地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。
※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。
ミスター・ベイツvsポストオフィス
2024/6/6公開
英国史上最大の冤罪事件に迫る社会派ドラマ
©ITV Studios Limited 2023
エンターテインメントには社会を動かす力がある。#MeToo運動を後押ししたり、人種や性的マイノリティの俳優やスタッフの起用を促す。あるいは、未解決のままお蔵入りとなっていた事件がドキュメンタリーシリーズ化されたことで、新たな展開を迎えるといったパターンもある。
2024年元旦に英国の民間放送ネットワークITVで放送された、英国史上最大規模の冤罪事件を題材にした『ミスター・ベイツvsポストオフィス』は、久々にそうした思いを強くさせてくれる話題作だ。本作の大ヒットにより、英国ではこの事件に注目が集まり、事件の全容解明と問題解決を推し進める世論の形成に大きな影響を与えている。
©ITV Studios Limited 2023
2000年代から長年にわたり、ポストオフィス(郵便局を統括する国営の郵便会社)が民間委託した736人もの郵便局長が、窃盗や詐欺などの罪に問われた。しかし、それは完全なる冤罪で、原因は富士通がポストオフィスに納入した会計システム「ホライゾン」に重大な欠陥にあった。英国各地の郵便局では何度数字を確認し、入力し直しても帳簿の数字が合わない事案が発生したが、ポストオフィスに問い合わせても「問題があるのはあなただけだ」と言われて、契約上不足額の埋め合わせなど全責任を負わざるを得なかった。果ては投獄される者、有罪判決を受ける者、中には自殺者まで出てしまい、多くの当事者とその家族の人生を狂わせ、破滅させた。
現在でも係争は続いているこの大スキャンダルが、どのようにして起こり、いかにして黙殺され、罪なき人々が長期にわたり苦しむことを強いられたのか? 監督は『ブロードチャーチ〜殺意の町〜』『ドクター・フー』などで知られるヒットメーカー、ジェームズ・ストロング、脚本はジャーナリストの経験があり、数々の人気ドラマを手掛けてきたグウィネス・ヒューズ。両者共に製作総指揮にも名を連ねて、ドラマを全4話でコンパクトにまとめて事件概要と問題点を端的に浮き彫りにし、優れた手腕を発揮している。
©ITV Studios Limited 2023
多くの被害者の中から8人にフォーカスし、早い段階からこの問題に立ち上がったアラン・ベイツの活動を軸にして、会計システムの欠陥を主張し、ポストオフィスという巨大組織に闘いを挑む。その過程は、まさに辛酸をなめるという言葉しか思い浮かばない。ベイツたちが一歩前進したかと思えば、相手はすぐに狡猾な手段で潰しにかかる。ポストオフィスに対する権威主義的な社会通念と、各地の郵便局という存在が「小さな問題である」と捉えられたことで、メディアも口をつぐんだのだろうか。
しかし、本作はあくまでもゴリゴリの社会派ドラマとして巨悪を糾弾するつらいだけの物語ではなく、被害者たちのそれぞれの日常、幸せな瞬間も含めて丁寧に伝えることで、視聴者に「私たちと同じような人々が苦しめられている」という共感を促すことに重きを置いている。この点にこそ、ドキュメンタリーではなく、あくまでもエンターテインメントとして本作を描くことの意義があると思う。
©ITV Studios Limited 2023
その土地のコミュニティに欠かせない英国の郵便局は、地元の商店が兼ねている場合もあれば、脱サラして郵便局を始めた人など、運営する人々の事情はさまざまだ。特に、のどかで風光明媚な地方の小さな町では、人々の日々のおしゃべりの相手になったりする世話焼きも多く、住人たちから慕われて信頼の厚い人が多い。そこにきて身に覚えのない横領などの容疑がかけられること自体が、彼らの名誉をどれほど傷つけたのか。そのことを思うだけで胸が痛くなる。
私自身は数字や会計システムを使うことには苦手意識があるため、人の良さげな中年女性が電話口で指示された通りに数字を画面に入力するたびに、不足金額がどんどん増えていくのを見てパニックに陥る姿を見るに忍びなかった。このように、誰もがどこかしらに自分を投影できる善良な人々の姿を描くことで、ポストオフィスや一部のエリート層、さらには政府に徹底的にないがしろにされ、理不尽な犠牲を強いられたのは「私たち一般市民である」という視聴者の当事者意識は強くなる。国民対巨大組織、国民対英国政府の闘いとして、この事件を自分ごととして視聴者が捉えたことが社会を動かす原動力になっているのだろう。
©ITV Studios Limited 2023
アラン・ベイツ役の英国の演技派俳優トビー・ジョーンズほかキャストやスタッフの多くも、この事件については本作に関わるまで実はよく知らなかったと発言している人が多い。しかし、事件を学ぶ中で、彼らはベイツたちが何を求めているのかを知ることになる。それは嘘に塗り固められた事件の「真相とは何か」である。
この闘いにおいて重要な役割を果たしたベイツは、本人を含めた関係者のインタビューなどを読むと、主演のジョーンズはベイツの特徴をよく捉えて演じているのではないかと想像できる。決してヒーロー然とすることなく、そこはかとなくユーモアがあり、どこか謎めいている。そして自分の功績を強調したり、晴れがましい場所で前面に出るといったことはしない。そんなベイツの職人気質で素朴なキャラクターもまた、本作が多くの人の心を捉えた点でもあると思う。
『ミスター・ベイツvsポストオフィス』は、もちろん本作に描かれていることが事件の全てではない。かなり簡略化されているが、これを入門編として、この事件に目を向けて欲しいという作り手の目的意識が明快な作りがいい。そして、あくまでも万人が楽しめるエンターテインメントであることが重要なのである。
今回ご紹介した作品
ミスター・ベイツvsポストオフィス
ミステリーチャンネル
配信: 6月15日迄
放送: 8月放送
※ミステリーチャンネルは、スカパー!、J:COMほか全国のケーブルテレビ、ひかりTV、auひかりで見ることができます。
情報は2024年6月時点のものです。