地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。
※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。
セイ・ナッシング
2025/3/21公開
北アイルランド紛争下で起きた殺人事件と記憶
© 2025 FX Productions, LLC
毎日、TVをつけたりSNSにアクセスするたびに、世界中の悲劇的な事件や戦争、紛争のニュースが次々と目に入る。世界が今、初めてそうした危機的状況に直面しているわけではないのだが、SNSの存在により、以前とは比べ物にならない頻度の高さで、フェイクを含む刺激的で誇張されたネガティブな情報を視覚的にも受け取らざるをえらない時代だ。
たださえ現実は絶望や無力感に襲われる状況が蔓延しているのに、なぜ過去の悲劇をエンターテインメントで振り返らなければいけないのかと思う人がいるのも理解できる。一方で、情報の洪水に溺れそうになっている時こそ、あくまでも娯楽として一歩引いた視点から世界を異なる角度で見る機会を与えてくれるのもまた、エンターテインメントの重要な役割だと思っている。
北アイルランド紛争に荒れる1972年のベルファストを舞台に、実際に起きた半世紀以上も前の未解決事件を軸にした全9話のミニシリーズ『セイ・ナッシング』は、過去を描くことで極めて今日的なテーマを伝えていることに驚かされる。
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今に続く長く悲惨な歴史をたどった北アイルランド紛争は、イギリス領北アイルランドで1960年代後半から続く、イギリスへの帰属維持を望むプロテスタント系とアイルランドの南北統一を求めるカトリック系の紛争だ。
1972年、侵入者がベルファストのアパートから10人の子供の未亡人の母親ジーン・マッコンヴィルが連れ去られ、2度と子供たちのもとへ戻ることはなかった。マッコンヴィルの家族は何十年もの間、当時カトリック教徒の多くの同胞たちをイギリス=プロテスタント側に情報提供する裏切り者などとして、「失踪させた(粛清と考えられる)」ことで知られるIRAに対して、事実無根の”情報”により拉致された母親の件で説明を求めてきた。この事件の真相を追求したパトリック・ラドン・キーフが2018年に発表して高く評価された著書『Say Nothing: A True Story of Murder and Memory in Northern Ireland』が、本作のベースとなっている。
ドラマは、マッコンヴィルの失踪の謎を追う形で進むが、全体として事件に関わったとされる若い女性ドロースとIRAの活動にフォーカスしている。核となるのは、北アイルランド共和軍(IRA)に若くして参加したドロースと妹マリアン、そして彼女たちの指揮官であり、後にアイルランド共和党シン・フェイン党の長期党首となるジェリー・アダムズだ。
ドロースとマリアンがIRAのメンバーとして行った銀行強盗から爆破事件を首謀するなどの非道な行いの数々は、当然許されるものではない。しかし、あくまでもフィクションの要素を含んでいることは前提として、本作はドロースら個々人を糾弾することを目的としてはいない。彼女が年齢を重ねてIRAから距離を取り、一方でジェリー・アダムズがIRAとの一切の関わりを否定し、政治家として表舞台で台頭する過程を通して「大義のために戦うこと」の意味を問いかけている。
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ドラマによれば、そもそも1960年代のドロースは理想に燃える若者で、非暴力で抵抗する方法を模索していた。それは彼女の両親がアイルランド共和主義者で、過酷な投獄を経験した地元でも有名なIRAの元メンバーであることへの抵抗、古い世代の考え方ややり方を自分たちの代で変えたかったのかもしれない。しかし、ドロースは非暴力のデモに参加した際にプロテスタントの警官によって殴打され、暴力に屈せざるを得ない現実に改めて打ちのめされる。驚かされるのは、怪我をして危ない目に遭った娘に対して両親は心配するどころか、それみたことかと「甘い考え」をあざ笑うような態度を取ることだ。
意を決したドロースがIRAのベルファスト支部の志願兵となり、妹マリアンと共に姉妹で過激な活動の最前線に身を投じていく理由は、共感できる部分もある。ロンドンで爆破事件を企てるのも、生まれてから外を歩く際に一瞬たりとも気を抜けない緊張を強いられてきた自分たちと、同じ恐怖を味あわせてやりたいという思いからなのだ。もちろん、人の命を奪う行為を正当化することはできないが、なぜ自分たちが一方的に迫害を受け続けなければいけないのかという怒りが、結果として暴力に訴えるしかない、世界の注目を集めるための唯一の手段だとする考え方は、世界各地で日々起きているあまたの過激主義、テロリズムを例に出すまでもないだろう。
© 2025 FX Productions, LLC
しかし、いくら勇ましいことを言ってもIRA内ではドロースは女性であることで軽んじられ、仲間内での密告合戦でも最も残酷な役割を担わされてしまう。彼女にとって最悪なのは、冷酷な影の司令塔として君臨したジェリー・アダムズが過激な活動だけでは身動きが取れず民衆の支持も得られなくなってくると、「IRAのメンバーであったことも攻撃に参加したことも否定」して政治家に転身したことだろう。ドロースにとってアダムズとIRAを信じて行った数々の行為は、なんだったのか。人の命を奪ってでも成し遂げるべき「大義」とは? そうした思いは、IRAと距離を取るようになり、アダムズがアイルランド共和党シン・フェイン党の党首として名声を確立していくのを見ながら、口をつぐんで老いていくドロースの心身を蝕んでいく。
『セイ・ナッシング』は批評家にも視聴者にも高い評価を得ているが、ドロースに同情的だとする批判もある。そうした側面は確かにあるが、私はドロースが正義感と良心を持ちながら、自己責任ではあるが大義のために戦う中で失ったものの大きさを思わずにはいられない。後悔と共に過ごさざるを得なかった生涯、そしてこのような活動に参加した者たちが、かつての仲間たちの常に付きまとう監視の目から逃れることができず、沈黙を強いられながら生きることの苦痛はいかばかりだろうか。
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歴史や背景が異なるので安易な比較には注意が必要だが、ドロースたちが置かれた状況は現代のガザ地区やウクライナの惨状と重ねることもできるだろう。無抵抗なら相手の理不尽な暴挙を許してしまうことになる。戦わないことは、時には文字通りの死を意味する。そこには大義が生じるが、戦う道を選べば双方の尊い命が奪われることになる。それでも大義に殉じるしかないほど追い詰められた状況にある人々について考えずにはいられないのである。
今回ご紹介した作品
セイ・ナッシング
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情報は2025年3月時点のものです。