田幸和歌子さんのドラマ批評

地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。

※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。

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どうせ死ぬなら、パリで死のう。

2025/5/19公開

哲学の非常勤講師と少年、悲観主義者コンビの日常

 ドラマ好きにルーツを尋ねると、野木亜紀子を筆頭とした現在のトップヒットメーカーや、ゼロ年代の宮藤官九郎や木皿泉、いわゆる「ドラマ黄金期」から息長く活躍を続ける坂元裕二や野島伸司、ホームドラマ全盛期の向田邦子や山田太一、20代なら生方美久など、世代によって挙がる名前や作品は様々だ。

 そうした時代の大きな流れとは別に、いつの時代も「人生観」や「死生観」「文化」「哲学」などとの一期一会の出会いをくれるのが、NHKのスペシャルドラマだと思う。それは幼い頃に背伸びして、親の本棚から引っ張り出した大人の小説の青い読後感にも似ていて、自分にとっては小中学生の頃に観た唐十郎の『安寿子の靴』(1984年)、『匂いガラス』(1986年)などが、今のドラマ取材仕事にもつながるルーツだったと言える。

 そうしたNHKにしか作れない一期一会のドラマが、岡山天音主演の『どうせ死ぬなら、パリで死のう。』だ(3月16日放送。現在はNHKオンデマンドで配信中)。岡山天音主演で、「哲学」の話というだけで期待大だが、タイトルのセンスの良さと、冒頭30秒の音楽・映像のみで良作が確信された。

 生きることに絶望しながら、大学で哲学の非常勤講師をしている主人公・昼間吉人(岡山)はある日、妊娠中の姉から出産までの間、小学生の甥っ子・幸太(森優理斗)を押し付けられる。姉には長髪&髭のバンドマンの彼氏がいるが、おなかの子は別の男の子どもというカオスぶりだ。

 吉人は子どもが苦手ながらも、幸太を公共プールに連れて行き、自分は着衣のまま傍らで本を読んで過ごしたり、「御馳走」として牛丼屋チェーンに連れて行ったりするが、ぎくしゃくしたまま。そのうち幸太が失踪、どうにかこうにか探し出した幸太は川に入っていくところで、「ここじゃない、どっか行きたい」を連発する。

 そこで、吉人も「おじさんも遠くに行きたいよ」とぽつり。「直接のきっかけは、足が遅かったことだと思う」と自身の人生のつまずきを語りだす。実際、子どもの頃は足が速いだけで、誰の役に立っているわけでもなくとも崇められ、逆に足が遅いと誰の迷惑にもなっていないのに、なんとなく下に見られる不思議なカルチャーがある。

 そうした意味不明の基準「足の速い・遅い」でヒエラルキーができたり、人格形成されたりすることはあるもの。「足が遅い族」は、心身ともに健康な「足が速い族」にはたどり着けない人生の深淵に触れることができたり、学問・文化への関心に向かったりするプラスの面もある一方、物事を深く考えれば考えるほどこじらせ、現実社会で食っていけない、生きづらい人生になることも、残念ながら多い気がする。

 しかし、そうした吉人の語りに幸太が共感。吉人の大学の講義を聴講し、吉人が心酔する悲観主義者(ペシミスト)のエミール・シオランと、彼の唱える「反出生主義」(誕生に否定、出産の否定)や、吉人がシオランの言葉を毎日写経していることを知り、吉人にも哲学にも興味を持つようになっていく。

 すっかりペシミストになった幸太に、なぜこんな世の中で生きるのかと問われた吉人の理解者で哲学の准教授の答えが、実に良い。

「私はね、ズタボロで悲惨な人生のほうが味わいがあると思ってるから。何でもうまくいくツルッツルの人生って、なんかダサくない?」

 この言葉を聞いたときの幸太の目の輝きが眩しい。演じる森優理斗は朝ドラ『らんまん』(2023年度上半期)で神木隆之介扮する主人公・槙野万太郎の幼少期を演じた子役で、学問への目覚めの表現が相変わらず抜群だ。

 実際、小中学の義務教育に馴染めなかったり、受験予備校と化した高校は楽しめなかったり、生きづらさを抱えた子が、初めて学問に出会い、楽しい・好きだと思える場所が大学だというケースは、結構ある気がする。「大学に向いている子」というのは、いるものだ。

 ただし、学問や大学が向いていた吉人は、奨学金という借金を背負い、唯一の救いである学問の道に進んだものの、文系のポストはどこにもなく、常勤講師になることもできないのが現実。「お先は真っ暗だ」「漆黒の闇だ」と嘆き笑う吉人を見て、幸太は考え込む。

 そして、徐々に年齢・立場を超えた互いの理解者となっている吉人と幸太にとって、感情を強く揺さぶる大きな出来事が起こる。その出来事を前にした幸太の迷いと、不器用な吉人の励まし。その後の吉人のつぶやいた一言「これだから、世界は……」と、ちょっと泣きそうで、ちょっと嬉しそうな表情――この一瞬の芝居に人間、そして人生の可笑しさや愛おしさが凝縮されている。そして、最後の最後にタイトルの意味がわかるのだ。

 メモをとりたくなるような言葉がいくつもあり、余白も余韻もたっぷりあって、考えさせられる作りながら、無駄な箇所が何もない名作。あまりの出来の良さに、てっきり原作付きだと思っていたが、実はまだ30歳の脚本家・伊吹一のオリジナル作品だった。 「これだから、世界は……」

今回ご紹介した作品

どうせ死ぬなら、パリで死のう。

配信
NHKオンデマンドにて配信中

情報は2025年5月時点のものです。

筆者一覧(五十音順)

相田冬二

映画批評家

池田敏

海外ドラマ評論家

伊藤ハルカ

海外ドラマコラムニスト

今祥枝

映画・海外TV批評家

影山貴彦

同志社女子大学メディア創造学科教授・コラムニスト

小西未来

映画・海外ドラマライター

辛酸なめ子

漫画家・コラムニスト

辛淑玉

人材コンサルタント

田幸和歌子

フリーライター

寺脇研

映画評論家・元文部官僚

成馬零一

ライター・ドラマ評論家

ペリー荻野

コラムニスト

松本侑子

作家・翻訳家

村上淳子

海外ドラマ評論家

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