悔しさ、腹立たしさ、孤立感を、わたしたちは、過去の不幸な出来事として葬り去ることはできない。あれこそが、戦争の根っこそのものである。しかし一方、有事でなくとも、そこが「満州国」でなくとも、性暴力、性接待(なんという言葉か!)は存在する。

この国にある米軍の基地の70数パーセントがある沖縄。そこで発生する米兵による沖縄の女性への性暴力事件。支配と被支配、力学の構造が生み出した許容しがたい暴力である。より力在るものが、より力ないものを「力」によって支配すること。それは、あらゆるところに散在する暴力の構造以外のなにものでもない。

黒川の女性たちが強要され、逃亡することも拒絶することも許されなかった「性接待」と言う暴力=魂の殺人は、21世紀も4分の1を経た今も、たとえばテレビ局の一部においても半ば習慣化していたことをわたしたちは知らされた。「あれ」と「これ」は別なのではない。あれもこれも支配なのだ。国策が生み出した性暴力。視聴率競争が招きいれた暴力。

満州から帰国しても、差別と偏見、誹謗中傷に晒された黒川の女性たち。沈黙がようやく破られ、重すぎる蓋がとられつつあるいま、社会への、平和への問いかけをわたしたちは再び「ここから」始めなければならない。加えるならば、「人権」への問いかけもまた。排他主義もまた、構造は同じだ。

並行して、先の戦争で「性奴隷」とされた近隣のアジアの、当時の少女たち。すべて未解決のまま、わたしたちは再び軍拡、戦争への道を踏み出そうとするのか。あらゆる機会に、声をあげよう。

あなたから、わたしから。

画像:2013年、性被害を実名で初めて証言したヤスエさん(右から3人目)

2013年、性被害を実名で初めて証言したヤスエさん(右から3人目)。

画像:梯久美子さん

梯久美子さん

ノンフィクション作家

日本が推しすすめた国策には、弱い者の犠牲が組み込まれていた。

はじまりから間違っていたのだ、すべてが。

満州を「まぼろしの国」と呼ぶことがある。なんとなまぬるい言い方であることかと、この映画を観て改めて思う。日本という国家の、欲と思い上がりによって捏造された、国ではない国。それが満州だった。

満蒙開拓は、日本政府の「百万戸送出計画」によって国策となった。1936年のことである。大量の移民は、満州国の権益を確かなものにすると同時に、国境を接するソ連に対する盾としての役割も担わされた。

メディアは新天地への夢をあおり、自治体も教育界もこぞって移民を推奨した。狭い日本を飛び出せ、満州に行けば二〇町歩の地主になれると。

移民たちを迎え入れたのは、多くはすでに耕された土地だった。現地の人々から安値で買い叩いたものであったことが、映画の冒頭近くで説明される。

こうした歴史的な経緯から語り起こされているのが、この映画の信頼できる点であり、観る価値がある理由のひとつである。

黒川の女性たちは、たまたま酷い目に遭ったのではない。それは「運命」などではないし、この開拓団だけの問題でもない。日本が推しすすめた国策には、はじめから、弱い者の犠牲が組み込まれていたのだ。

満蒙開拓についてかつて調べたことのある私は、書籍やテレビドキュメンタリーによって、黒川開拓団の女性たちがソ連兵への「接待」を強要されたことを知っていた。だから、この映画を観るには覚悟が要った。

事実を知ること、当事者の声を聞くことは絶対に必要で、避けてはならない。だが、あまりに辛く、口惜しく、腹立たしいあの思いを、またしなければならないのか、と。

けれども、観終わったいま、ふしぎなエネルギーに満たされている。彼女たちが語ってくれたということ。その声と言葉、表情。それらに、私自身が前向きに生きることを助けられたという思いがある。

何ものも奪うことができず、損なうこともできないものがある。人間である限り、ほんとうは誰もが持ちえるはずの、強く美しい意志がある。そのことを彼女たちは教えてくれた。

彼女たちからの問いが胸にこだまする。あれから日本は変わったのか。国策に乗せられて道を誤ることはもうないのか、と。

画像:全国から約27万人が満州へと渡った。

全国から約27万人が満州へと渡った。

画像:安田菜津紀さん

安田菜津紀さん

Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト

映画中に確かに刻み込まれている声を 「なかったこと」にはできない。

とある夏のこと、出演していた報道番組で、「戦争体験者たちの証言」が特集された。すでに故人となった何人もの証言が次々と画面に映し出されていく。その一つひとつが大切な言葉だったが、取り上げられたのは全員が男性だった。そのことに番組中、疑問を呈する人間は、私以外にはいなかった。コメントする出演者もまた、私以外に女性はいなかった。しかし意思決定や人々の声に多様性がなくなり、社会が硬直化したときこそ、人権を踏みにじる過ちが起きる。そうした警鐘こそが、あの戦争から現代に投げかけられていることではないのだろうか。

