岸田首相は22年12月、「敵基地攻撃能力」の保有と防衛費の大幅増額を決めました。戦後日本の国是である「専守防衛」を捨て去る今回の決定によって日本はどのような道を進むことになるのか。元防衛官僚の柳澤協二さんのお話を前・後編2回でお届けします。
柳澤協二さんプロフィール
やなぎさわ・きょうじ●1946年、東京都生まれ。70年に防衛庁に入庁し、長官官房防衛審議官、長官官房長などを歴任。2004年から09年にかけて内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)として自衛隊のイラク派遣などに関わる。著書に『非戦の安全保障論ウクライナ戦争以後の日本の戦略』(共著/集英社新書)など。
柳澤協二さんインタビュー
前編
「今回の決定は戦争をする国への大転換と言えます」
岸田首相は1月23日、国会の施政方針演説で「今回の決断は、日本の安全保障政策の大転換だ」と言いましたが、それは「戦争をする国への大転換」と言えます。「戦争をする国になる」ということは、いまのウクライナのように、私たちの頭上をミサイルが飛び交い、日常生活が破壊されることを覚悟するということです。本当にそれでよいのでしょうか。日本はこのまま戦争をする国に突き進むのか、それともここで立ち止まることができるのか。いま、まさにその瀬戸際にあります。
国会で議論することなく決められた安保関連3文書の改定。
2022年12月16日、岸田内閣は安保関連3文書と言われる「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」の改定を閣議決定しました。安保関連3文書とは、簡単に言えば「日本の安全保障政策の中長期的な行く先」を示すものです。
今回の改定の中でもっとも重要なことは、「敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有」が明記されたこと。そして、防衛費を対GDP比2%にするために、2023年度からの5年間で43兆円(5年目の27年度は8兆9千億円)に増強することが示されたことです。
今回の改定によって、日本が実際に攻撃を受けていなくても、相手国が攻撃に「着手」した時点で、相手国の基地などへの攻撃が可能となりました。日本は戦後80年近く、「攻撃されない限り反撃しない」という「専守防衛」を国是としてきましたが、今回の改定によりそれを捨て去ることになりました。
ミサイルは発射するまで目標を特定できない。写真は北朝鮮の大陸間弾道ミサイル「火星17」(写真提供/朝鮮通信=共同)。
政府は、攻撃するにあたっては、相手国が「日本に対する攻撃に着手した」ことが前提になるから「専守防衛の範囲内だ」というのですが、この論理はおかしい。そもそも、相手国のミサイル発射基地を特定する情報収集能力は日本にはなく、米国に頼らざるを得ません。仮に相手国のミサイル発射準備を突き止めたとしても、そのミサイルが本当に日本を狙ったものなのかどうかは、発射されるまで分からないのです。防衛省が与党に提示した基本方針では「個別具体的な状況に照らして判断していく」としていますが、これはつまり「状況証拠」で判断するということ。もし、その判断が誤っていて、日本に向けられたものではないミサイルの発射基地を日本が攻撃したら先制攻撃をしたことになり、国際的な非難は免れません。
本来ならば、国の安全保障政策を決めるときには、「日本の何を守るのか」「そのために何をすべきなのか」を考えたうえで、そのためにはこんな武器が必要で、予算はこれぐらいかかる、と話を進めるべきです。しかし今回は、「敵基地攻撃能力の保有」や「防衛費の増額」を先に決め、それを理由づけるために安保関連3文書の方針を決めるなど、話の順番がめちゃくちゃ。
しかも、これほど重要な問題を国会で議論することもせず閣議決定だけで決めてしまった。政府は「もう話は終わった」と思っているかもしれませんが、今後も国会で徹底的に議論すべきです。
米国から400発も購入するミサイル「トマホーク」は役に立たない。
