古舘伊知郎の喋喋対談 90歳近い人が主人公になれるのって小説くらい。世の中からいない人にされることも多いんです。

「喋る」を二つ重ねて「喋喋(ちょうちょう)」。
希代のおしゃべり・古舘伊知郎さんがゲストを迎えて、おしゃべりを重ねます。
今回のゲストは、60代以降の高齢者を主人公にした小説を4冊立て続けに刊行、
映画、ドラマ化もされ話題を呼んでいる内館牧子さんです。
初対面のお二人ですが、顔を合わせて早々、
内館さんも大好きというプロレスのお話から口火が切られました。

お二人のプロフィール

古舘伊知郎さん

ふるたち・いちろう●1954年、東京都生まれ。大学卒業後、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。84年に退社後も数々のテレビ番組で活躍。アントニオ猪木ら往年のプロレスラーとの知られざる交流も描いた自身初の“実況”小説『喋り屋いちろう』(集英社)が7月26日に発売。

内館牧子さん

うちだて・まきこ●1948年、秋田県生まれ。大学卒業後、三菱重工業入社。その後、脚本家となる。主な作品にNHK朝の連続テレビ小説『ひらり』『私の青空』、大河ドラマ『毛利元就』など。2000年から10年間、女性初の日本相撲協会横綱審議委員会審議委員を務めた。

内館
私、プロレスが好きで古舘さんの実況のファンだったの。ずっとお会いしたかったから今日はとても楽しみにしていました。
古舘
内館さんは相撲通の印象が強いですが、プロレスはいつから?
内館
昭和29年に力道山の試合が初めてテレビで中継されたのを、5歳のとき見てるんです。当時は新潟に住んでいたんですけど、たまたま親戚の結婚式で東京に来ていたので、父が「せっかくだから街頭テレビを観よう」と肩車してくれて。そのとき「転んでも負けにならない相撲があるんだ」と知ってから、ずっとプロレスも見てきました。
古舘
僕は昭和29年の末の生まれですから見ていないんですが、父親が見ていてものすごく興奮したと聞きました。 その街頭テレビの時代から70年近く経ったいま、内館さんが書かれた高齢者を主人公にした4部作を読ませていただきました。たまらなく面白かったです。グッときて泣きそうになって、でもまた笑って、その繰り返しでした。亡くなった自分の親のことを思い出したり、主人公の立場になったり、ときには孫の目線で見てみたり……。

内館牧子さんの高齢者小説4部作

終わった人

(2015年刊)講談社文庫 税込1,034円

主人公の田代壮介は東大卒で大手銀行のエリート。しかし子会社へ転籍したまま63歳で定年退職を迎える。スポーツジムで出会ったIT企業社長・鈴木と意気投合しビジネスの世界へ再登板するが、その先に思わぬ展開が待っていた。


すぐ死ぬんだから

(2018年刊)講談社文庫 税込946円

夫・岩造と自営の酒屋を二人三脚で切り盛りしてきた忍(おし)ハナ。60代までは身なりに構う余裕もなかったが、ある日実年齢より上に見られ外見を磨き始める。その後、夫が急逝。遺言書を見て予想だにしなかった夫の一面を知ることに。


今度生まれたら

(2020年刊)講談社文庫 税込858円

エリートサラリーマンとの結婚、寿退社の夢を叶え、優秀な2人の息子に孫の誕生と順風満帆の人生に見えた佐川夏江。しかし70歳になり、自分が人生の節目で下してきた選択は本当に正しかったのかを考え、やりたいことを始めようとあがく。


老害の人

(2022年刊)講談社 税込1,760円

85歳の戸山福太郎は遊戯玩具メーカーの社長を引退するが、週に何度か出勤し、社員や取引先をつかまえてはかつての成功談を繰り返す。福太郎のまわりも「老害の人」ばかり。ところが、この老害チームが結束し夢に向かって走り出す。

