古舘伊知郎の喋喋対談 わかり合うための言葉を使って相手を「論破」するなんて、使い方としてもったいない。

「喋る」を二つ重ねて「喋喋(ちょうちょう)」。
希代のおしゃべり・古舘伊知郎さんがゲストを迎えて、おしゃべりを重ねます。
初回は、『サラダ記念日』(87年)の大ベストセラー以降も、
時代の感性を掬い取った歌を発表し続ける俵万智さん。
俵さんは短歌で、古舘さんはおしゃべりで
〝伝えること〟を考え続けてきたお二人。
俵さんの短歌をキッカケに、対談が始まりました。

お二人のプロフィール

古舘伊知郎さん

ふるたち・いちろう●1954年、東京都生まれ。大学卒業後、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。84年に退社後も数々のテレビ番組で活躍。アントニオ猪木ら往年のプロレスラーとの知られざる交流も描いた自身初の“実況”小説『喋り屋いちろう』(集英社)が7月26日に発売。

俵万智さん

たわら・まち●1962年、大阪府生まれ。大学時代に歌人佐佐木幸綱氏の影響を受け短歌を始める。2021年、『未来のサイズ』で第36回詩歌文学館賞、第55回迢空(ちょうくう)賞を受賞。近著に、宮崎で暮した6年半を綴った短歌エッセイ集『青の国、うたの国』(ハモニカブックス)。

唐突に君のジョークを思い出し
にんまりとする人ごみの中

古舘
僕、俵さんのデビュー歌集の『サラダ記念日』(河出書房新社)、発売後すぐに買って読んだんですが、中でもこの歌が一番好きなんです。
本当ですか。こんな地味な歌に注目してくださってありがとうございます。歌が喜んでいると思います(笑)。
古舘
丹田のあたりにいろんな感情が渦巻くようで、涙が出ました。自分が同じ経験をしたわけでもないのに……と思ったのですが、恋愛に限らず、誰かに言われたことをあとから思い出してひとりごちる、そういう瞬間は誰にでもあると思うんですね。だからこそグッと来たんじゃないかな。
みんなが体験しているのにまだ言葉になっていないものに言葉を与えていくのが、詩人や歌人の大きな仕事の一つだと思うので。30年以上前、そんなことが古舘さんの心の中で起こっていたかと思うと感無量です。
古舘
〈「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日〉も、読んで以来、僕にとって7月6日が特別な日になりました。何の関係もないのに(笑)。
そのままならすっと通り過ぎてしまう小さな感情を言葉にすることで、何でもない日が記念日になる。短歌ってそういうものじゃないかなという気持ちがあって、歌集のタイトルに選んだんです。
古舘
最新の歌集『未来のサイズ』(KADOKAWA)のあとがきでは、「短歌は、日記よりも手紙に似ている」と書いておられましたね。
私の感覚としてはそうですね。誰かに届けたい思いを、受け取ってくれる人がいることを楽しみに歌を作っています。
さらに言えば、たとえば『万葉集』を読むと、1300年前に書かれた手紙を今読んでいる気持ちになる。今の読者だけでなく、はるか未来の人に向けても書ける手紙が短歌なんじゃないかなと思っています。
古舘
僕はひたすら長広舌(ちょうこうぜつ)でしゃべりまくるタイプなので、きちんと「五七五七七」に整理整頓して表現する短歌という形には憧れますね。
ただ、「しゃべりまくる」場合も、聞いていて気持ちいいのはやっぱり五七調か七五調なんですよ。たとえばプロレス実況でも、「アントニオ猪木、今、花道をゆっくりと歩いてまいりました。背中に『闘魂』の文字が染め抜かれています。今、エプロンサイド、3本のロープが猪木を迎え入れた。そして、5色のテープが舞っています……」といった具合で。
本当ですね(笑)。なぜかはわからないですが、標語でもコピーでも、5音、7音に乗せると、するするっと人の心に届くんですよ。昔「ハエハエカカカ キンチョール」っていうCMがありましたけど、あれもやっぱり七五調だからいいので、「ハエハエカカ」だとガクッと来ちゃう。

