地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。
※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。
恋せぬふたり
2022/04/29公開
向田邦子賞受賞作。恋人でも家族でもない2人の同居生活を描く家族(?)コメディ
単発ドラマ(2016年)を経て、連ドラが社会現象になった『おっさんずラブ』(2018年/テレビ朝日系)以降、ドラマの中で様々な性のあり方が描かれ、論じられる機会が増えた。
とはいえ、『おっさんずラブ』は、セクハラやパワハラ、差別などの概念がなく、悪人が存在しないファンタジーな世界観を描いた作品であり、正しくは「BL(ボーイズラブ)」作品でも「LGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クエスチョニング)」を描いた作品でもない。
そこにこの作品の功罪があり、その後、ジェンダーに悩む人々の本当の問題や心理を丁寧に描く作品がいくつも生まれ、世間の認知度・理解度が少しずつ高まった一方で、単なる「流行」として要素だけ取り入れた・香りだけ振りかけた作品を粗製濫造してしまうきっかけともなったように見えた。
そんな中、今年1月期に登場したのが、他者に恋愛感情も性的欲求も抱かない「アロマンティック・アセクシャル(無性愛)」の男女の共同生活を描いた『恋せぬふたり』(NHK総合)である。
岸井ゆきのと高橋一生のW主演ということ、脚本を手掛けたのが、『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』(2020年/テレビ東京。通称「チェリまほ」)で、純粋BLを普遍的かつ優しくもどかしいファンタジーに仕立てた吉田恵里香ということから、まず間違いない作品だと思った。
さらに、制作にあたり、実際に無性愛の当事者や当事者団体による考証や取材をもとにしていることも知り、ますます関心が高まった。
しかし、実際に観ると、「間違いない作品」どころか、自身の中の様々な無理解・無神経と向き合う、痛みを伴う作品でもあった。
主人公・兒玉咲子(岸井ゆきの)は、親友とのルームシェアの約束を反故にされたことを機に、恋愛にもセックスにも興味を持たない自身の性質と改めて向き合う。そうした中で、「アロマンティック・アセクシャル」という性的指向があることを知り、当事者が書くブログを発見。そのブログの運営者が仕事で知り合った高橋羽(高橋一生)だと知ったことから、同じ性的指向の者同士、「家族(仮)」になろうと、高橋の家で同居を始める。
※以下、内容に関するネタバレを含む表現があります。ご注意ください。
しかし、二人の同居を知った家族が「普通の幸せ」と盛り上がる姿に苛立った咲子は、アロマアセクをカミングアウトすることに。
一方、元カレ・松岡一(濱正悟)に自分の性的指向を知られ、理解できないと全否定される。しかし、松岡は咲子と高橋を恋人同士と誤解し、嫉妬で高橋に絡むうち、階段から落ちそうになり、それをかばった高橋が大けがを負う事態に。そこから、高橋のけがが回復するまで世話をすると称し、ふたりの家に松岡が転がり込むのだ。
実はこの松岡が登場してから、ドラマはグンと面白さを加速させていく。デリカシーなく何でも質問し、何でも恋愛と結びつけて解釈しようとする松岡の姿は、おそらく昔の自分自身だ。
「誰か紹介してもらったら?」と姉を心配して言う妹も、それを聞いて「プレッシャーかけちゃダメ」と気遣う母も、きっとかつての自分だ。そうした無神経・無理解を見るたび、胸がチクチクしてくる。
しかし、松岡の凄いところは、デリカシーなく踏み込み、二人に辟易され、たしなめられつつも、「好きだから理解したい」と、高橋から受け取ったアロマアセクの関連書籍に付箋をびっしり貼るほどに、懸命に勉強していくこと。そして、高橋からの「恋愛感情抜きの家族とは?」の問いに、「帰ってくる場所」と答えるまでに“成長”すること。
もちろんこれが誰にとっても、誰に対しても「正解」ではない。しかし、私たちの一つの指針になる気がする。
なぜなら、LGBTQに対する認知度がここ数年の間で急速に高まり、自分自身がたどり着いたのは「自分が何もわかっていない」と認識することだったから。
だからこそ、できるだけ「間違えないように」ということばかりに主眼を置き、いつもビクビクしてきた。
しかし、恐れず学び続け、対話し続ける松岡の姿は、固定観念を持たなかったはずの咲子と高橋にも影響を及ぼしていく。
最終的に別々に暮らす道を選んだ咲子と高橋。しかし、それは心地良い現在の生活と、夢を追う仕事の2つの要素において、「諦めるんじゃなくて、両方どり」という結論だった。
咲子は言う。
「何にも決めつけなくてよくないですか? 私たちも、家族も、全部(仮)(編集部注:カッコ仮)で」
言葉にすると、それにしばられるから、そのときのベストを考えれば良い――そんな咲子の考え方は、きっと私たちも皆、無意識に縛られている様々な「普通」から解放してくれるものだ。
自身の持つ「普通」を疑ってみること。そして無知を恥ずかしがらずに、学び、対話し、アップデートすることの大切さを教えてくれる作品だった。