古舘伊知郎の喋喋対談 90歳近い人が主人公になれるのって小説くらい。世の中からいない人にされることも多いんです。

前編(8月29日公開)を読む

「喋る」を二つ重ねて「喋喋(ちょうちょう)」。
希代のおしゃべり・古舘伊知郎さんがゲストを迎えて、おしゃべりを重ねます。
今回のゲストは、60代以降の高齢者を主人公にした小説を4冊立て続けに刊行、
映画、ドラマ化もされ話題を呼んでいる内館牧子さんです。
初対面のお二人ですが、顔を合わせて早々、
内館さんも大好きというプロレスのお話から口火が切られました。

お二人のプロフィール

古舘伊知郎さん

ふるたち・いちろう●1954年、東京都生まれ。大学卒業後、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。84年に退社後も数々のテレビ番組で活躍。アントニオ猪木ら往年のプロレスラーとの知られざる交流も描いた自身初の“実況”小説『喋り屋いちろう』(集英社)が7月26日に発売。

内館牧子さん

うちだて・まきこ●1948年、秋田県生まれ。大学卒業後、三菱重工業入社。その後、脚本家となる。主な作品にNHK朝の連続テレビ小説『ひらり』『私の青空』、大河ドラマ『毛利元就』など。2000年から10年間、女性初の日本相撲協会横綱審議委員会審議委員を務めた。

「何歳からでも、何にでも挑戦できる」というのは
無責任な言葉だと思います。

古舘
『今度生まれたら』の冒頭のシーンも刺激的でした。
内館
主人公がある日ふと夫を見て「今度生まれたら、この人とは結婚しない」とつぶやく。私の周りの人達も、よくそう言ってますよ。大きな不満があるわけじゃないけど、次の人生があるなら今の夫とは結婚しないって(笑)。「どうして?」と聞くと「もっと自分のために生きる」と言うんです。
古舘
70歳の夏江が今からでも自分のやりたいことをしようと考え、何かの参考になればと「人生百年」をテーマにした講演会を聴きに行く。でも内容は「年齢は関係ない」「やりたいことはいつでも始められる」など、聞き飽きたきれいごとばかり。がっかりした夏江は手を挙げて、講師の女性弁護士に疑問をぶつける……。
 僕も仕事で講演をすることがあるので、あの場面は「こんな質問されたら嫌だなあ」と思いながら読んでいたんですが、気づいたらなぜか夏江を応援していました。
内館
「何歳からでも、何にでも挑戦できる」というのは、無責任な言葉だと思います。70歳を超えた私が本当に「何でも」始められるのかといったら、それはやっぱり難しい。そういうことを口にするのはだいたい若い人か、若くなくても社会から必要とされている人です。「何歳からでも」という言葉には「高齢者には趣味でもやらせとけばいい」と言われているような感じもあるんです。
古舘
あるいは、夏江が行った講演会の講師のように、人生の成功者が「私のようにはつらつと生きなさい」と押しつけているか。だから夏江は「みんながあなたのようじゃない」と質問するわけですね。僕も前期高齢者といわれる年になったので、その気持ちはとてもよくわかりました。そんな中でも「人の役に立ちたい。恩返ししたい」という思いをどう形にしていけばいいのか。そのことを考えさせてくれるのが最新刊の『老害の人』です。
内館
この小説、主人公の福太郎は85歳なんですが、90歳近い人が主人公になれるのって小説くらいでしょう。今の80代、90代はまだまだ元気なのに、社会の頭数に入れてもらえない。世の中から「いない人」にされてしまうことが多い。たとえば雑誌の占いページも、占うには自分の生年を見なくてはいけないのに80代半ばの人だと生年がもう載っていなかったりするんです。「私たちを忘れるな」というアピールが「老害」になるんじゃないでしょうか。もっとその年代を主役に据えたものを書かなきゃいけない。『老害の人』は、そう思いながら書きました。
古舘
この本から学んだことは、若者の役に立とうとするから「老害」なんて言われるんだってことです。高齢者は高齢者の役に立とうと考えればいい、そうしたらすごくいい循環が生まれるかもしれない。僕自身、「俺も『老害』だな」と思うことがあって。今のテレビは後で編集しやすいようにとにかくひと言でズバッとおもしろいこと、なるほどと思わせることを言ってくれる司会者が喜ばれるんです。だから僕みたいな長広舌(ちょうこうぜつ)をふるうのはまさに老害扱い。でも、『老害の人』を読んでいたら、反省はしても媚びる必要はないなって。
内館
まさに福太郎ですね。
古舘
そう、福太郎だって反省しつつもその陰で反撃の機会をうかがっていたわけです。そんなふうに僕もしたたかにチャンスを待とう、今の時代に媚びて自分の背骨の部分を変えちゃダメだと思うようになったんです。
内館
そう、媚びは絶対に顔に出ます。若い人は賢いから、そういうところは必ず見ているんです。