「震度7!」「号外出ます!」
新聞社あらがいがたく活気づくなり

最初から私の歌を褒めていただきましたが、私も『報道ステーション』(テレビ朝日系/古舘さんがメインキャスターを務めたのは2004年4月~16年3月までの12年間)はずっと見ていましたよ。あのころ、古舘さんは「日常にいる人」でした。
古舘
眉間にしわを寄せた「暗い人」のイメージだったんじゃないですか。
暗くはないけど、怒るときはまっすぐ怒る人だと思っていました。難しい立場にありながら、言葉巧みに怒りを表現されているな、と。無責任に「もっと怒れ〜」と思ったりして(笑)。
古舘
でも、そうして支持していただけるときって、必ず反対側から批判されてモメていたんですけどね。
〈「震度7!」「号外出ます!」新聞社あらがいがたく活気づくなり〉。報道をやっていた人間にとっては刺さる歌でした。ただ、災害などのときに「活気づく」というのは、伝える人間にとってはある意味で大事な、必要悪でもあると思います。
実は、東日本大震災が起こった瞬間、私はたまたま新聞社にいたんですよ。周囲の記者さんたちを見ていて、「活気づくんだな……」と驚く一方、 そうでなかったら困るだろうなとも思いました。
古舘
『報道ステーション』をやっていたときも、大きな事故や事件が起こると、その日のニュース担当班が興奮するんですよ。視聴率が上がってやりがいがあるということなのでしょうが、行き過ぎじゃないかと思っていました。とはいえ、自分の中にも同じ感覚はたしかにあるわけで……。自分の「悪さ」が丸出しになるような気がして、嫌でしたね。
それで言うと、コロナ禍になってから作った〈感染者二桁に減り良いほうのニュースにカウントされる人たち〉、同じような気持ちで詠んだ歌かもしれません。私自身、「感染者が減った」と聞くと、まず「良かった」と思うわけですが、その「減った」感染者の一人ひとりのことを思うと……。
古舘
わかります。僕は紛争のニュースを伝えるときも、「350人が亡くなりました」などと言っている自分がすごく嫌だったんです。その数字の陰に、赤ちゃんからおじいちゃん、おばあちゃんまで、それぞれの抱えた人生があったわけで。「数字に何の意味があるんでしょうか」なんてことを言って批判を受けたりしていたので、俵さんのこの歌にはとても救われた気がしました。

地図に見る沖縄県は右隅に
落ち葉のように囲われており

古舘
これも「うわぁ」と感じた歌です。テレビの天気予報やニュースで日本地図が映し出されると、沖縄は必ず「右隅」に追いやられる。縦に長い日本列島を画面の比率に収めるためにやむなくやっていることだけど、やられたほうはたまったもんじゃありませんよね。僕もずっと気になっていたことですが、「落ち葉」という表現がすごい。
私も以前は当たり前のものとして見ていたんですが、自分が石垣島に住んだことで改めて引っかかりや疑問が生まれました。「沖縄側から日本地図を見る」ことで初めてできた歌だと思います。
古舘
やはり沖縄についての歌で、すごいインパクトがあったのが〈オスプレイ空に飛び交い地上ではオスがレイプと漫談つづく〉。軍用機が空を飛び交う沖縄の悲しみに「漫談」を続けることで、ちゃんちゃらおかしいほどの人間の欺瞞を描いているのかなと思いました。
素晴らしい解釈をしていただきました。ただ、種明かしをすると、これは実際にお祭りで漫談家が「オスプレイオスプレイと言ってますが、あっちではオスがレイプして」と言うのを聞いてできた歌なんです。私は「そんなこと言って大丈夫?」と思ったんですけど、周りのおじいおばあは笑って見ていて。悲しみを笑いに変える沖縄の力強さを感じました。もちろん、笑いにでもしないとやってられないという面はあると思うんですが。
古舘
でも、その「力強さ」が伝わるのは俵さんが「漫談つづく」と言葉をつないでくれたからですよね。ニュースを伝えながらも、どこかで「考えないでおくほうが無難だ」と、本質をあぶり出すことから逃げていた自分の欺瞞を感じさせられた歌でした。

撮影/山口規子、ヘアメイク/林 達朗、スタイリスト/髙見佳明(古舘さん)
撮影協力/大日本印刷株式会社「市谷の杜 本と活字館」

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