地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。
※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。
100万回 言えばよかった
2023/03/03公開
井上真央、佐藤健、松山ケンイチ 芸達者たちが紡ぐ生と死の恋愛劇
井上真央、佐藤健、そして松山ケンイチ。芸達者3人の豪華な顔合わせが話題を呼んだ『100万回 言えばよかった』は、期待に違わぬ出来である。
洋食店のシェフが行方不明に。恋人である女性は気が気ではない。だが、そのシェフは彼女のそばにいた。彼女には見えない。つまり、どうやら彼は幽霊らしい。
事件を追う刑事は、幽霊が見える家系で、シェフが見える。さらに話せる。どうにか恋人に自分の存在を知らせたいシェフのために刑事は「通訳」として、文字通り身を挺する。
シェフの遺体を幽霊自ら発見。ドラマは急展開を迎える。どうやら彼は殺されたらしい。事件の真相を追いかけるミステリーに、新鮮味はない。いかにもな悪や怪しげな人物の存在、シェフと恋人を幼少期から繋ぐ里親周辺で起きる悲劇などは、どうにも古めかしい。
また、幽霊を巡るルールが1話ごとに更新されていく様は、都合の良いゲームにも映る。もたらされる困難は、その都度呆気なく乗り越えられていく。何もかもがクリアするためのアクシデントにも思えてくる。
にもかかわらず、井上、佐藤、松山の芝居は圧倒的だ。
3者のコラボレーションを見つめていると、謎解きもドラマの欠陥部分もどうでもよくなる。
愛すべきキャラクターを演じているからではない。決してオーソドックスとは言えない設定の下、それぞれが普遍的な人間の機微をひたすら丁寧に紡いでいる。一人ひとりの綿密な仕事ぶりに、ただ純粋に胸を打たれる。実力者と認識していたはずの面々の真の実力を目の当たりにし、小さな宝石を発見したような気持ちになる。
井上真央も、佐藤健も、松山ケンイチも、素晴らしいことなど百も承知のはずだったのに!
このドラマの最も難しいシチュエーションを背負った松山は、ともすれば、物語運びのツールに堕しかねない役に、多彩な押し引きで、陰影を与える。同僚にフラれたばかり、というこの刑事は、生き別れのまま互いを思いやるシェフと恋人の姿に憧れ、憧憬を愛情へと昇華させていく。
松山ケンイチが井上真央に惚れるわけではない。劇中では佐藤健がそのように誤解し、松山はそれを否定する術もないのだが、正確に言えば松山は、井上と佐藤の関係性に惚れている。おそらくまだ本当の恋を知らない刑事は、「ロミオとジュリエット」を見つめるように、悲劇に引き裂かれたふたりを、自分ができる精一杯で見守っていく。
どこまでも裏表のない人物を、軽妙な開き直りと、純朴な想いを同化させ、リアルな人物として画面に定着させる。この余裕は、純愛ストーリーに客観性を与え、前のめりにならない愛で方を提示する。そう、彼は、最良の観客として、この物語に関与している。
基本的に抑制を効かせているからこそハッとする情感が浮上する。劇的な素振りなど一切ない。だが瞬時に物事を決断する様は、ハードボイルドな趣があり、それをカムフラージュするような控え目なユーモアもまた愛おしい。
佐藤健は、運命に翻弄され、なす術もない男の肖像を、どこまでもフラットに体現する。自分の死に直面することを先延ばしにしてきたシェフが、いざその局面に立った時、ようやく具体的に立ち上がってきた漣を、あえて緩急を抑えた面持ちで表現している。
幽霊。人間が死んだ後の惑いを、やるせなさだけではない、未知の感情として、ゆっくり切実にかたちづくる。現世から切り離された存在の、それでも息づく鼓動に確かな実感を与えるためには、ここまで表現を削ぎ落とす必要があったのだろう。
浮遊する存在を演じた『リアル~完全なる首長竜の日~』、悪魔に扮した『世界から猫が消えたなら』、児童虐待の犠牲者をボイスアクトした『竜とそばかすの姫』などの出演映画とリンクする部分もある役だが、それらのどれににも似ていない。
本作における佐藤健は徹頭徹尾、初心を感じさせる。なぜならば、このシェフは生まれて初めての時間を生きているのであり、慟哭も、惜別も、未練も、すべては今一度きりの感覚だからだ。呆然としつつも、己の呼吸を止めることはない、静かで毅然とした佇まいは、演じる者たち、生きる者たちすべての、当たり前の規範とも言える。現代のフィクションに必要なのは初心だ。そのことに気づかされる。
そして、井上真央。
シェフとは、互いの長所も短所も知り尽くした婚約者であり、落ち着いた物腰の美容師である彼女は、むしろ彼の不在から、彼への想いを再燃させていく。そして、刑事を媒介とした奇妙な交流から、実在していた頃にはなかった自身の感情を見出す。
井上が全身で表現しているのは、愛する人の【不在の在】である。幽霊を信じることの畏れと慄き。受容と告白。あくまでも正気のまま、あらゆる理屈を乗り越え、【在るものは在る】真実を魂に宿らせていく。佐藤健の献身も、松山ケンイチの献身も、すべては井上真央を輝かせるためにある。
井上は、時々、信じられないくらい崇高なグラデーションを見せる。特異な現実を受け入れたからこその不安とときめき。悲観も楽観も丸ごと掴み取る決断。覚悟、覚悟、覚悟。チャーミングな覚悟へと到達する相貌のグラデーションは、ワンカットの映像で捉えられており、わたしたちは、夕焼けではなく、朝焼けをそこに見る。
幽霊が存在する世界においても、時間は有限であり、このドラマを観る者は誰もが、自身の死や、大切な人の死について考えはじめるだろう。
だが、日は昇るのだ。
それは理屈ではない。
『100万回 言えばよかった』がいかなるラストを迎えるのか見当もつかない。
だが、井上真央の顔が照らし出す【サンライズ】は、いかなる世界においても不滅であると確信している。
今回ご紹介した作品
100万回 言えばよかった
- 放送
- TBS系列にて毎週金曜よる10時~放送中
- 配信
- TVerにて最新話を無料配信中
Paraviにて全話配信中
情報は2023年3月時点のものです。