対談は2月下旬、新宿瑠璃光院 白蓮華堂「法隆寺金堂壁画ノ間」で行なわれた。
対談後は、「空ノ間」や如来堂など館内をめぐり写真撮影。

私が死んだらあとは生きている人の問題だから、
終活は絶対にやらない。

古舘
少し前の話ですが、経済学者の成田悠輔さんが少子高齢化による負担増の解決策として「高齢者は集団自決すればいい」という発言をしたことが問題になりました。たしかに権力にしがみついているかのような政界、財界の重鎮たちへの退場勧告は必要かもしれないという思いはありますが、高齢者全体に向けて、「集団自決」という沖縄戦の悲しみや苦しみを想起させる言葉を使うというのは、とても許されないと感じます。
内館
ほんと、とんでもない発言で驚きました。
古舘
内館さんの4作の小説に共通しているのは、この「集団自決」とは正反対の感覚です。僕も70の声を聞くようになってから、あんまりギラギラしているのも情けないしどうやったらきれいに枯れていけるんだろうと考えていたんです。でも、実際にはもっと生きたい、しゃべりたい、売れ続けていたいといった欲望まみれ。そういう自分をどう扱ったらいいのかもがいている感じでした。それが内館さんの小説を読んだら元気になった。いくつになってもそう簡単に悟ることなんてできないんだから、開き直ってギラギラしよう。元気に生きることだけ考えようと思って先日人間ドックにも行ってきました(笑)。
内館
ちなみに古舘さん、「終活」はしようと思われてます?
古舘
それこそ「しなきゃいけないのかな」と思っていたんですが、内館さんの小説を読んでそんな思いがぶっ飛びました。
内館
ぶっ飛んだほうがいいですよ(笑)。私も弟に「終活は絶対やらないから」と言ってるんです。私が死んだあとは生きてる人の問題だから「何でも好きにして」って。だって、死んだら何もわからないんですから。
古舘
以前、あるお坊さんに聞いた話ですが、終活やエンディングノートがこれだけ注目されるのは、人が長生きするようになったからだそうです。衛生状態や医療体制が進歩して、平均寿命もひと昔前よりずいぶん伸びた。それはありがたいことですが、どこか若い世代に対して「年金や財産を使って生きていてごめんね」という負い目がある。そこでつい高齢者は若い世代に遠慮して、「死んだ後のこともちゃんと考えてる」ことをアピールしてしまうんだというんです。
内館
小野小町の辞世の歌として伝わる、こんな歌があるんです。〈我死なば焼くな埋むな野にさらせ痩せたる犬の腹肥やせ〉。私が死んだら焼いたり埋めたりせずに、そこら辺に放っておいてちょうだい。痩せた犬に食べさせてお腹を満たしてあげて。小町のこの覚悟があれば、年を取っても平気でしょう。私、座右の銘だと思っているんです。
古舘
今はみんな、死んでからのことを考えすぎなんです……と言いながら、僕は友達に「両親の建てた墓はもう骨壺がぎっしりで狭いから入りたくない」なんて言って大笑いされているんですが(笑)。
内館
最初にプロレスの話をしましたけど、プロレス観戦は老後の趣味としてもいいですよね。一瞬にして異世界に誘われますし、夫婦で行くのも楽しいと思います。
古舘
すごくいいです。『老害の人』にも俳句と絵を趣味にしている老夫婦が出てきましたが、「老害」にならないためには脳内刺激が重要だと思うんです。プロレス観戦はまさにぴったりじゃないでしょうか。
内館
それで、見た試合の内容を毎回ノートに書き留めていくのはどうかしら。「エンディングノート」より「プロレスノート」を書くほうが、ずっと刺激的でいいと思います(笑)。

撮影/山田ミユキ、ヘアメイク/村中サチエ(内館さん)、林達朗(古舘さん)
スタイリスト/髙見佳明(古舘さん)
協力/新宿瑠璃光院 白蓮華堂

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