辛淑玉さんのドラマ批評

地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。

※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。

>プロフィールを見る

リクエスト

医師チャ・ジョンスク

2023/7/18配信

専業主婦歴20年の女性が研修医に…!?

 登場人物が全員医者というラブコメ『医師チャ・ジョンスク』を見て、ああ、韓国の閉塞感はここまで来たのか、と思った。

 ジョンスクは、医学部の学生だったとき、同じ医学部の、しかも恋人のいる男子学生と出来ちゃった婚をする。その後は医師の妻として専業主婦となり、二人の子どももできるのだが、ひょんなことから改めて医師として働こうとしたところから物語が始まる。
 実はこの夫、学生時代の恋人ともう一つの家庭を持っていて、しかも両家には同じ歳の娘がおり、娘同士は友達という、なんとも言えない関係。
 その上、ジョンスクが採用されたのは夫と息子、さらに夫のかつての恋人も働いている病院で、ここに関係者全員が集合してしまう。

 二人の女を翻弄するこの夫が、こいつのどこがいいんだろう?と思ってしまうほど魅力のない男というのも愉快だ。毎回「こんなクソ男、さっさと捨てればいいのに」とつぶやきながら見てしまう。
 結末は見てのお楽しみなのだが、医療ドラマでもないのに主な登場人物が全員医者というのがミソなのだ。

 思えば最近、医者を主人公(の一人)としたドラマが増えてきた。2013年の『メディカルトップチーム』あたりからだろうが、有名どころでは『浪漫ドクター キム・サブ』『賢い医師生活』『医心伝心』『海街チャチャチャ』『ドクターズ』『39歳』『ドクター異邦人』『太陽の末裔』『ジャスティス』と、ふと思い出しただけでも出るわ出るわ。
 で、この医師ものと張り合っているのが、弁護士や検事の物語だ。
 ヒット作としては、『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』『離婚弁護士シン・ソンハン』『未成年裁判』『法廷プリンス』『弁護人』『ハンムラビ法廷』『ルール通りに愛して』などがあり、この手のドラマも数え切れない。
 韓ドラでは従来、国王、世子、財閥トップ、大統領、北朝鮮高官といった立場のヒーローが作られてきたが、今はそれが医者と弁護士なのだ。これって、在日社会と同じ現象が韓国社会にも起きているということではないだろうか、と思ってしまう。

 日本は敗戦後、旧植民地出身者から日本国籍を奪い、「外国人」とすることで無権利状態に陥れ、社会から排除した。戦前からの蔑視・差別も温存されて、公的制度的な差別に加えて民間による差別も今日まで続いている。
 その代表が就職差別だ。長い間、在日は公務員はおろか民間企業にも就職できなかったのだ。「日立就職差別裁判」は、採用後、出自を理由に内定を取り消されたことによる裁判だった。
 そんな絶望的な社会の中で、唯一「上」を目指せる職業が「医者」だった。後に、これに「弁護士」が加わる。国家資格としての医師と弁護士は、まさに、合格すれば身分社会を超えていけた「科挙」のようなものだったのだ。

 韓国では、朝鮮戦争によって王朝時代以来の王族や両班といった伝統的身分は崩壊したが、軍事政権下での開発独裁で「財閥」という新しい身分階層が出現した。
 韓国の財閥企業では、一般的な企業とは異なり、徹底した「一族経営」が行われる。無能でも社長の子は社長になれるし、日本のように金融機関から役員が来ることもない。
 今で言う「親ガチャ」で人生が決まるのだ。
 受験勉強を頑張って大学に入っても、一流企業に入れるのはその一部だけ。そして、入社したとしてもトップにはなれない、というのがいまの韓国社会だ。
 そんな中、試験に合格すれば誰でも上を目指せるのが、国家資格としての医師と弁護士というわけだ。
 外国による植民地支配に朝鮮戦争、長期にわたる軍事独裁政権とくれば、何代も続く老舗の店などほとんど存在し得ない。しかも、朝鮮戦争は今でも「休戦」状態で、いつまた始まるかも分からない。
 そんな社会の中で、子どもたちに少しでもいい生活を与えるには教育しかない。だから、自営業の父親が子どもに店を継がせようとすることなどほとんどなく、もっと社会的に「上」の職業につかせるために必死になる。

 海外への移民が多かったのも貧しさから抜け出すためだし、日本の半分の小さな国土では産業振興にも限界がある。
 「医者」と「弁護士」のドラマが多いのは、まさに、韓国社会が行き着いた閉塞感からの脱出窓口がそこだからだろう。
 何代も続く冷麺屋の話とかが韓ドラで出てくることは当分なさそうだ。
 「医師チャ・ジョンスク」を見て毎回爆笑してはいるが、同時になんとも切ない気持ちになるのは、そこなんだよね。

今回ご紹介した作品

医師チャ・ジョンスク

配信
Netflixにて独占配信中

情報は2023年7月時点のものです。

筆者一覧(五十音順)

相田冬二

映画批評家

池田敏

海外ドラマ評論家

伊藤ハルカ

海外ドラマコラムニスト

今祥枝

映画・海外TV批評家

影山貴彦

同志社女子大学メディア創造学科教授・コラムニスト

小西未来

映画・海外ドラマライター

辛酸なめ子

漫画家・コラムニスト

辛淑玉

人材コンサルタント

田幸和歌子

フリーライター

寺脇研

映画評論家・元文部官僚

成馬零一

ライター・ドラマ評論家

ペリー荻野

コラムニスト

松本侑子

作家・翻訳家

村上淳子

海外ドラマ評論家

週刊テレビドラマTOPへ