「敵基地攻撃能力保有」の何が問題なのか。小説家の中村文則さんに寄稿していただきました。
中村文則さんプロフィール
なかむら・ふみのり●1977年、愛知県生まれ。2002年、『銃』(新潮社)でデビュー。『土の中の子供』(新潮社)で芥川賞、『掏摸(スリ)』(河出書房新社)で大江賞を受賞。近著に初対談集『自由対談』(河出書房新社)。
中村文則さん特別寄稿
実体とはかけ離れた「反撃能力」。
日々膨大なニュースが流れるため、少し前のことも、いつの間にか忘れられてしまう。
その中には当然、忘れてはまずいものもある。昨年末の「敵基地攻撃能力」保有の閣議決定は、この国の今後を根底から危なくするものだった。
政府は反撃能力と呼ぶけど、内容とかけ離れている。「敵が攻撃してきたら反撃できるようにする」とか「日本が反撃するなら抑止になる」みたいな報道が目立つ。こう聞けば納得する人も多いけど、実体は違う。
一部を除き、数々のマスコミはもう、政府の広報のようになってしまっているように思う。肝心な部分を伏せて報道するのは、もう有害でしかないのではないだろうか。政権をここまでは批判するけどそれ以上はしない、みたいな媒体もあって、ややこしい。
あの閣議決定で最も問題なのは、相手国が日本への攻撃に「着手」した時点で、相手を攻撃できるとしたことだ。これは、かなりまずい。色々な媒体でこのことを書いているので繰り返しになる面もあるけど、以下、続けて書いていくことにする。
岸田首相は「敵基地攻撃能力の保有が抑止力になる」と言うが……。写真は陸上自衛隊の朝霞駐屯地で戦車に試乗する首相(写真提供/共同通信イメージズ)。
日本が攻められてもアメリカは軍を出さない?
相手が「着手」したかを知る能力は日本にないので、アメリカからの情報になる。アメリカはイラク戦争の時、イラクに大量破壊兵器があるとして戦争を始め、後から「なかった」と言った国だ。
そもそも日本には米軍基地があるので、アメリカの許可なく戦争などできるはずがない。日本が他国にミサイルを撃つ時はアメリカの許可を得ているわけで、はっきり言えば、それはつまりアメリカの指示による。
アメリカはこれまで、日本に様々に軍事的な要求をしてきたけど、その度に日本は「平和憲法があるから」「その法律がないから」と断ることができた。でも安倍政権時の安保法制定と今回の閣議決定で、もう「できる」ことになってしまった。
近年のアメリカは(自国の戦死者数が増えると世論が厭戦ムードになり、戦争続行が難しくなるので)、自国の兵を使わず、背後で戦争をする傾向にある。台湾や東南アジアで有事が起こった時、アメリカは中国との全面対立を避ける必要もあり、代わりに日本を使うと予測される。
日本が攻められたらアメリカが守る、と思っている人が多いけど、あの日米安保条約は、実は日本が攻められても、アメリカは場合によって軍を出さないことも可能になっている。このことは多くの人に知られていない。今アメリカがウクライナにしているのと同様、作戦や兵器の提供のみのケースも考えられる。中国もアメリカとの全面対立は望まないから、紛争になれば日本の米軍基地は形だけしか狙わず、自衛隊基地などに絞って攻撃する可能性もあるという。戦争で、これはよくあることだ。
22年12月21日、ウクライナのゼレンスキー大統領は米ホワイトハウスを訪問。バイデン大統領は支援を約束したが、ロシアとの全面対立を避けるためアメリカは兵器の提供に留めている(写真提供/ロイター・共同)。
ちなみに戦争は、国際社会や国内の支持を得るため、相手に先に攻撃させるのが鉄則と言われている。今回の敵基地攻撃能力は、相手の術中にはまる危険もある。日本から攻撃を受ければ、相手国は核使用でも原発狙いでも、もう何でもできてしまう。
軍需産業を潤すため私達の生活を貧しくしていくことに。
尖閣諸島に中国はちょっかいを出してくるじゃないか、と言う人もいるけど、あれは日中平和友好条約の交渉の時、中国側から、あの島の解決は未来の知恵のある人達に決めてもらおう、みたいに言われていた。日本は領土問題はない立場だから、その「棚上げ」に合意してはいないが、でもいきなりあれを国有化すれば、それはモメるに決まっている。日本の立場がどうであれ、センシティブな問題をあんな風に解決しようとすれば、その後の展開は誰でも予想がつく。日中が対立した方が武器も売れるなど、あの不幸な展開に喜んでいる者達も多いかもしれない。『教団X』という小説を書くため、世界で問題になっている軍需産業やエネルギー産業の資料を様々に読んだりしたことがあるけど、世界はもう、唖然とするほどに醜い面もある。
