相田冬二さんのドラマ批評

地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。

※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。

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大豆田とわ子と三人の元夫

2022/08/26公開

脚本家・坂本裕二オリジナル作品。幾度も見返したくなる珠玉の最終回を目撃せよ。

※本文内に作品に関するネタバレ要素を含みます

 連続ドラマの最終回は難しい。

 たとえば、今年の良作『ミステリと言う勿れ』は最終盤に至って失速した感は否めなかったし、昨年の『コントが始まる』も野心作ではあったもののラストは弱かった。

 大きく分けて、連ドラには二つの種別がある。まず、一話完結(『ミステリと~』はその高度な進化系であった)=【日常】型。そして、連続ミステリ(近年の代表作はアニメーション『オッドタクシー』に他ならない)=【大団円】型。

 【日常】型は、ホームドラマや事件解決もの(ヒーローものもここに含まれる)といった、テレビ黎明期から連綿と受け継がれるザ・連ドラな世界観であり、NHK朝ドラからテレビ東京のグルメ系深夜ドラマに至るまで、所謂ドラマファンが愛する主流の型はすべてここにあると言っていい。

 つまり、それは小さな物語。映画が(ある程度)大きな物語を繰り広げるのに対して、お茶の間で観る前提の連ドラは小さな物語の集積である。

 それに対して、ひとつの謎を追いかける大きな物語を、テレビにふさわしい連続性のなかで展開するのが、【大団円】型。『最愛』にしろ、『白い巨塔』にしろ、『砂の器』にしろ、全部このカテゴリに属するという意味では何ら変わりはない。いわゆるスケールが大きそうに見えるもののほとんどは、これだ。

 そして、【日常】型にしろ【大団円】型にしろ、最終回の様式は決まりきっており、全く新味がない。

 今年を代表するであろう『正直不動産』も、そして【日常】は続いていく、とする当たり前のエンディングではあり、完全な想定内であった。

 また、相当アクロバティックな手法で、それまでの構造を鮮やかにひっくり返した画期的アニメ『オッドタクシー』も、ある謎が解明される点においては、これまで通りであり、抜本的な改革はなかったと言える。

 継続する【日常】型か、物事が解決する【大団円】型か。型は既に定められているので、たとえ、どのようなどんでん返しが用意されていたとしても、真の驚きはない。これが連ドラの限界なのではないか。そう思っていた。

 ところが、である。

 2021年春クール『大豆田とわ子と三人の元夫』の最終回は違った。これはテレビ史における快挙である。

 もちろん全十話から成る作品総体の純度の高さも桁外れだが、最後の最後まで、そのクオリティが弛まなかったのみならず、【日常】型でもなく【大団円】型でもない、逆に言えば、【日常】型でもあり【大団円】型でもある、根本的な新しさをラストに昇華しえた点こそ、讃えるべきではないだろうか。

 あれは奇蹟である。

 この夏クール、『初恋の悪魔』が放映されている坂元裕二によるオリジナル脚本。数々の名作を抱える坂元だが、これは彼ひとりの才能で成し得たことではない。佐野亜裕美プロデューサーの采配は、音楽、主題歌、美術、スタイリングに至るまで、究極のキュレーション(選別、編集、配置すること)に到達しており、ナレーションも含めたキャスティングの独自性は他の追随を許さない。

 これは芝居と演出の激突スレスレの接近遭遇によってもたらされていることだが、坂元ならではの名言オンパレードであるにも関わらず、その名言に一切立ち止まらず、時には素通りするくらいのノリで、淡々と一話完結しているように見せている点。まず、凄いのはここだ。

 タイトル通り、三回結婚して三回離婚した女性が、元夫たちとそれなりに上手く交流しながら、まだ慣れぬ社長業に勤しむ現在が見つめられる。

 皮肉のスパイスが効いたおとぎ話風の語り口は、冒頭にその回のダイジェストが予告篇風に流れることによって、安定したデフォルメによる虚構であることが強調される。

 連ドラを観るということは、作品が用意したルールに乗っかることであり、それは取りも直さず、定められたレールの上を滑走することに他ならない。これは【日常】型にしろ【大団円】型にしろ、変わらない。「大豆田とわ子」も、序盤は、ルールとレールの合わせ技で、ドラマ好きの快感を保証してはいた。

 だが、主人公の誕生日を描く第五話で作品は、驚きの展開を見せる。

 なんと、大豆田とわ子(松たか子)が失踪するのだ。

 とわ子の失踪は、ドラマを疾走させることになる。

 そして第六話では、主人公不在のまま、壮絶に感動的な挿話が凝縮した形式で展開する。三人の元夫それぞれの新しい恋が、なんと一挙に終幕。離れ業と呼んでいい、この回の幕切れにおいて、ようやく、とわ子が帰還。そして、キーパーソンである親友、綿来かごめ(市川実日子)の死が唐突に伝えられる。そして、物語は一年後に飛ぶ。

