地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。
※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。
季節のない街
2024/4/26公開
宮藤官九郎×濱田岳。黒澤明『どですかでん』に挑む25分間の奇蹟
「不適切にもほどがある!」で現代性と古典性を鮮やかに響き合わせた宮藤官九郎。今度は、Disney +で放映された「季節のない街」がテレビ東京で始まった。
本ドラマは、宮藤官九郎が自ら企画していることもさることながら、演出も手がけていることが最大の特色だ。とりわけ初回のディレクションには目を見張った。
原作は、山本周五郎の同名小説。脚色にも定評のあるクドカンだが、彼の目論見は小説以上に、その映画化作品である黒澤明の『どですかでん』(1970年)に挑むことにあるだろう。
三船敏郎との決別、企画頓挫、様々なことに追い込まれ、自殺未遂まで起こした失意の巨匠が文字通り「どん底」からの再起のために取り組んだ初めてのカラー映画。それまでの作風を打破する、貧民街を舞台にした群像オムニバスは賛否両論を巻き起こした。ヴィヴィッドな色彩感覚が強烈なポエジーを突きつける本作から、黒澤明は生まれ直したと言ってよい。その後の『影武者』から遺作『まあだだよ』に至る道のりは、三船との破格のエンタテインメント群とはまるで違うもので、『どですかでん』はキャリアの分岐点となった。
『どですかでん』とは、映画のアイコンでもある“電車ばか”が口走る電車の擬音であり、山本周五郎の造語だ。黒澤作品では名子役、頭師佳孝が快演。作品のフォームを決定づけた。
宮藤官九郎は、極めて重要な役どころに、濱田岳を起用した。ドラマを見れば、このキャスティングには誰も納得するだろうが、これは発明と言ってよい。
頭師佳孝に負けず劣らず名子役だった濱田岳も現在35歳。『どですかでん』公開時、頭師は15歳だった。この20歳もの年齢差が、そのまま作品の批評意識となっている。慧眼と呼ぶしかない。
自分を運転士と信じ、どですかでん、どですかでんとつぶやきながら、街を周遊する“電車ばか”六ちゃん。その肖像は、昭和以上に令和の今のほうが胸に迫る。
誰にも危害を与えることなく、己にだけ見える線路を進んでいく、元・子供の姿を、ありきたりの狂気やもっともらしい障害としては絶対に着地させない。
一般的に考えれば人生というレールから脱輪しているはずの六ちゃんのありようは、明らかに覚醒しており、むしろ正気であることの切なさが鋭く観る者の深層心理に飛び込んでくる。
これは、多種多様な電車おたくたちではなく、日常のストレスからの逃避場所=シェルターとしての“推し活”を参照したほうがよいかもしれないが、そうした暗喩をはるかに超えた迫力で、濱田岳はこの世界にたったひとりのリアリティで、わたしたちを圧倒する。
六ちゃんの周遊を追うことで街のかたちを眺望する宮藤官九郎の初回にふさわしい的確な演出もさることながら、濱田岳による六ちゃんは、すべてを見通している超能力者か、あるいは正体不明の神のような佇まいで、こちらの思考を停止する。
ここでは、六ちゃんが、街に迷い込んだ女子小学生を街の外に送り出す冒険と、それによって引き起こされる騒動劇の顛末が、生き生きと紡がれる。誤解による決め付け、冤罪の構造、世間の断面図をテンポよく連結させながら、街の人々のエネルギーとバイタリティを同時に可視化する手際の良さにも唸るが、本エピソードの白眉は、小学生と別れた後ひとり“本物の電車”を見つめる濱田岳の風情だ。
彼は街に戻ってから、そのことを「大したことなかった」と独りごちるのだが、踏切前の六ちゃんの喪失と孤独を卓越した表現は、濱田岳キャリア最良の演技だ。間違いなく前人未到の領域に立っている。
人間表現とは、かくも鑑賞者の素肌に食い込み、こころを裸にしまうものなのか。震えるほどの演技の肖像。
3.11東日本大震災者の仮設住宅街を「季節のない街」に見立てる宮藤官九郎の尋常ならざる覚悟すべてを引き受け、巨匠・黒澤明に一歩も退かぬ濱田岳の超絶は、メディア史に大きな一頁を付け加えた。
わずか25分の奇蹟。
今回ご紹介した作品
季節のない街
- 放送
- テレビ東京系で金曜深夜24時42分~
- 配信
- ディズニープラス
情報は2024年4月時点のものです。