地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。
※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。
雪国
2022/05/13公開
川端康成の代表作を新たな視点で映像化。会津若松の美しい雪景色も必見
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という有名な書き出しで始まる、日本人初のノーベル文学賞受賞作家・川端康成の小説『雪国』。一部分は教科書で読んだことのある人も多いだろう。
しかし、「国境」の読みが「こっきょう」なのか「くにざかい」なのかはまだ結論が出ておらず、国境を汽車で通ったのか徒歩だったのか、「主語」が誰かなど、たった一文だけでもいまだに議論に上る点は多い。
そんな純文学を真正面からドラマ化した意欲作が高橋一生主演の『雪国』だ。
高橋一生主演×渡辺一貴氏演出といえば、NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』(2017年)、NHK総合『岸部露伴は動かない』シリーズ(2020年・2021年)に続く注目のタッグ。人物デザインは『岸部露伴は動かない』にも参加した柘植伊佐夫氏で、脇を固めるキャストは奈緒、森田望智、高良健吾など。この時点で画的な美しさや豊かな情趣が期待される。
おまけに脚本を手掛けるのは、NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』で3世代ヒロインの100年の物語を描き切った“剛腕”脚本家・藤本有紀氏である。いったいどんな物語が描かれるのか。以下、ネタバレありなので、ご注意を。
冒頭で暗いトンネルを歩く主人公・島村(高橋)の影と静かなモノローグが登場し、思わずゾクゾク。真っ白な雪の中に浮かび上がる駒子(菜緒)の鮮やかな着物、眩いばかりの青いマント、後れ毛や紅潮した耳の色っぽさは、まるで絵画のように美しく、かつポップで、『岸辺露伴は動かない』を思い出す人も多いだろう。
雪国に向かう汽車の中で、島村(高橋)は病人の行男(高良)に寄り添う娘・葉子(森田)を見る。その後、宿で半年ぶりに再会した駒子は芸者になっていた。一晩を共に過ごした翌日、駒子の部屋を訪れると、そこには葉子と行男がいて、行男と駒子は幼馴染だという。
駒子が芸者に出たのは、行男の治療費のためだったというが、行男に寄り添っているのは葉子。そんな葉子は駒子に遣い走りをさせられたかと思えば、島村に「(駒子に)よくしてあげてください」と言い、その一方で駒子を憎いと言う。この二人の関係性は実に奇妙で、島村は駒子に惹かれながら、葉子のこともどこか気になっている。
小学校高学年~中学生の頃に背伸びしてわかったつもりになっていた主人公・島村は、親の遺産で裕福に暮らし、妻子持ちながらも雪国の温泉地で若い女性と気ままに遊ぶ“鼻持ちならない男”という印象だった。
しかし時を経て、改めて本作で映像作品として向き合ってみると、その印象は大きく異なる。それは、高橋一生扮する島村の存在が諦念に満ちていて、悲しく軽く、限りなく希薄であること。これは藤本脚本による大胆なアレンジによるところが大きい。
島村は駒子が「雑記帳」に読んだ小説の題や登場人物、関係性などを記していることを「徒労」と評し、駒子が芸者に出てまでも行男の治療費をつくること、生きることも愛することもすべて「徒労」だと言う。
しかし、その「徒労」という言葉が、女たちではなく、一番は自身に向けられた虚しさであることが、本作を見ると浮かび上がってくる。
真っ白な分厚い雪に覆われた雪国の厳しい自然と、そこに閉じ込められ、秘めた灯火を燃やし続ける女たち。「不思議な清潔感」と可憐さ、妖艶さを持つ駒子と、素朴な中に生温かい不穏なエロスを漂わせる葉子とは、対照的に見えつつ、表裏一体だ。そして二人は雪国の自然との境界線が曖昧に溶け合うように、次第に一体化していく。その渦の中に、ほとんどセリフを発することなく、強烈な印象を与える行男(高良健吾)が存在している。
高橋一生演じる島村はどこまでも空虚で、人生の退屈をひたすら消費すべく、駒子や葉子の中に熱情を求めているように見える。
しかしどこまで行っても島村は雪国の人々の「埒外」にいて、「傍観者」で「異邦人」だ。島村と雪国の人々の間には大きな壁があり、島村は彼らを映し出す鏡であり、媒介としてのあり方なのだ。
島村のそうした異邦人の視点が際立つのは、構成のトリッキーさ(編集部注:巧妙さ)のせいもある。
原作を読んだことがある人の中には、ラストの火事の場面で唐突に幕が閉じる呆気なさにしばし茫然とし、考え込んだ人も多いだろう。本作では、そのラストシーンの炎と、冒頭の汽車の中で見た灯火とが島村の脳裏で結びつく。
そして、島村が映像を眺めるスタイルで、視点が駒子の日記に移り、怒涛の種明かしが行われるのだ。そこに登場する島村は「主人公」ではなく、あくまで脇役、それも異邦人で、別世界からの闖入者なのだ。これこそが「徒労」、これこそが救いようのない孤独である。
純文学は、余白や余韻が多く難解であるゆえに、解釈が人によって異なることも多い。そうした余白を残しつつも、映像によって新たな息吹をもたらした『雪国』。
これはBSプレミアムだからこそできたことではあるが、本作のチャレンジを機に、純文学の映像化作品が今後ますます増えそうな気がする。