松本侑子さんのドラマ批評

地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。

※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。

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ライフ・オン・マーズ

2023/07/4公開

タイム・スリップと刑事サスペンスが描く1988年の韓国

 本作「ライフ・オン・マーズ」は、タイム・スリップの面白さと、難事件を解決する刑事サスペンス&ミステリーが合わさった抜群の面白さです。

 主人公は、2018年のソウル警察で科学捜査を担当する刑事ハン・テジュ(チョン・ギョンホ)。彼は、猟奇的な連続殺人事件の犯人を走って追いかけ、ついに身柄を確保、というとき、謎の人物に銃撃され、さらに犯人が逃走する車にひかれて意識を失います。

 そして気がつくと、あたりの景色は、高層ビルが立ちならぶ大都会ソウルではなく、小さなビルや庶民的な商店、狭い路地の市場がある町でした。そこに古い年式の自動車が走り、昔の流行歌が流れ、1980年代風の服を着た人々が歩いています。

 驚いたことに、彼は、1988年の韓国にタイム・スリップしていたのです。
 しかも上着のポケットには警察の辞令書が入っていて、彼はソウルの警察から、この町の警察署に配属されたことになっていました。

 そこで1988年の刑事たちとチームを組み、殺人、強盗、人質事件、賭博、警察内部の汚職など、様々な犯罪を捜査していきます。
 その一つ一つの事件の解決が見応え充分なのですが、さらにタイム・スリップの謎ときが加わり、視聴が止まらない面白さです。

 というのも、1988年の町には、2018年の猟奇殺人事件の犯人がいたのです。この犯人は、どうやってここに来たのか?

 そもそも1988年の出来事は、主人公ハン・テジュが、意識不明の入院中に見ている夢なのか? それとも不思議な現実なのか? どうすれば、彼は21世紀に戻ることができるのか……? 謎が謎を呼んでいきます。

 本作は、社会派ドラマの一面もあり、今と1988年の違いを描き出しています。

 一つは、非科学的な捜査と容疑者の人権侵害。
 主人公の刑事は、現代のソウル警察で科学捜査を担当しているため、1988年でも、被害者を医学的に解剖して、わずかな遺留物でもDNA鑑定を求めます。
 しかしドラマの1988年では、司法解剖は町の保健所でおこない、DNA鑑定は米国に送るため、一般的ではありません。
 さらに昔の刑事は、容疑者をつかまえると、取調室で殴る蹴るの暴行をくわえて、自白を強要します。
 主人公は被疑者の人権を守ってほしい、科学的な捜査をしてほしいと、1988年の刑事に注意するのですが、そんな正論をふりかざすハン・テジュに、1988年の刑事たちは反感をもち、両者は対立します。

 二つ目には、女性差別。
 このドラマは、1980年代の女性差別を意図的に描いています。
 たとえば捜査チームに一人しかいない女の巡査「ユン・ナヨン」は、「ミス・ユン」とあだ名で呼ばれています。もちろん男の刑事は、カン係長、ハン班長など、名前+役職です。そのため、2018年から来たハン・テジュが、彼女を「ユン巡査」と、名前+役職で呼ぶと、この若い女性巡査の顔に、驚きと感動の表情がひろがります。
 その「ミス・ユン」は、男の刑事たちにコーヒーをいれ、カップも洗います。男のハン・テジュがコーヒーを渡してくれると、ふたたび驚きと感謝の顔に変わります。
 そもそも彼女は、捜査について重要な手がかりを話しても、男の係長は、まともに聞きません。
 警察内ではセクハラ発言も受けます。現代人のハン・テジュが、男の刑事に、「同僚の女性に、そんなことを言ってはいけない」と言うのですが、理解されない。そういう時代なのです。

 三つめに、軍事訓練。
 ドラマの1988年では、夜、サイレンが鳴り、家の電灯を消す灯火管制の訓練があります。韓国は北朝鮮と休戦中であり、万が一、北朝鮮が夜間に空襲をする可能性にそなえて、攻撃の的にされないよう、家の明かりを消すのです。

 四つめに、アナログ社会。
 1988年はコンピューターのネットワークがないため、捜査で住民の検索もできなければ、犯罪記録のデータベースもない。このドラマを見て、コンピューターとネットによって、警察の捜査が飛躍的に進んだことをあらためて実感しました。

 このように、21世紀から来たハン・テジュは、1988年の「古さ」に困惑しますが、色々な事件をみんなで助けあい、体をはって命がけで解決していくうちに、昔気質の人情味あふれる刑事たちとの間に友情が生まれ、かけがえのないパートナーに変わっていきます。

 さらにハン・テジュは1988年に幼い子どもだった自分や、若い父と母にも会います。このドラマは、大人になった主人公が、若い両親に会い、親の人生を知っていく家族の物語でもあるのです。

 このドラマが面白いのも当然で、本作は、国際エミー賞など世界的な賞を受賞して世界でヒットした英国BBCのドラマ『時空刑事ライフ・オン・マーズ』(2006年)のリメイク版です。

 英国版では、刑事は1973年に行きますが、韓国では1988年という設定に意味があります。
 というのも韓国は、この年の秋に開催されたソウル五輪にむけて、前年の1987年から国を挙げて民主化を進めていたのです。
 独裁的な政権から民主国家へ、たとえば大統領を国民が選挙で決める直接選挙、言論の自由の保障、警察での暴力禁止など、社会が大きく変わっていく分岐点だったのです。

 演出のイ・ジョンヒョは、のちに『愛の不時着』(2020年)を手がけ、この2作は似ています。
 『愛の不時着』では、ヒロインが思いがけず北朝鮮へ行き、最初は韓国に帰りたがりますが、やがて北で恋と友情が生まれます。本作でも、主人公は現代のソウルに帰りたいと願いながらも、スマホもメールもないアナログ時代の濃い人間関係のなかで、たしかな友情と絆、淡い恋心が育まれていきます……。
 キャストも重なっています。主人公のチョン・ギョンホ(『愛の不時着』ではユン・セリの恋人)、1988年の熱血刑事パク・ソンウン(北朝鮮のタクシー運転手)、飲食店店長コ・ギュピル(ユン・セリに忠実な部下)など。
 本作の最終回は、泣き通しでした。結末の驚きと衝撃、その意味の解釈まで、目が離せません。『イルタ・スキャンダル』でチョン・ギョンホ沼にはまった女性にも、刑事サスペンス好きの男性にもオススメの傑作です。


松本侑子さん企画・同行解説の文学ツアー第2回『イタリア旅物語』10月11日~10月18日
詳細はホームページにて(カタログハウスのサイトの外に移動します)

今回ご紹介した作品

ライフ・オン・マーズ

以下の配信サービスで視聴できます。
Amazonプライムビデオ・U-NEXT・Hulu・FOD

情報は2023年7月時点のものです。

筆者一覧(五十音順)

相田冬二

映画批評家

池田敏

海外ドラマ評論家

伊藤ハルカ

海外ドラマコラムニスト

今祥枝

映画・海外TV批評家

影山貴彦

同志社女子大学メディア創造学科教授・コラムニスト

小西未来

映画・海外ドラマライター

辛酸なめ子

漫画家・コラムニスト

辛淑玉

人材コンサルタント

田幸和歌子

フリーライター

寺脇研

映画評論家・元文部官僚

成馬零一

ライター・ドラマ評論家

ペリー荻野

コラムニスト

松本侑子

作家・翻訳家

村上淳子

海外ドラマ評論家

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