地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。
※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。
パーセント
2024/6/3公開
主演・伊藤万理華に注目、無尽蔵なエネルギーから目が離せない
新人プロデューサーが、初めて自分の企画でドラマを発進させる。運命的な出逢いとなった学園ドラマの世界観がベースだったが、局からの要請で障がい者を主人公に。さらには取材で知り合った現実の車椅子の少女を起用することを思い立ち、当初のイメージとはまるで違う難関に突入していく。
テレビ局を舞台に、そこに障がい者劇団を交錯させることで、現代的なドラマ制作をめぐる暗中模索を明快に紡ぐ業界もの。たとえばそう言い切ってしまうことはできる。障がい者にも、企画者である若い女性にも理解がある建前を構築しようとする局の姿勢。現実と限界を同時に示しながら、2020年代のエンタテインメントのあり方を思考=試行する作りには、ドキュメント性もバラエティ感覚もある。が、それは決して目新しいものではない。
「パーセント」が瞠目に値する理由ははっきりしている。主演が伊藤万理華だからだ。
彼女は、昨年公開の映画『まなみ100%』を観てもわかるように、たった数シーン出演のサブキャラクターを演じても鮮烈な印象を残す女優だが、その本領を発揮するのはやはり主人公を演じた時。本作は、深夜ドラマ「お耳に合いましたら。」や映画『サマーフィルムにのって』以来の代表作になる予感がある。
伊藤万理華の特異性は呼吸法にあり、そこから独自の間合い、相手との距離感、作品内でのポジションが、まるで一筆書きのように生まれていく。沈黙にもディスタンスにも、みずみずしいサムシングがみっちり詰まっていて、わたしたちはあれよあれよと、潤いある映像芝居に肩までつかることになる。どんな過酷なシチュエーションやシリアスなダイアローグに囲まれていても、彼女の演技には温泉のような癒やし効果がある。
いま、まさに世界が構築されつつある。その臨場を味わうことが、こんなにもときめきに満ちているなんて。伊藤万理華を見つめるということは、創造という現象の根源を発見することなのだ。
時に軟体動物のように蠢き、時にメレンゲのように浮くことができるこの女優の心身は、身体が震えることの豊かさ、精神がゆらめくことの多様性を教えてくれる。決まっていることなど何もない。すべてはこれからなのだ、と体感する。感情も感覚も、これから新しくなっていく予感に満ちている。
未決定であることの素晴らしさ。本作ではとりわけ、見つめるという無言の行為に彼女の美徳が凝縮しており、映像もそこを丹念に掬(すく)いとる。たとえば、ヒロイン役に起用した車椅子の少女に、軟弱な企画を拒否される時。あるいは、上司たちにダメ出しをされる時。へこたれはするが、安易に意気消沈するわけでも、単純に奮起するわけでもない。ニュートラルな地平の彼方に、可能性を見据えている。無意識かもしれぬその眼差しの無数のベクトルが物語るのは、演者が観客の合わせ鏡になる奇蹟だ。
人間には、言語化、意味化できない感情・感覚がある。わたしたちにも、ある。伊藤万理華はそれを明瞭にポップに、体現することができるのだ。謎めくことがない。未来がどうなるかはさっぱりわからないが、不安なミステリーではなく、今ここに生きているという逃げも隠れもしないエネルギーが、ただ無目的に放射されている。だから感動するのだ。
車椅子の少女の一人芝居を目撃した時、伊藤万理華の身体は勝手に動き出す。這いつくばりながら前進し、全身が、全細胞が、過呼吸になりながら、プロポーズのようにドラマ出演をオファーする。とんでもないことが起きた。が、平然とそこにいる。
そのありようは、泣いた後も画面を凝視し、笑った後も映像を見つめるつづける視聴者の持久力によく似ている。伊藤万理華を観ているわたしたちもまた、彼女のような顔をしているのだ。
彼女の芝居は一瞬たりとも説明的になることがない。特にUFOキャッチャー越しの顔つきには、この人物の人生に数えきれないほど枝分かれのパターンが埋め込まれていることを予感させ、頼もしくなってしまう。
ドラマがどこにどう転ぶのかは全くわからない。わからなくていいのだ。伊藤万理華の存在それ自体が、無数のベクトルを渦のように巻きつけていく様から、もう目が離せない。
今回ご紹介した作品
パーセント
- 配信
- NHK+、NHKオンデマンド
情報は2024年6月時点のものです。