相田冬二さんのドラマ批評

地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。

※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。

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リクエスト

スロウトレイン

2025/2/28公開

優しき人たちの思いやりが交錯する物語

 10年に一人の逸材。

 かつて名プロデューサー、貴島誠一郎にそう評された土井裕泰は2024年、還暦を迎えた。

 セカンドディレクターでありながら、ドラマ演出の奥深さ、鮮やかさを視聴者に体感させた「愛していると言ってくれ」(1995年)から30年。土井は貴島の予言通り、日本ドラマ界を支える演出家として、さらには日本映画界を支える監督として、その途絶えることのない才能を惜しみなく作品に注いできた。土井が真の辣腕である所以は、透徹したディレクションの達成のみならず、ドラマなら高視聴率、映画なら興行的成功をものにして来た実績にある。

 2025年1月2日に放映されたスペシャルドラマ「スロウトレイン」(TBS系)は、土井が還暦を迎える直前、2024年初頭に撮影されたもの。お正月にふさわしい豪華キャストによる、しみじみと味わい深い名編だが、現代日本を代表する演出家の節目となる重要作でもある。

 早くに両親を事故で失い、肩寄せ合って生きてきた3人姉弟。長女、松たか子、次女、多部未華子、末っ子、松坂桃李。次女がやおら韓国・釜山への移住を宣言。3人の静かな鎌倉生活に、変容の時がやって来る。

 編集者の長女は独身。自分たちの面倒をみてきたから婚期を逃したのではないか。次女にも末っ子にもその疑念があり、それぞれの恋愛を結婚へと進展させる一歩がなかなか踏み出せずにいる。つまりは、優しき人たちの思いやりが交錯する物語。向田邦子をも彷彿とさせる野木亜紀子の脚本は冴えている。これがホームドラマであることは間違いないが、それぞれが穏やかに自立を拒んでいる風情に現代性があり、むしろコミュニティドラマとして見た方がしっくりくる。

 がらんとした日本家屋のインテリア配置に、3人が積み重ねてきた沈黙の堆積が滲んでいる。土井裕泰が紡ぐ室内シーンの美術はいつだって、単なる生活感の醸成ではなく、人物のパーソナルな時間のミルフィーユを体感させる。ここでは、明らかに血縁関係のある3人が各自抱え持つ孤独の佇まいが、端正な内装に宿っている。だから、平穏だが、どこか哀しい。

 独自の呼吸とリズムで作品に道筋を与える松たか子。先々のことを考えない素直さに慎ましさのフレーバーを振りかける多部未華子。地味で堅実だが揺るぎないマイペースさがじわじわと効いてくる松坂桃李。いずれもプロフェッショナルな仕事が交錯することで豊かな化学反応が生まれている。芸達者たちの、わきまえたセッションは本当に美味しい。

 だが、刮目すべきは星野源だ。土井=野木コンビとはドラマ「逃げ恥」、映画『罪の声』でジョイントしている星野はここで、松たか子が担当する作家であり、松坂桃李の恋人でもある同性愛者を演じており、観る者の心身を集中させる。とりわけ、松が秘められた過去を吐露する場面で、ただ彼女の話を聴いているだけなのに、悲哀が静止し凝固しているかのような表情を浮かべる。あの顔こそ、土井が撮りたかったものなのではないか。

土井はこれまでのドラマでも、登場人物たちの孤独を見つめてきた。キャラクターの相関図にヒエラルキーを付与せず、伸びやかなフェアネスを貫く土井演出。人間を絶対に道具にしない、決して捨て駒にしないこの演出家のまなざしは本作でも健在で、前述したように3人姉弟の孤独を一緒くたにせず、つぶさに取り扱っている。それは星野源扮する作家に対しても同様で、自分は本当は松坂桃李に愛されていないのではないかという彼の不安と諦念に満ちた相貌を確かにカメラに収めている。

 だが、松の告白に耳を傾ける星野の顔面はもはや一人の人物に属するものではなくなっており、わたしたちは不意打ちの感動に直面する。これはことによると、この世界を生きるありとあらゆる人間の孤独の集積なのではないか。つまり、今このドラマを見つめている視聴者の孤独もそこに映り込んでいるのではないか。そのような感慨に到達している。

 だから、編集者、松たか子が、もう一人の担当作家、リリー・フランキーに投げかける「まだ終わりじやないです。書き続けてください」という台詞の切実さは、野木から土井への祈りでもあるかに思える。

 土井は、松と組んだドラマ「カルテット」の脚本家、坂元裕二との映画『片思い世界』(2025年4月4月公開)を既に完成させている。そこでは、土井が映画作品で一貫して追求してきた「死者」という主題も、ある種の大団円を迎えている。

 土井裕泰が引退することは、きっとまだないだろう。だが「スロウトレイン」(このタイトルもまた暗喩に満ちている)が遺作の雰囲気を纏っていることは、紛れもない事実なのである。

今回ご紹介した作品

スロウトレイン

配信
U-NEXTにて配信中

情報は2025年2月時点のものです。

筆者一覧(五十音順)

相田冬二

映画批評家

池田敏

海外ドラマ評論家

伊藤ハルカ

海外ドラマコラムニスト

今祥枝

映画・海外TV批評家

影山貴彦

同志社女子大学メディア創造学科教授・コラムニスト

小西未来

映画・海外ドラマライター

辛酸なめ子

漫画家・コラムニスト

辛淑玉

人材コンサルタント

田幸和歌子

フリーライター

寺脇研

映画評論家・元文部官僚

成馬零一

ライター・ドラマ評論家

ペリー荻野

コラムニスト

松本侑子

作家・翻訳家

村上淳子

海外ドラマ評論家

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