敵基地攻撃能力の保有という議論が出てきた背景には、ミサイル技術の発達により、少し前までのように「飛んできたミサイルを撃ち落とす」ミサイル防衛が通用しなくなったということがあります。ミサイルからの安全を確保するには、発射される前に敵基地を破壊しなくてはならないというわけです。安保関連3文書の中では、相手国の射程圏外から攻撃できる長射程ミサイルを運用することが書かれていて、5年後、10年後の2段階に分けてそうしたミサイルを配備するとしています。
しかし、こうした装備が本当に役に立つのか、私は相当怪しいと考えています。たとえば、今後2000億円以上かけて2027年度までに四百数十発を米国から購入するとしている巡航ミサイル「トマホーク」です。トマホークはジェットエンジンを動力としており、民間航空のジェット旅客機とほぼ同じ速さで飛びます。仮に敵基地が1000キロ先にあれば、そこに到達するのに1時間くらいかかってしまうわけで、相手国がミサイルの発射準備をしている「差し迫った状況」になってからトマホークを発射しても間に合わないでしょう。こうした明らかな矛盾についても、政府はまったく説明しようとしません。
戦争となれば多くの市民が犠牲になる。写真は、ロシア軍のミサイルが着弾した集合住宅を捜索する救急隊員(写真提供/ゲッティ=共同)。
仮に敵がミサイルを発射する前に基地を攻撃できたとしても、敵のミサイル基地をすべて破壊することは不可能ですから、残った基地から反撃のミサイルが飛んでくることは確実です。こちらが相手の国土を攻撃しているのですから、当然向こうも日本の国土を攻撃してきます。在日米軍基地が集中する沖縄をはじめ、各地の原発など日本全土が標的になるでしょう。
何度でも言いますが、戦争となれば、いまのウクライナのように連日ミサイルが降り注ぎ、家族や友人・知人の多くが犠牲になるのです。「敵基地攻撃能力の保有」を推進する政治家やそれを支持する人たちは、本当にそこまでの覚悟があるのでしょうか。
岸田首相は、敵基地攻撃能力の保有自体が「相手に攻撃を思いとどまらせる抑止力となる」と言います。しかし抑止力とは、もし自分たちを攻撃すれば、ひどい目に遭わせるぞという「脅し」です。ということは、抑止(脅し)が機能するかどうかは「相手がどう思うか」にかかっています。
たとえば、昨年時点で弾道ミサイルを1900発ぐらい持っていると言われる中国に対して、「有効な抑止力」とはどのようなものでしょうか。単純に対抗しようとすれば、日本も同じくらいの数のミサイルが必要になるかもしれませんが、中国がさらにミサイルを増やすことは容易に考えられますので、とめどない軍拡競争になってしまいます。
後編
敵基地攻撃能力を持つために、政府は防衛費を2023年度からの5年間で43兆円にし、27年度の防衛費は8兆9千億円にするとしています。これを柳澤さんは「数字ありきの政策だ」と批判。インタビュー後編をお読みください。
「敵基地攻撃能力保有のためにおカネを使っている場合ではありません」
おカネの面でも今回の一連の流れに疑問は尽きません。敵基地攻撃能力を持つために、防衛費を2023年度からの5年間で43兆円にし、5年目の27年度の防衛費は8兆9千億円にすると政府は言いますが、まずおかしいのが「数字ありきの発想」です。本来なら、どんな兵器がどれぐらい必要だから防衛費はいくらになる、という決め方をすべきです。ところが、とにかく防衛費をNATO(北大西洋条約機構)諸国が目標に掲げる「対GDP比2%」にするという「数字ありき」で話が進んでしまい、そこに合わせて必要な武器や予算が決められています。
仮に防衛費が対GDP比2%になれば、その規模は米中に次ぐ世界第3位です。これはもう、まぎれもない「軍事大国」と言えます。
総額1200兆円以上、GDPの2倍を超える借金を抱える日本がそれだけの軍事大国になるのは、あまりにもいびつでしょう。少子高齢化の流れは止まらず、2022年の新生児数は年間80万人を割り込みました。また、食料自給率は40%を切り、エネルギー自給率に至ってはわずか12%程度。本来なら、こうした問題の解決にまず予算を割くべきです。
岸田首相は22年5月と23年1月(写真)の日米首脳会談で「防衛費の相当な増額」をバイデン大統領に約束した(写真提供/Pool/ABACA/共同通信イメージズ)。
