今祥枝さんのドラマ批評 - 奥のほそ道 -ある日本軍捕虜の記憶-

地上波にBS・CS、ネット配信と、観られるドラマの数がどんどん増える昨今、本当に面白いドラマはどれなのか──。ドラマ批評の専門家や各界のドラマ好きの方々が、「これは見るべき!」というイチオシ作品を紹介します。あなたの琴線に触れるドラマがきっと見つかるはず。

※紹介する作品は、コラム公開時点で地上波・BS/CS・ネット配信などで見られるものに限ります。

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奥のほそ道 -ある日本軍捕虜の記憶-

2026/2/16公開

原作は英国ブッカー賞を受賞-戦争の記憶を丁寧に紡ぐ

画像:奥のほそ道 -ある日本軍捕虜の記憶- 1

©2024 Curio Pictures Pty Ltd and Screen Australia.

 近年、日本では戦争の記憶の継承に危機感を募らせる社会の声は年々大きくなっている。実際に戦争を体験した人々は高齢化し、生の言葉で戦争体験を聞く機会は激減している。これまで自身の体験を語ることで献身的に反戦・反核の活動をされてきた方たちが、また一人、旅立たれたという報を聞くたびに、言いようもない焦燥感に駆られる。これはもちろん、日本に限った問題ではないだろう。

 一方で、ハリウッドを筆頭とする世界各国の映画では、現在進行形もしくは比較的記憶に新しい戦争を描いた作品が引きも切らない。TVをつければ、あるいはネットを見れば、いやでも世界のどこかで、今この瞬間も戦争や侵略、紛争によって、罪もない人々の命が奪われている現実がある。近いところで、イラク戦争の最前線を"多くの当事者を起用して再現した”映画『ウォーフェア 戦地最前線』を娯楽として観ながら、自分が生きている世界のリアリティが脳内でバグる感覚に陥ってしまった。

 筆者と同じように、戦争という題材を映像作品として消費することについて自問自答する人は少なくないと思う。それでも、この時代に丁寧に戦争の記憶を紡ぐことの大切さ、その手段としての映像表現には大きな意味がある。そう強く思わせてくれたのが、『奥のほそ道-ある日本軍捕虜の記憶-』だ。

画像:奥のほそ道 -ある日本軍捕虜の記憶- 2

©2024 Curio Pictures Pty Ltd and Screen Australia.

 原作は、2014年に英国ブッカー賞を受賞したオーストラリアの作家、リチャード・フラナガンによる傑作小説『奥のほそ道』。1943年、太平洋戦争下。オーストラリア軍の軍医として太平洋戦争に従軍したタスマニア出身のドリゴ・エヴァンスは、日本軍の捕虜となり、タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道(死の鉄路)建設に従事する。過酷を極める地獄の日々の中、ドリゴは故郷に残してきた愛の記憶だけを頼りに、正気を保っていた。

 映像作品はドキュメンタリーであれフィクションであれ、あくまでもそこが入口と考えるべきだと思っている。したがって、悪名高い泰緬鉄道の建設にまつわる悲劇的な歴史については、本作を観終わった後にぜひとも調べてみてほしいと思う。劇中では、俳句を吟じながら斬首する日本人将校たちの狂気の沙汰が、これでもかと描かれる。骨と皮ばかりになった捕虜たちから、人間の尊厳を奪い、ひとかけらの希望をも打ち砕く残虐行為は正視することが難しい。

 意義があるとはわかっていても、このような残酷描写が耐えられないという理由で戦争ドラマを避ける人の気持ちもよくわかる。しかし、本作は全5話のうち、こうした描写の割合は多くはない。物語は、若き日に婚約者がいるにもかかわらず、運命的な恋に落ちた叔父の妻エイミーとの情熱的な日々と、戦後にシドニーで著名な外科医となったドリゴの長年連れ添う妻エラとの関係性、そして癒えることのない複雑な心の傷を丁寧に見つめた繊細な人間ドラマを行き来する。

画像:奥のほそ道 -ある日本軍捕虜の記憶- 3

©2024 Curio Pictures Pty Ltd and Screen Australia.

 戦時下のパートも、捕虜仲間との絆やある日本人将校との人間同士の対話などのエピソードが印象に残る。目の前にある現実の悲惨さとは裏腹に、悠久な自然の営みのスケール感と知的で詩的な映像世界の対比が、あまりにも美しく残酷で、胸がいっぱいになる。

 若き日のドリゴを演じるのは、『フランケンシュタイン』のタイトルロールを演じて、今年のアカデミー賞にもノミネートされたオーストラリア出身のジェイコブ・エロルディ。晩年のドリゴは、『ベルファスト』ほか多くの作品で知られる、北アイルランド出身の大ベテラン、キアラン・ハインズ。ドリゴに通じるものを見出すも、命令と個人の信念の間で葛藤するナカムラ少佐を、ドラマ『TOKYO VICE』のヤクザや韓国ドラマ『模範タクシー』のシーズン3の悪役など、国際的に活躍する笠松将が熱演。そのほか、ドラマ『メンタリスト』のサイモン・ベイカーなど、演技派の俳優陣のアンサンブルも見応えがある。

 ドラマを観ながら、私は改めて、なぜ戦争の記憶の継承が困難であるのかを痛感した。従軍経験がある人の中には、自分の体験について語りたがらない人が多いとは、よく言われる。ドリゴは証言台には立つものの、身近な人に理解を求めるそぶりは感じられない。それも理解できるのは、私たちが映像で知るドリゴの戦争体験を言葉で他人に伝えることは、極めて困難だと思うからだ。

画像:奥のほそ道 -ある日本軍捕虜の記憶- 4

©2024 Curio Pictures Pty Ltd and Screen Australia.

 おそらく、ドリゴが本当にこの悲劇的な体験について言葉を交わせるのは、同じ体験をした者(そこにはナカムラ少佐も含まれるのかもしれない)か、心の奥底で思い続けているエイミーだけなのだろう。単に思い出したくない体験であるだけではない。過酷な現実の中にも、さまざまな心の機微、感情のグラデーションがあったのだ。しかし、それを戦争を知らない他者に正確に伝える術はなく、他者を啓蒙するための労力を払う価値を見出せないと感じる人も多いのかもしれない。

 今の時代には、戦争に限らず、政治でもジェンダーでも社会問題でも、当事者以外が語ることについて非難が集中することが多い。しかし、例えば戦争の記憶の継承を、当事者にだけ負わせることには限界がある。それ以上に、あまりにも負荷が大きく、残酷な行為にも思えるのだった。

今回ご紹介した作品

奥のほそ道 -ある日本軍捕虜の記憶-

配信
U-NEXTにて独占配信中

情報は2026年2月時点のものです。

筆者一覧(五十音順)

相田冬二

映画批評家

池田敏

海外ドラマ評論家

伊藤ハルカ

海外ドラマコラムニスト

今祥枝

映画・海外TV批評家

影山貴彦

同志社女子大学メディア創造学科教授・コラムニスト

小西未来

映画・海外ドラマライター

辛酸なめ子

漫画家・コラムニスト

辛淑玉

人材コンサルタント

田幸和歌子

フリーライター

寺脇研

映画評論家・元文部官僚

成馬零一

ライター・ドラマ評論家

ペリー荻野

コラムニスト

松本侑子

作家・翻訳家

村上淳子

海外ドラマ評論家

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