今祥枝さんのドラマ批評

地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。

※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。

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マルプラクティス〜陰謀の処方箋〜

2024/9/20公開

医療関係者を取り巻く過酷な現実を浮き彫りにする英国サスペンス

© World Productions Limited 2022

 人間なら、誰でもミスをする。それが真理だということに異論を唱える人はいないはずだ。だとするならば、専門性のある職業についている人たち、例えば人間の命にかかわる医師や看護師といった医療関係者のミスは、どれだけ許容され得るのだろうか?

 イギリスのITVの医療スリラー『マルプラクティス〜陰謀の処方箋』(2023年/原題:Malpractice)は、タイトルの通り「医療過誤」を物語の入り口としている。そして、本作の救急外来の怒涛の‟日常”を伝えるオープニング・シークエンスを見るだけで、こうした医師たちがどれほどのストレスとプレッシャーにさらされているのかはよくわかる。

 主人公は、優秀で野心のある医師ルシンダ・エドワーズ(ニアフ・アルガー)。救急外来に患者がやってくる前から、明らかに彼女は疲れ切っているように見える。上司は子供を迎えに行くからと早く帰り、彼女をリスペクトするシフト終わりの部下には早く帰って休めと言い、残った経験の浅い部下は自信がなさげで頼りない。明らかにマンパワーが不足している状態の中で、オピオイド(麻薬性鎮痛薬)のオーバードーズ(過量摂取)で若い女性イーディスが運ばれてくる。ルシンダがイーディスの状態を安定させ始めたその時、銃を振りかざした男が病院の受付にやってくる。彼はパニック状態に陥り、足元に横たわっている血にまみれた重傷の少年の治療を求めていた。

© World Productions Limited 2022

 ルシンダの体を張った対応により、少年の治療が可能になるが、ここでルシンダはイーディスではなく少年を診ることを強いられる。戦場のような混沌とした現場で、ルシンダは究極の選択を瞬時に下さねばならず、新米部下に対処法を口頭で伝えて少年のもとへ。結果として、イーディスは命を落としてしまう。

 常にイライラとしながらやや高圧的に部下に接し、自らも情緒不安定で薬が手放せないルシンダは、好感度が高いキャラクターとは言えない。しかし、1秒を争う救急外来の現場は、彼女のような存在がいなければ回らないだろうとも思わせられる。そして、ルシンダが日々さらされているストレスがいかほどなのかと、ため息をつかずにはいられない。

 ところが、ルシンダは部下に指示した内容や当日の判断をめぐり、イーディスの死亡の責任を問われ、医療調査ユニット(MIU)の調査を受けることになる。医療過誤の可能性を訴えるイーディスの両親の気持ちもわかる一方で、あの状況でプロフェッショナルに徹したルシンダは、本当に指示を間違えたのだろうか? 吹替版ではなく原語(英語)で試聴するすれば、その答えは一目瞭然なのだが、ドラマは視聴者の想像をはるかに超えるスピード感を持って、医療過誤の調査の過程からルシンダが抱える秘密を明らかにしていき、さらには欧米で社会問題となっているオピオイドや薬物依存の問題から医療業界の闇に鋭く切り込んでいく。全5話の中にやや盛り込み過ぎにも感じるが、サービス精神に満ちた娯楽作として非常に高いレベルに仕上がっている。

© World Productions Limited 2022

 イギリスの大ヒットドラマ『ライン・オブ・デューティ 汚職特捜班』や『ヴィジル』シリーズを手がけた制作会社による本作。全話の監督は、レストランの舞台裏のカオスを90分ワンカットで描いた映画『ボイリング・ポイント/沸騰』のフィリップ・バランティーニが手がけている。キッチンと医療現場の違いはあるが、多くの人間がひしめき合い、時に怒声も飛び交う臨場感に満ちたカオスの描写は得意とするところだろう。そして何よりも素晴らしいのは、ルシンダの真に迫った、医師としての悲鳴にも近い心の叫びを伝える巧みな心理描写だ。脚本を手がけたのは、国民保健サービス(NHS)で10年間医師として働いたグレース・オフォリ=アタ。社会派の要素と娯楽性が融合した本作は、多くのトピックを扱ってはいるが、やはり核心部分は現代の医師が働く容赦のない世界を伝えることにあるだろう。

 古くは『ER 緊急救命室』などではおなじみの救急外来を題材にしたドラマは各国で人気が高いが、特に近年の欧米作品ではパンデミックにおける経験が医師たちに与えた影響の大きさを描いたエピソードが定番だ。本作でも、ルシンダはパンデミックの際に心が壊れてしまうような経験をしたことが、現在の彼女の精神状態を左右していることが描かれる。改めて、コロナ禍に現場で戦った医療従事者たちの職業倫理や責任感に頭が下がる思いだ。

© World Productions Limited 2022

 それなのに、である。本作で描かれるイギリスに関して言えば、賃金の低下や慢性的な資金不足、国民保健サービスの維持は厳しい状況で、長時間勤務に多くの医師が苦しめられている。さらに、患者やその家族の権利意識は高くなっており(それ自体は悪いことではないが)、今に始まったことではないが救急車のサイレンを聞けば訴訟のチャンスありと待ち構える弁護士たちの存在は、医師たちを精神的にもより一層追い詰めている。また、近年は患者の親族が病院で医師の治療に不満を抱き、病院で暴力をふるうケースも増えているという海外のニュースをよく見かける。国によって事情は異なると思うが、日本でも過労死などの問題が定期的に注目を集めるものの、根本的な解決に向けた動きは機能しているのだろうか。

 ルシンダの医療に対する情熱、人の命を救いたいという使命感に嘘偽りはない。それは何物にも代え難く、尊い。一方で、ルシンダほどの有能な医師であっても、職務を続けるためには夫や娘と過ごす時間を犠牲にせざるを得ず、コロナ禍でのトラウマを一人で抱え込みながら、絶対に失敗は許されず、心身ともに薬に頼らなければこなせないという事情も十分に理解できる。そうしたリアリティ、説得力が本作にはあるのだ。ルシンダは完璧な人間ではないが、そのことを責めることができる人間が、この世の中にはどれだけ存在するのか。

© World Productions Limited 2022

 もちろん、愛する者を失った人々の気持ちを考えれば、「人間の過ちを許容する寛容さ」などと悠長なことを言っていられなのもわかる。だからこそ、過酷すぎる現場で、しかも起きたことの責任のすべてを医師が負わされることになる現代の病院のあり方は、そもそも論として医師にとって耐え得るものなのだろうか? グレース・オフォリ=アタは自らの体験を反映した医療スリラーを通して、私たちの誰にとっても身近で重要な問題提起をしているのだと思う。

今回ご紹介した作品

マルプラクティス~陰謀の処方箋~

配信
WOWOWオンデマンドにて配信中(第1話・第2話無料)

情報は2024年9月時点のものです。

筆者一覧(五十音順)

相田冬二

映画批評家

池田敏

海外ドラマ評論家

伊藤ハルカ

海外ドラマコラムニスト

今祥枝

映画・海外TV批評家

影山貴彦

同志社女子大学メディア創造学科教授・コラムニスト

小西未来

映画・海外ドラマライター

辛酸なめ子

漫画家・コラムニスト

辛淑玉

人材コンサルタント

田幸和歌子

フリーライター

寺脇研

映画評論家・元文部官僚

成馬零一

ライター・ドラマ評論家

ペリー荻野

コラムニスト

松本侑子

作家・翻訳家

村上淳子

海外ドラマ評論家

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