自民党は、2022年7月の参議院議員選挙で「GDP比2%以上を念頭に防衛費を増やす方針」を公約に掲げました。それで自民党が過半数の議席を得たのだから「国民に信任された」と言う人がいますが、それは暴論です。選挙の時点では具体的な予算の数字も出ておらず、「防衛費の増額は内容と予算と財源をセットで考える」と言ったはずの岸田首相は選挙後、増額だけを決め、内容や財源については先送りしました。財源が増税なのか国債なのかさえ、いまだにはっきりと示されていません。自民党内からさえ「増税をするならその前に選挙で是非を問うべきだ」という声が出ていることからも、「国民に信任された」とはとても言えません。
戦争を起こさないための外交こそが最大の安全保障政策。
各種世論調査では、敵基地攻撃能力を保有することについては、おおむね賛成意見が多いようです(22年11月の共同通信の調査では「賛成60.8%、反対35.0%、12月の朝日新聞の調査では「賛成56%、反対38%」)。ウクライナや中国、北朝鮮などの状況を見ていて、多くの人が「戦争の不安」を抱くのは当然と言えます。私自身、ロシアがウクライナに侵攻したときには「まさかこの時代にこんな国家同士の戦争が起こるとは」と大きな衝撃を受けました。
2022年2月24日のロシア軍の侵攻以来、両軍でそれぞれ約10万人の死傷者、約4万人の民間人の死者が出たという指摘もある(写真提供/Sputnik/共同通信イメージズ)。
しかし、だからこそ軍備増強ではなく、「戦争を起こさない」ための外交に力を注ぐべきではないでしょうか。「外交で解決しよう」と言うと「弱腰だ」などと批判されることがありますが、本当にそうでしょうか。戦争によって多くの人が亡くなり、国土が焦土と化すことを真剣に考えれば、外交こそ最大の安全保障政策であるはずです。
「こちらが戦争する気がなくても、ロシアのように一方的に攻めてくることもある。だから軍備を増強して抑止力を強化すべき」という声をよく聞きます。でも、その「抑止」が思うように働くわけではないことは、すでにお話ししたとおりです。
国際政治における常識的な概念として「安心供与」という考え方があります。たとえば日本が中国に対して、「ミサイルは配備するけれど、中国本土に届くミサイルは持たない」というメッセージを送ることも一つの安心供与になります。
敵基地攻撃能力保有の理由として、しばしば挙げられる「台湾有事」についてもそうです。中国が台湾に軍事侵攻するとすれば、その最大の理由は「台湾の分離・独立」。裏を返せば、台湾が独立しようとしなければ中国は軍事侵攻をしないし、それであれば当然ながら米国も軍事介入はしません。つまり、「台湾は分離・独立を追求しない」という点で米国、中国、台湾が合意できれば、台湾有事の理由そのものがなくなり、戦争は起こらないのです。
時の権力者の威勢のいい言動に乗せられてはいけない。
米中が戦争になれば、日本は、①米軍とともに参戦して国土が戦場になることを覚悟する、②米国への協力を拒否して日米同盟を崩壊させる、そんな「究極の選択」を迫られることになります。そんな事態になる前に、米・中・台の合意をつくるための外交努力を日本はしなくてはならないのです。「日本にそんな外交ができるの?」と思う人がいるかもしれませんが、過去にそうした例がないわけではありません。たとえば1980年代には、米ソによる中距離核戦力全廃条約成立に向けた交渉の中で、中曽根内閣(当時)がアジアにおける中距離核戦力全廃を求めて米国に働きかけて実現させました。「米国や中国に日本が意見するなんて無理だよ」とあきらめてはいけないのです。
「なんとしても戦争だけは防ぐ、このことを第一に考えるべきだ」と柳澤さん。
私は、日米同盟は当面は維持すべきだと考えていますし、日本がある程度の軍事力を持つことを否定しません。しかし、外交という選択肢に見向きもせず、米国との協調のみを優先させ、敵基地攻撃能力を保有して中国をかえって先鋭化させるかのような現政権の政策は全く支持できません。
何度でも言いますが、戦争によって失われるのは自衛隊員や多くの民間人の命です。いったん戦争が始まれば収束が難しくなることは今のウクライナを見れば明らかです。時の権力者の威勢のいい言動に乗せられて、感情に流されてしまったら、やがて後悔することになるでしょう。「なんとしても戦争だけは防ぐ」という一点のみを考え、もっと理性と知性を働かせていかなくてはならないと私は考えています。
取材・構成/仲藤里美