『黒川の女たち』を観ながら、その時のスタジオの光景がよみがえってきた。「満州」へと突き進み、戦争遂行という大義を掲げ、意思決定をしてきた歴史上の人物として挙げられるのは皆、男性ばかり。だからこそ戦争検証もまた、多くが「女の顔をしていない」。この不気味なほどの女性たちの不在の正体が、映画から浮かび上がる。それは高校教諭の髙野晃多さんが挙げていた「男性目線の歴史の欺瞞」に他ならない。そしてその不均衡な構造の下で覆い隠されてきたのが、性暴力の被害だ。

旧日本軍も、ロシア軍も、侵略や征服を試みる側は、性暴力を支配の道具のように扱う。その暴力で、「お前たちのことなど簡単に蹂躙できるのだ」と権力勾配を見せつける。

この映画は、日本の敗戦により支配層から被支配層となった「満蒙開拓団」の中で、「皆を守るためだ」と自己犠牲を強いられ、身心をずたずたにされた女性たちが、やっとの思いで届けた声の形だ。

辛うじて日本に戻ってなお「恥」というレッテルを貼られ、存在そのものがタブー視された。佐藤ハルエさんのように、「汚れた娘」と扱われ、コミュニティを追われた女性たちがどれほどいたことだろう。

映画が公開された後、日本の政治状況は変わった。高市早苗氏が「女性初の首相」となり、政治が「前進」したかのように語られることがある。しかしジェンダーやマイノリティの人権に深く関わる政策に極めて後ろ向きの姿勢を示し、防衛費増額の前倒しを掲げる「女性初の首相」の誕生を、私は喜べずにいる。

加害の歴史を否定したい権力者たちにとっては、こうした作品の存在そのものが不都合かもしれない。けれども映画中に確かに刻み込まれているその声を、「なかったこと」にはできない。社会が硬直化していく危うさを感じる今だからこそ、向き合いたいドキュメンタリーだ。

画像:斎藤美奈子さん

斎藤美奈子さん

文芸評論家

語る/聞くという行為を通じて事実を共有し、尊厳を回復することができる。

戦争と聞いて多くの人がまず連想するのは、戦闘や空襲による殺戮、すなわち直接武力が行使される場面かもしれない。でもそれは戦争の一局面にすぎず、戦争によって引き起こされる人権侵害は、きわめて多岐にわたる。戦火を逃れるために祖国を離れた難民も、戦争を遂行するために強制的に動員された労働者や学生も、食料や医療品の不足が原因で命を落とした子どもたちも、みんな戦争の犠牲者だ。

戦時性暴力、すなわち戦時中における戦闘員から非戦闘員(の特に女性)に対する性暴力も、戦争がもたらした暴力のひとつである。だが、これが重大な人権侵害として可視化されたのは先の戦争が終結して50年近くが経過した1990年代だった。この件は、それほど長い間、「なかったこと」にされてきたのだ。

映画『黒川の女たち』が告発している忌まわしい出来事も、こうした戦時性暴力事件のひとつといえる。ただしこの件が特異なのは、開拓団の幹部たちが、自分たちの警護を頼む代償として、旧ソ連軍将校らに、本来ならば守るべき相手であるはずの未婚女性15人を「差し出した」ことである。絶対に拒否できない状況の中での身内の裏切り!

それだけでも戦慄すべき事件なのに、帰国後、彼女たちは激しい偏見と誹謗中傷にさらされ、沈黙を守ったまま長い戦後を生きざるをえなかった。

『黒川の女たち』が感動的なのは、彼女たちが何十年も沈黙を余儀なくされた背景と、しかし最後には自ら言葉を発することで、彼女ら自身が一種の癒やしと解放を得る過程が描かれていることだ。2人の当事者女性がはじめて事実を明かしたのが2013年。戦後生まれの黒川開拓団遺族会会長が音頭を取って、事実を記した「碑文」が建てられたのが2018年。過去は消せないが、「語る/聞く」という行為を通じて事実を共有し、人としての尊厳を回復することはできるのだ。

「強姦だと思った」「反抗したら殺される」「黒川開拓団は日本の縮図」「誰も戦争に対する総括をしていない」。高齢となった当事者女性や周囲の人々の証言が、いちいちグサグサ突き刺さる。祖母の言葉に耳を傾ける孫世代と、黒川開拓団を通して戦争がもたらす加害と被害の実態を学ぶ高校生たちの姿が印象的だ。負の歴史を風化させずに伝えるにはどうするか。その好ましいサンプルがここにある。

画像:苦楽をともにした女性同士の絆は晩年まで続いた。

苦楽をともにした女性同士の絆は晩年まで続いた。

本誌読者限定の上映会に
100名をご招待します。

『黒川の女たち』の上映会を開催します。上映終了後には、監督の松原文枝さんとノンフィクション作家の梯久美子さんのトークイベント(約50分)を行ないます。ご友人(1名まで)と一緒にぜひご参加ください。

画像:映画『黒川の女たち』

映画『黒川の女たち』

監督:松原文枝
語り:大竹しのぶ
2025年/99分
6月下旬、DVDが発売予定。

上映会の詳細はこちら

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