関東大震災直後の1923年9月6日。
千葉県東葛飾郡福田村(現・野田市)で、香川県から行商に来ていた15人が
多数の村人や自警団に襲われ、9人が殺害される事件が起きました。
この事実をもとにした映画が、事件から100年後の今年9月に公開されます。
監督は、これまでドキュメンタリーの話題作を多く手がけてきた森達也さん。
自身初の劇映画にはどのような思いが込められているのでしょうか。

森達也
もり・たつや/1956年、広島県生まれ。映画作品に『A』『Fake』『i -新聞記者ドキュメント-』など。作家として『A3』(集英社)で講談社ノンフィクション賞を受賞。譲位前の天皇・皇后を描いた小説『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)など著書多数。

──まずは今回の映画をつくられた経緯から教えてください。
- 森
- 福田村事件のことを初めて知ったのは2001年7月。オウム真理教(当時)の信者を撮った2本目のドキュメンタリー映画『A2』を公開する前でした。読売新聞千葉県版に小さな記事が載っていたんです。当時はテレビのニュース番組でも仕事をしていたので企画書をつくって各局をまわりましたが、どこも取り上げてはくれませんでした。
説明するまでもないですが、関東大震災の直後、朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいるとのデマが流れ、千葉県だけじゃなく関東各地で6000人以上の在日朝鮮人が住民の手によって殺されたといわれています。テレビ局が逡巡したのは、福田村事件について「朝鮮人と間違えて日本人が殺された」とすると、朝鮮人の虐殺を正当化することになってしまうから。今回の映画でも、そこをどうクリアするかはずっと考えていました。ラスト近くに、観ている人がちょっと驚くセリフを入れているので、ぜひ直接観て確かめてもらいたいですね。
──森さんがこれまで書籍などでテーマにしてきたことがよく表れている映画だと感じました。
- 森
- 僕にとって大きな転機となったのは、映画『A』でした。地下鉄サリン事件の後、オウム真理教の施設にカメラを持ってひとりで入ったとき、信者がみんな善良で穏やかなことに驚きました。同時に彼らは殺人者になっていたかもしれないわけで、これはどういうことなんだろうと思ったんです。
その後、世界中で起きた戦争や過去の虐殺について、現地に行ったりしながら調べました。そして、「冷酷で残虐な人だからではなく、人は優しいからこそ人を殺す」という考えが徐々に確信に変わっていきました。通底しているのは、「自衛の意識」と「集団化」です。

──それはロシアのウクライナ侵攻によって、強まっているかもしれません。
- 森
- ロシアが侵攻を開始した直後に、ロシア軍のヘリコプターがミサイルで撃ち落とされる映像をウクライナ側が公開したことがありました。ネット上では、その映像を見た何十万人が称賛していたんです。墜落したヘリにもロシア兵が乗っていて、彼らはおそらく死んだはずです。ブチャの虐殺を見るまでもなく、ロシア兵は残虐で冷酷で狂暴でしょう。でも一方で、彼らも家に帰れば誰かの夫であり、息子であり、父親であるかもしれない。本来、その両方の視点を持たなければならないんだけど、戦争となると一方が消えてしまう。その傾向は最近少し強くなっている気がします。
福田村で虐殺の加害者だったのは、普通の村民たちです。心優しい人たちが、朝鮮人が暴動を起こすかもしれないというデマ情報を聞いて自警団を組織し集団化したことで、子どもを守るために命乞いする母親まで殺してしまうようになる。それは福田村だけじゃなく、関東の各地で実際に起きたことです。
──映画の後半、被害者側の少年の表情がとても印象的でした。
- 森
- 取材の過程で、事件で生き残った6人のうちの1人のお孫さんに会うことができました。事件については家族にも話さなかったそうです。ただ、夕方になると縁側でひとりお酒を飲みながら泣いていたらしい。お孫さんは、「子ども心になんで泣いているんだろうと不思議だったけれど、今ようやくわかりました」と話してくれました。きっと彼は、この事件のことを一生抱えながら亡くなっていったのだと思います。

俳優の演技によって役の印象が変化していった。
──本格的な劇映画の監督は初めてですが、不安はありませんでしたか。
- 森
- 実際に演出してみて気づいたのは、ドキュメンタリーとの違いはそんなにないということです。ドキュメンタリーも、対象となる人が自分の思い通りに動いてくれるわけではありません。こっちに誘導しても向こうに行っちゃうことの方が多い。でも、その行った先で何かが起こるんです。現実に裏切られるのはドキュメンタリーにとってすごく大事なことで、それはドラマでも変わりませんでした。
予算もスケジュールも余裕があるわけじゃないので、事前に俳優陣の演技プランを固めることもしませんでした。演技が僕のイメージと違っても、「なるほど、そう解釈してきたのか」と納得することが頻繁にありました。以前、大学時代一緒に映画をつくっていた映画監督の黒沢清が「ときどき、自分が俳優にセリフを与えて、それをどう演じるのかのドキュメンタリーを撮っている気がする」と言っていたけれど、確かにそう。やはり相互作用が重要なんです。
たとえば、永山瑛太さんが演じた行商団のリーダーは、最初は別の俳優をイメージしていたけれど、彼の演技によって役の印象が変わっていきました。
──俳優の方々は、森さんの考えをよく理解しているように感じました。
- 森
- これは聞いた話だけど、東出昌大さんは「森が劇映画を撮るんだったら絶対に出たい」と、プロデューサーに直接電話をしてくれたみたいです。オーディションに来てくれた俳優にもそういう人が多くて、「あれ、オレもけっこう知名度あるんだ」って意外でした(笑)。
僕がキャスティングでお願いしたのは、自警団のリーダー役の水道橋博士さんと、地元の新聞社の編集長役のピエール瀧さんくらい。当時、メディアがどのように機能したかは絶対に取り上げたいテーマだったし、その中で女性記者と男性編集長がやりあうシーンを入れたいと思っていました。
余談だけど、あの編集長は若い時代、幸徳秋水たちが日露戦争に反対の立場で刊行した『平民新聞』にいたという設定なんです。権力監視というジャーナリズムの意義は理解しているけれど、部数が落ちたら食べていけない。それで権力に従って朝鮮人が危険だという世論づくりに加担してしまう。その危険性は、100年前の話だけではありません。その後の戦争もそうだし、現代もまったく変わっていないんです。

──最後に、今回の映画はどんな作品になったと言えますか。
- 森
- 事実をもとにしているけれど、やっぱり映画はエンターテインメント。上から教えるような映画には絶対にしたくありませんでした。
ドイツでは、ホロコーストやナチスを扱う映画って、一つのジャンルといってもいいくらいたくさんの作品がつくられています。それに比べると、この国は自分たちの「加害の歴史」をあまり映画にしてこなかった。見たくないけれど大切なことを伝えるのは映画の重要な役割で、そこは外していないと思います。
撮影/在津完哉
映画情報

福田村事件
監督:森達也
脚本:佐伯俊道、井上淳一、荒井晴彦
出演:井浦新、田中麗奈、永山瑛太、東出昌大、コムアイ、水道橋博士、豊原功補、柄本明ほか
配給:太秦
9月1日(金)からテアトル新宿ほか 全国公開