内館
それはすごくうれしいです。この4冊の小説は、70年以上ずっと生きてきたからこそ書けたものだと思います。こうした内容は、若いときには書けなかったでしょうね。
古舘
時系列に見ていくと、まずは『終わった人』。これは先に映画化されたものを見たのですが、ちょうど『報道ステーション』(テレビ朝日系)を辞めた後だったので、「終わった人」というフレーズが僕にはとてもしっくり来たんです。その後原作を読んで、さらに感動が深くなりました。冒頭の「定年って生前葬だな」というフレーズも強烈だったし、定年退職を迎えた主人公の壮介が美容師の妻を旅行に誘ったら、「そんなに仕事を休めない」とつれなく断られるくだりがなんともリアルでした。
内館
私は妻をやったことは一度もないのですが、もし夫がいたらあんなふうに言ったんじゃないかなと思います。夫は大切な身内ではあるんだけど、だからといってこれ以上私の人生の時間を取られるのは嫌だなという。
古舘
あと、壮介が自分の会社員人生に「やりきった」という感覚を持てていないことを指して、「まだ成仏してない」と表現する場面も胸に刺さりました。定年退職というと「第二の人生を楽しむ」などときれいにまとめられることが多いけれど、そうではなくて「成仏していない」。あれは男性、女性関係なく共感する人はたくさんいると思います。
内館
脚本家になる前、私は大企業に13年間勤めて社内報の編集を担当していたんです。その中に定年退職する人たちへのひと言インタビューのコーナーがありました。「これからの毎日をどう過ごされますか?」と聞くんですけど、100人中100人が「孫と遊ぶ」とか「妻と温泉に行く」とか、希望にあふれた回答をされるんです。そのときは私も若かったので「そうだろうな」と思っていたんですが、だんだん自分も定年の年に近づいてくると、「絶対あの人たち、嘘を言ってたな」と思うようになって(笑)。
定年退職してもやりきった感じがしない。「成仏できない」人がたくさんいるんです。
古舘
みんな「成仏したんだ」と自分に言い聞かせるけれど、実際はできていないんです。
内館
そのことに気づいたとき、これは切ないなあと思いました。特に壮介のようにある程度出世してトップ近くまで行った人というのはうまく「軟着陸」できないんです。定年を迎えると、いきなり「明日から暇です」ということになる。エリートじゃない人のほうが、ちょっとずつ覚悟ができて「軟着陸」できるのかもしれません。
 古舘さんは私よりお若いし定年もないだろうけれど、体調を崩したりして仕事ができなくなったらどうしようということは考えますか。
古舘
もちろんです。『報道ステーション』を2016年3月いっぱいで辞めてから、仕事量がちょっと減っただけで「俺はもうダメだ、売れなくなった」と怖くなってあがく、その繰り返しです。まだぜんぜん成仏できていないです。自分でもなんでこんなにうじうじしてるんだろうと思っていたんですが、『終わった人』を読んで、僕は仕事がまったくできなくなったときのリハーサルをしていたのかもしれない。「そのとき」に備えて免疫を付けているんだから、このままでいいと思ったらすごく楽になりました(笑)。

職場から墓場までの期間が長い時代、
自分の「見え方」に関心を持つことも重要です。

古舘
次の『すぐ死ぬんだから』、これは一見すごくネガティブなタイトルですね。『終わった人』もそうですが、実はポジティブな意味を含んでいることが、読み進めていくとあぶり出されてくるのがすごい。人生というのは奥行きのあるものだから、「一見」ではわからないことのほうが多いですし。
 主人公の女性、忍(おし)ハナは78歳の女性ですが、身だしなみにとても気を配っていて、同窓会でも一人だけ華やかで目立っているような人。こういう方いるなあと思いました。
内館
私も時々同窓会に行きますが、この年齢になると男も女も素敵な人とそうでない人の真っ二つに分かれるんです。それが若い頃の印象と真逆なこともよくある。「すぐ死ぬんだから」見た目はもうどうでもいいと考えるのと、「すぐ死ぬんだから」キレイにダンディにしていようというのでは、見た目の印象も大きく違ってくるんです。ハナの夫の岩造が身に付けているアスコットタイも千円程度で買えますし。
古舘
ある男性誌のキャッチフレーズに「必要なのはお金ではなく、センスです」というのがあって、僕はずっと「けっ、金がなかったら何も買えないじゃないか」と思っていたんです。でも『すぐ死ぬんだから』を読んだら、意識することがなにより大事だし、やっぱりセンスも必要かも(笑)。
内館
昔は仕事をやめたらすぐに墓場だったけれど、今は職場から墓場までの期間が長い。その長い時間を自分の「見え方」に関心を持って生きることは重要だと思います。
古舘
あと、岩造に思いがけない「裏」の顔があったことにもビックリしました。それまで読んできての「いい夫だなあ」という思い込みが、見事にひっくり返されました。
仕事が少し減ると「俺はダメだ」とあがく。僕もぜんぜん成仏できていません。
内館
私、どこかで男の人を信じていない部分があるんです。私の周りにも、二股をかけていたり、奥さんと仲良しだと言っていたのに愛人がいたり、そんな男性が何人もいました。だから、書き始めたときから非現実的な「いい夫」ではなくて裏がある男にしようと決めていたんです。
古舘
しかも岩造の愛人がまた素敵な女性なんですよね(笑)。他の小説もそうですが、どうしてあんなドキドキするような展開を思いつくんですか?その展開の一つひとつがリアルだから、目の前に映像が浮かんでくるような感じがするんです。
内館
そう言っていただけると光栄ですが、一つは私が長い間テレビの世界で鍛えられてきたことは大きいでしょうね。テレビドラマはやっぱり視聴率も大事ですから、嫌らしいけれど脚本を書くとき「視聴者をどうやってつかもうか」を常に考えているところがあります。あと、橋田壽賀子先生のところに弟子のように通っていた時期があって、先生がつくってくださるご飯を食べながらいろんなお話を伺いました。そのとき先生に言われたのが「ネタを出し惜しみしちゃダメ」ということ。「途中で書くことがなくなりそうで怖い」と言ったら「後で必ず出てくるから、どんどん書きなさい」と。私は大河ドラマでも朝ドラでも全部は決めずに書いているんですが、出し惜しみせずやっていると途中で必ず「書くべきこと」が見つかるんです。これは橋田先生のいちばんの教えでした。

撮影/山田ミユキ、ヘアメイク/村中サチエ(内館さん)、林達朗(古舘さん)
スタイリスト/髙見佳明(古舘さん)
協力/新宿瑠璃光院 白蓮華堂

後編(9月5日公開)を読む