寺脇研さんのドラマ批評

地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。

※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。

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車輪

2023/10/24公開

「トロッコ問題」を作品化する韓国ドラマの逞しさ

Netflixシリーズ「車輪」独占配信中

覚悟してほしいのだが、これは決して楽しい物語ではない。イントロのタイトル映像からして少女が涙をこぼす動画で始まり、明るさとは無縁だ。

 だが、極めて重要なテーマをわれわれの前に提示してくれる。イントロの最後に出てくる線路が延び分岐する動画、背景をよく見ると「Trolley problem」の文字がちりばめられていて…。そう、このドラマの題名「車輪」の原題「Trolley」とは、道徳的ジレンマを扱った倫理学上の命題「トロリー問題」を指しているのである。

 日本では「トロッコ問題」として知られる。ハーバード大学の講義を初めてTV番組にしたという「Justice with Michael Sandel」を、2010年にNHKが「ハーバード白熱教室」として放送したところ、マイケル・サンデル教授の哲学講義が大ブームとなったのを覚えておられる方も多いだろう。著書「これからの『正義』の話をしよう」もベストセラーになった。現在でも、NHKのEテレで「マイケル・サンデルの白熱教室2023」という形で続いている。

 一連の講義の最初に登場したのが「トロッコ問題」なのだった。1967年にイギリスの哲学者フィリッパ・フットが問題提起し、以来論じられ続けている。それが「白熱教室」によって一気に世界中の人々が共有するテーマとなった。もちろん韓国でも人気だったわけだが、それをドラマに仕立てるとは恐れ入る。こういう試みを成立させるのも、韓国ドラマの逞しさだろう。

【制御不能のトロリー(トロッコ)が暴走し、そのまま直進すれば作業員5人が轢き殺されるが、たまたま線路の分岐点に居たあなたが方向を左右する機器を使って進路を切り替えれば、そちらの方向なら1人しか犠牲にならない。さあ、どうしますか?】

 物語中盤で、中学2年生の娘が授業で出会った教材の形をとって具体的に示されるのだが、既にそれまでの間に、われわれは切実なジレンマを見せつけられている。なにしろ、楽しい物語ではなくとも、筋の運びの巧みさや次々と繰り出されるさまざまな出来事を重層的に結びつける腕前がみごとだから、こちらもぐいぐい引き込まれていく。

 第1話で早くも、すっかり作品世界へ漬かってしまった。ヒロインが家出した娘を捜し警察へ駆けつける緊迫した調子から、その日朝からの回想で、本を修繕する仕事をしながら社会活動に勤しむ日常が丁寧に描かれる。

Netflixシリーズ「車輪」独占配信中

 ママ友たちとの昼食会で、我が子の進学のためなら不正まがいの行為も厭わない空気への違和感を表明する率直な正義感。街でお腹を空かせているらしい幼い女の子を見かけると、その子のプライドを傷つけぬよう細かい配慮をした上で友人の運営する「子ども食堂」に連れて行く優しさ。

 そうやってヒロインの人柄、性格が少しずつ明らかになる中、近所の小さな食油店の老女店主が二人暮らしの孫の女子大生を自殺で失う事件に遭遇し、弔いに訪れる人もない孤独な悲嘆に寄り添う。自殺の原因が、過去に付き合っていた男から写真をネットに暴露された、いわゆるリベンジポルノだというあたりから、物語全体を貫く非常に重要な論点がほの見えてくる。

 それは、「女性への性加害」をどうやって撲滅するか。

 ヒロインの夫は若手国会議員で、加害者に対し極めて厳しい法律を作ろうとしている。そのエネルギッシュな動きも並行して描写され、この問題に、夫は国政レベル、妻は地域社会レベルで向き合う展開になりそうだ。なにしろ妻は、夫の政治活動には一切関与せず、NPOや地域で独自の社会運動をしている自立心にあふれた女性なのである。

Netflixシリーズ「車輪」独占配信中

 娘が家出したのはその晩で、そちらはすぐに戻って来たのだが、今度は、夫の亡妻の産んだ長男が水死体で発見された報せが飛び込む。この息子は、父親への反発からか飲酒の果ての暴力で刑に服し出所したばかりだった。自殺? 他殺? 大きな謎が家族に降りかかってくる。

 ヒロインのたった一日の生活を追うだけで、16話に及ぶ長編ドラマの方向性を窺わせてくれる。登場人物の基本的な人間関係も、すっかり観る者の頭に入る。しかも、この日のエピソードは全て、今後の物語展開の伏線になっているのだ。

 そして、第2話から先は、思わぬ新事実の連続である。あれもこれも、これでもかというくらい、因縁話やら旧悪暴露やら怨念やらが渦巻く。ただ、それらは単に興味本位や視聴数稼ぎではない。どれもが、「女性への性加害」を巡ってのものであり、その問題を鮮烈に印象づけるにとどまらず、被害者側のための告発に追い詰められた加害者の自殺をどう考えるかという「トロッコ問題」をわたしたちに突きつける。

 性加害、リベンジポルノ、子どもの貧困、政治の腐敗など、我が国にもまるで同じ問題が山積している。最近ではジャニーズ事件も、避けては通れない。仕方ない、で済ませるのではなく、真摯に向き合い、このドラマが取り上げた「トロッコ問題」のような哲学的思考にまで踏み込む覚悟で考えてみようではないか。

今回ご紹介した作品

車輪

Netflixにて独占配信中

情報は2023年10月時点のものです。

筆者一覧(五十音順)

相田冬二

映画批評家

池田敏

海外ドラマ評論家

伊藤ハルカ

海外ドラマコラムニスト

今祥枝

映画・海外TV批評家

影山貴彦

同志社女子大学メディア創造学科教授・コラムニスト

小西未来

映画・海外ドラマライター

辛酸なめ子

漫画家・コラムニスト

辛淑玉

人材コンサルタント

田幸和歌子

フリーライター

寺脇研

映画評論家・元文部官僚

成馬零一

ライター・ドラマ評論家

ペリー荻野

コラムニスト

松本侑子

作家・翻訳家

村上淳子

海外ドラマ評論家

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