 ビターな(苦味のある)ファンタジーだと思われていた本作が、突然シリアスに変貌する。作品のムードが大きく変化するわけではない。だが、新しい恋のお相手(オダギリジョー)は、とわ子の心象に、かごめの不在からの影を浮き彫りにすることになる。しかも彼は、とわ子の会社を乗っ取ろうとしている人物でもあり、アンビバレント(引き裂かれた感情)な亀裂は、転げまわりながら、第九話で決着する。あそこで完結でも、大傑作であった。

 しかし、「大豆田とわ子と三人の元夫」は、さらなる彼方へと飛翔した。

 九話で何が起こったかと言えば、とわ子は四度目の(正確に言えば五度目の)プロポーズの相手を断り、社長業を手放さず、最初の夫と、【もし、あのまま結婚生活を続けていたら】と妄想する。

 それはそれで、素敵なエピローグであった。

 だが、十話で本当の最終章がやって来る。

 そこでは、とわ子の結婚生活はなぜ、すべて破局したのか、という、視聴者の誰もがほとんど疑問に思っていなかった謎に対する、とりあえずの答え(のようなもの)が、極めて間接的に綴られる。

 そもそも、この問いを描いていたドラマではなかった。もちろん疑問は疑問だったが、わたしたちはみんな、そこを素通りしていたのだ。坂元裕二が紡ぐ名言の数々を素通りするように。

 そして、その答えは定かではないが、おそらくジェンダーに関わる無意識によるものと推測できる。この、実に現代的なテーマが、とわ子の母親の秘めたる恋人(風吹ジュン)の存在と、その実在と、その氷解によって露わになる描写は筆紙に尽くしがたい。

 かごめの死の真相にドラマは一切ふれない。その節度が維持されたまま、わたしたちは、とわ子とかごめの、友情には収納しきれない関係性の行方について、ゆったりと夢想しはじめる。

 元夫たち(松田龍平、角田晃広、岡田将生)は全員、魅力的な欠落を有する人物たちで、見ているだけで楽しい。だが、とわ子のわだかまりの元凶である父親(岩松了)との和解が、やおら綿密に描かれた後、観る者は、これが女たち(松たか子、市川実日子、風吹ジュン、そして、とわ子の娘である豊嶋花)の縦糸の物語だったことを知る。

 横糸の【日常】と、縦糸の【大団円】とが、信じがたいほど緊密に結びつく。だが、悠然とした筆致が乱れることはなく、優雅な雰囲気は保たれたまま、ただただ豊かな余韻だけが、わたしたちには付与される。

 笑っていいのか、泣いていいのか、わからないほどの独自性が、真の最終盤に降臨する。

 どこからが夢で、どこまでが夢なのか、判然としない、エピローグのそのまたエピローグは、合わせ鏡のようでもあり、永遠に何処にも辿り着かない幻の道行きのようでもある。

 かなしいような、あたたかいような、酔っているような、覚醒しているような、停滞と継続のはざまで、わたしたちは終わらない情感を受けとめている。

 しかも。

 どこまでも、すこやか。どんなときも、すこやか。こんなふうに終わるドラマは見たことがない。こんなふうに終わる映画も見たことがない。

 それは、世界で最初かもしれないし、最後かもしれない、珠玉のエンディング。

 未見の方は絶対に出逢ってほしい。そして、既に観ている人は、もう一度、順番を入れ替えて(たとえば最終回から逆に初回まで遡ったりすると最高だ)再会していただきたい。

 途方に暮れる幸福が、あなたを待っている。

今回ご紹介した作品

大豆田とわ子と三人の元夫

以下の配信サービスで視聴できます。
カンテレドーガ/FOD/U-NEXT/Netflix/Amazonプライムビデオ/TELASA/GYAO!

情報は2022年8月時点のものです。

筆者一覧(五十音順)

相田冬二

映画批評家

池田敏

海外ドラマ評論家

伊藤ハルカ

海外ドラマコラムニスト

今祥枝

映画・海外TV批評家

影山貴彦

同志社女子大学メディア創造学科教授・コラムニスト

小西未来

映画・海外ドラマライター

辛酸なめ子

漫画家・コラムニスト

辛淑玉

人材コンサルタント

田幸和歌子

フリーライター

寺脇研

映画評論家・元文部官僚

成馬零一

ライター・ドラマ評論家

ペリー荻野

コラムニスト

松本侑子

作家・翻訳家

村上淳子

海外ドラマ評論家

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