相田冬二さんのドラマ批評

地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。

※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。

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愛の、がっこう。

2025/10/20公開

名優、ラウールを爆誕させた誠実な意欲作

「愛の、がっこう。」(全11話)は大げさなところがまるでないドラマである。

 基本設定は連ドラの古典的フォーマットに忠実だが、展開のための展開を用意しない。女子高の国語教師と、読み書きが苦手なホストの恋を描くが、禁断の香りを漂わせない。横恋慕する者たちはいるが、あからさまな妨害工作はない。

 そして、このふたり以外の登場人物たちもまた自己矛盾と向き合っている。地団駄を踏んだり、耐えたり、クールを装ったり、無力を痛感したりする。物語を進めるための無茶な行動のようなものが見当たらず、みんなそれぞれに、自分の思うようにならない現実に、ただ傷つき、どうにか受け入れようとしている。人間たちの内面に目を向ける、誠実な作品だった。

 人間を美化することもなければ、露悪的に詰め寄ることもない。この人は善人、この人は悪人というようなお決まりがどこにもない。

 教える者、教えられる者というシンプルな関係性を軸に、性愛の絡まない、だからこそ、あやうく歯がゆい女性と男性の情景を、社会的抑圧は最低限に留め、けれどもファンタジーには堕さない寸止めのリアルで醸し出す。そして、劇性やカタルシスには頼らないし、加担しない。

 井上由美子(脚本)×西谷弘(メインディレクター)、さすがのコンビネーションだ。

 30代の女性教師と、20代のホストとが「個人授業」を行うとなれば、当然モラルの介入はある。しかし、ふたりを被害者のようには扱わないし、糾弾する人たちを加害者としても描かない。当たり前のこと、そして、どうにもならぬこととして、見つめる。両者を既存のルールに甘えさせない筆致がある。それでいて厳しくはない。人間を個人個人として表現しているからだ。

 人への尊重がある。

 主人公の女性は、かつてストーキング(それはあくまでも人間が行うことなのだ、という認識があり、別の人物にも適用される)までして破綻した「恋愛前科」がある。真面目すぎる性格ゆえか、融通がきかない性質だからなのか、紙一重の揺らぎを、切羽詰まった様子ではなく、おっとりとした風情で体現する木村文乃は新境地。作品と自然に添い遂げていく佇まいが、スロウペースでしか次の一歩を踏み出せないヒロインを肯定している。

 ままならない不甲斐なさは、全編に一貫して流れている。それを乗り越えるべきもの、遠ざけるものとしてではなく、共にあっていいものとして慈しんでいる。

 こうした作品のオリジナリティを支えるのが、ラウール(Snow Man)だ。恵まれぬ境遇のため、ディスレクシア(読み書きに限定した困難を抱えるこの学習障害は「宙わたる教室」でも丹念に描かれた)を放置したまま、ホストの世界に生きる活路を見出した青年。長身だが、どこかフェミニンな容姿。おのれの美しさを明確な武器にはできず、どこかで臆しているからこそ、開き直るしかないホスト稼業に救われている。

 ラウールの演技アプローチには悲劇的な要素がない。またキャラクターを弱者に落とし込むこともしない。かと言って、ナチュラルなどこにでもいる青年というような、ありきたりの存在感にも逃げていない。

 ただ、ここにしかいない人間がいる。

 特別な個性があるわけではない。誰にも負けない意志がみなぎっているわけでもない。極端にネガティヴではないし、完全に心を閉ざしているわけでもない。極に靡くことを慎重に避け、中庸の森の中から「世界でたった一つ」の「その人の普通」をピンセットで摘んでみせる。「普通」とは、こんなにも多彩だったのかと、わたしたちは驚く。

 言いたいことを言えない時。言うつもりだったのに仕舞い込んだ時。踊るほど嬉しい時。気分が良くて饒舌になる時。そんな誰もが思い当たる瞬間を、ラウールはその人物だけの「固有の色」で彩る。つまり、普通の時間を特別にする。派手なパフォーマンスがあるわけではない。だが、そこにはまだ誰も見たことがなかった「ときめき」が潜んでいる。

 決してドラマティックというわけではない日常の、綻びや修復を、唯一無二の「ひと・とき」として提示するラウール。ふっと目をそらすことも、虚空を見つめることも、相手に対して距離をとることも、全部ぜんぶ、その人の、その人だけの、かけがえのない瞬間だという真実を、その都度証明していく所作。この演技者は、些細な振る舞いこそが、固有の人物の「存在証明」であることを丹念に抜かりなく画面にまぶし、わたしたちの深層心理に宿らせる。

 とんでもない名優が爆誕した。

 最終話では、泣きながら笑ったり、笑いながら泣いたり、それまでになかった起伏ある表現でインパクトを与えつつも、人間性を豹変させることはなく、それもこの青年の一部なのだと体感させる離れ業を見せた。

 人間には劇的な瞬間があるのではなく、幾つもの枝分かれする感情・感覚の発露があるだけなのだという「気づき」さえもたらすラウールは、人が人を演じるという途方もなさ、大らかさ、細やかさ、そして、何よりも豊かさで、私たちのまなざしを進化・深化させる。

 人の不甲斐なさを体現し、ここまで観る者を感動させる俳優はかつていなかったかもしれない。

今回ご紹介した作品

愛の、がっこう。

配信
FOD、Netflixにて配信中

情報は2025年10月時点のものです。

筆者一覧(五十音順)

相田冬二

映画批評家

池田敏

海外ドラマ評論家

伊藤ハルカ

海外ドラマコラムニスト

今祥枝

映画・海外TV批評家

影山貴彦

同志社女子大学メディア創造学科教授・コラムニスト

小西未来

映画・海外ドラマライター

辛酸なめ子

漫画家・コラムニスト

辛淑玉

人材コンサルタント

田幸和歌子

フリーライター

寺脇研

映画評論家・元文部官僚

成馬零一

ライター・ドラマ評論家

ペリー荻野

コラムニスト

松本侑子

作家・翻訳家

村上淳子

海外ドラマ評論家

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