日本は防衛費を激増させたので今後さらに兵器を買うが、あまり役に立たない古いものもアメリカから多額に買っていると、多くの専門家に指摘されている。私達は今後、軍需産業を潤すため、自分達の生活を貧しくしていくことになる。日本が進むべき方向は、近隣諸国での緊張を融和するために動き続けることだが、現在の与党はそれをしない。
日本政府は米国製巡航ミサイル「トマホーク」を2000億円以上かけて四百発以上購入するが、敵基地攻撃の有効性について疑問視する声もある(写真提供/ロイター・共同)。
ちなみに日本の拉致問題は未だに解決していないが、あのころ政府は北朝鮮に経済制裁をすると言い、マスコミの多くもそれは北朝鮮に効くと言っていた。でも誰でもわかることだが、大飢饉で数十万人から数百万人とも言われる餓死者を出しても政権が変わらなかった国が、日本の経済制裁で変わるわけがない。対立を煽りこじれてしまって、未だに解決できていない。
あとテーマとずれるので詳しくは書かないけど、ロシアとウクライナの戦争も、いきなりロシアが攻めたわけではなく、あれにはもう、現在のアメリカのバイデン大統領が副大統領だった頃からの、長い長い経緯がある。海外の人達とこの件を何度か話したことがあるけど、みな国はそれぞれ違うのに「ロシアが悪いしアメリカもヨーロッパも悪い。ウクライナの人々が可哀想だ」と同じことを言っていたのが印象的だった。僕もそう思う。全てには背景がある。
日本の命運は台湾の行く末によって決まる。
台湾有事になれば、アメリカは対中作戦の駒として、日本を使うと思われる。今の台湾政府は日本と違い優秀で、米中の間で巧みなバランスを取っている。でもその政権が代わった時が懸念される。
過度な親中政権になれば香港のようになる可能性があり、独立を叫ぶ政権になれば、戦争の可能性がある。
日本は肝心な部分を報道しない媒体が多く、国民の約半分は選挙にいかないので、民主主義が機能していない。だから国民は自分達の国の未来を、自分達で決められない。つまり日本の命運は、台湾の民主主義によって決まることになる。
ここでこのコラムは終わるけど、ウェブだからまだ長く書けるので、最後に僕が最近よく紹介している本に触れたいと思う。何度も紹介する理由は、今の日本に最も必要な本の一つと思っているからである。
それは『戦争プロパガンダ10の法則』(アンヌ・モレリ著・草思社文庫)という有名な本だ。
戦争のプロパガンダには法則があるとされ、それは以下のようなものになる。
- 「われわれは戦争をしたくはない」
- 「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
- 「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
- 「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
- 「われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
- 「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
- 「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
- 「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
- 「われわれの大義は神聖なものである」
- 「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」
草思社文庫 税込880円
どの戦争も必ず、ほぼこのように報道される。これは本当に強力で、人々は冷静になることが難しくなってしまう。大人達は熱くなり戦争はやめられず、被害は拡大し、結果的に膨大な子供が死ぬことになる。
日本が戦争に自ら巻き込まれる時、日本はもう、戦争賛成の巨大な渦のようになっていると思われる。今でも既にそうだが、マスコミは相手国への敵対感情を、さらに激烈に煽り続けることになる。
歴史は繰り返す。第二次大戦で、日本人は三百万人以上が亡くなっている。次はどれだけの人が亡くなるだろう。