寺脇研さんのドラマ批評 - ソウルの家から大企業に通うキム部長の物語

地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。

※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。

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ソウルの家から大企業に通うキム部長の物語

2026/2/27公開

大企業の部長から工場勤務へ波乱万丈の末に知る「幸福」とは

画像:ソウルの家から大企業に通うキム部長の物語

Netflixシリーズ「ソウルの家から大企業に通うキム部長の物語」独占配信中

 日本でもドラマや映画に「サラリーマンもの」というジャンルがあるように、韓国にも当然存在する。農業など第一次産業人口が多くを占めた状態から、経済発展とともにサラリーマンが急増し第三次産業人口が圧倒的多数となった近年の歴史は共通しているからだ。また、近年ようやく「働き方改革」が言われるようになったほどの「モーレツ社員」「24時間働けますか」の勤勉ぶりもそっくりだ。

 ただ、日本より10~20年遅れで経済成長が進んできたために、モーレツぶりがいまだに強く残っているようだ。このドラマの主人公は、部長という管理職の地位にあっても会社に泊まるのが珍しくないらしい。日本ではすっかり過去のものになった上役との休日ゴルフも健在だ。

 有名大学を出て大企業に入り、幹部となってソウルに住居を買うのがステータス、などという主人公が固執する人生設計は、日本だと今や昔話の部類だろう。しかし、少し前まではそうだったのだから、そうした考え方は理解できる。いや、そこら辺にいくらもあった話として感じられる。

 その意味で、主人公の思考回路や生き方は身近だ。各話のイントロに出てくるこれまでの人生回顧は、学校の様子や卒業アルバムに始まって就職、結婚、子ども誕生と、兵役以外はわれわれと変わらない。勉学に励み、就活を頑張り、営業担当で走り回った若い頃が、今の彼を役員のポスト獲得に向かわせるのもよくわかる。

 ただ、韓国でも時代は変化してきている。彼の若い部下たちは、転職やハラスメント告発とまでは至らないにしても、部長から飲み会やるぞ! と号令がかかると陰で嫌な顔をする。それでも、渋々他の約束を断って参加はするのだが……。男性社員が、何かあったときのために会話を密かに録音しているあたり、そろそろ日本と同じくZ世代からの反撃が起きるかもしれない。

 さて、12話の物語で、主人公の置かれる運命は3つの時期に分かれる。1~4話では、IT・通信業界の大企業の部長で次は役員の座を狙う自ら設計した通りの順風満帆人生を送っている。それが、リストラされて地方の工場へ飛ばされ、絵に描いたような閑職で不遇をかこつ5~8話となり、9~12話ではついに会社に見切りをつけ、さまざまな仕事に挑む一介の単身労働者人生だ。夢見た人生行路とは大違い。

 ただ、話が進むにつれ波瀾万丈のあれこれには直面しても、彼の幸福度は増していく。いわゆるウェルビーイングだ。なにしろ部長時代は、役員に取り立ててもらうためにひたすら上役に媚び、失点を恐れて他へ責任を押しつけたり、変わり身の早さを見せたりの醜態も恥じるところない。一方で、息子には自分と同じ道を歩むことを強要し、妻に対しては、俺のようなエリートと一緒で幸福だろう、と君臨する。

 それが一転、工場へは単身赴任で自炊する羽目になると、家族のありがたみが見えてくる。また、それまで見下していた工場職員一人一人にもそれなりの大切な人生があることもわかる。本社に戻りたい一心で一度はリストラ要員提出を引き受けるものの、結局拒否して会社を去るのだが、そこには彼の意地があった。

 ……と展開を披露すると、ネタバレだ! とお叱りを頂戴するだろうか。だが、大筋がわかっていて観たとしても、決して主人公の心の動きは単純ではない。彼の思いの変化、ぐらつき、後悔などのひとつひとつが、小さな劇的感興を生むから、それに共感するにしろ反発するにしろ、観ているわたしたち自身はこういうときどうするだろうか、と深く考えさせてくれる。

 本社時代は大企業組織の非情さや組織防衛の論理を見せてくれるし、工場時代は下層労働者たちの現状を赤裸々に示す。まさに日本でも深刻になってきている上層部分と下層部分の分断が露呈されるのだ。YouTuberから攻撃された大企業が周章狼狽させられる騒動はネット社会の現在を象徴するエピソードだし、主人公の息子が翻弄される若者たちの怪しげなスタートアップ企業や、妻の妹とその交際相手のカップルが見せる軽薄な気質も当世風俗の一例だ。

 古き良きサラリーマン社会が変貌し、無定量の労働やハラスメントが追放される代わりに新しい問題が生じている有様は、決してよそ事ではない。一方で、専業主婦しかできないと皆から思われていた妻が、夫に内緒で最難関資格試験のひとつである宅地建物取引士(宅建)試験の勉強をして合格し社会へ飛び出すのは最近道の広がってきたリスキリングの一例であり心強い。

 会社人間であることを捨て、非正規労働者として自立せざるを得なくなる終盤は、観てのお楽しみにしておこう。ここでは、主人公の兄さんが大きな役割で登場してくる。第1話冒頭にチラリと描かれる子どもの頃の兄弟は、兄が優等生で弟は一生懸命頑張っても及ばないコンプレックスを抱いていた。この伏線が鮮やかに回収される。

 今では小さな自動車整備工場を営む兄は、逆に大企業の幹部である弟を自慢する町のオジサンになっている。部長だった頃の彼は、コンプレックスに打ち克って兄へ勝ち誇る気持があっただろう。しかし、どこの組織にも属さない立場になったとき、家族以外に頼れるのは兄しかいないのだった。

「大企業の部長として幸せだった中年男性に訪れた突然の転落劇」と紹介されるこのドラマ、果たして「転落」なのか、はたまた本当の幸福を見いだしたのか、それは観る側がどう考えるか次第なのである。

 主人公役のリュ・スンリョンは、心温まる佳作『7番房の奇跡』(2013年イ・ファンギョン監督)で主演男優賞を得ているが、多くの助演男優賞に輝く名脇役でもある。兄さん役のコ・チャンソク、古い友人役のパク・スヨン、大企業の上役で主人公を切り捨てる常務役のユ・スンモクといった韓国映画でお馴染みの脇役たちと繰り広げる男同士の気持の交流も見ものだ。

【全国のミニシアター系で順次公開中の韓国映画『ただ、やるべきことを』(24年パク・ホンジュン監督)は、このドラマの花形大企業と違い中規模造船会社が舞台だ。そこで起きる大規模なリストラに伴う人間模様を、誠実な視点で丹念に描いている。それもそのはず、造船会社に勤務していた頃実際に人事課職員だった新人監督が、体験に基づいて脚本を書いているからリアルな内容だ。こちらも観ていただければ、さらに考えさせられるだろう。】

今回ご紹介した作品

Netflixシリーズ「ソウルの家から大企業に通うキム部長の物語」

配信
Netflixにて独占配信中

情報は2026年2月時点のものです。

筆者一覧(五十音順)

相田冬二

映画批評家

池田敏

海外ドラマ評論家

伊藤ハルカ

海外ドラマコラムニスト

今祥枝

映画・海外TV批評家

影山貴彦

同志社女子大学メディア創造学科教授・コラムニスト

小西未来

映画・海外ドラマライター

辛酸なめ子

漫画家・コラムニスト

辛淑玉

人材コンサルタント

田幸和歌子

フリーライター

寺脇研

映画評論家・元文部官僚

成馬零一

ライター・ドラマ評論家

ペリー荻野

コラムニスト

松本侑子

作家・翻訳家

村上淳子

海外ドラマ評論家

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