連日、ロシア軍の攻撃を受けるウクライナの首都キーウで取材を続けるフォトジャーナリストのKaoru Ng(クレ・カオル)さんが、日本のメディアが伝えない現地市民の暮しを伝えます。
2022年5月24日更新
私はいま、激戦地となったアゾフスターリ製鉄所、そして同製鉄所のある南東部のマリウポリ市からの避難民を取材するために東南部のサポリージャー市に来ている。その直前まで、ウクライナ第二の都市ハルキウで3週間にわたって取材を続けていた。今一度、ハルキウでの市民の暮しを振り返りたいと思う。
ハルキウの中心部は市民が生活できる程度に稼働しているが、サルティウカなど少し離れたところはほぼ無人の廃墟になっていた。連日、複数回の爆撃を受けた結果、大勢の人が家を失くした。彼ら彼女らは、どこで、どんな生活をしているのか。
街の中心部にある大学駅を訪れた。2月に行われた大規模な爆撃によって、この駅周辺は破壊されつくした。地下鉄は完全運休になっていて、防空壕と化した駅構内では約3000人の市民が暮していた。
2ヵ月以上も滞在している人たちがほとんどだった。生活に欠かせない水道や、スマホの充電に必要なコンセントなどは完備されており、食糧はボランティアが毎日運んでいた。
家族の一員であるペットを連れて避難し、一緒に暮す市民も珍しくなかった。
2ヵ月が経ち、長期滞在する市民もここでの生活に慣れ、戦時中とは思えない落ち着きを見せていた。
ヘアサロンもあるなど「完結した小さな地下都市」と言える。髪の毛のカットはボランティアが担当。もちろん無料。ここ「駅の街」ではお金はいらない。
十月革命(1917年10月25日)を記念するプレートの前で暮す市民。「もし革命が成功していなかったら、今回の戦争は起きていたであろうか」などと、つい想像してしまう。ウクライナ全土では、ソビエトの名残があるものが撤去されているので、次にここを訪れるときは、きっとこのプレートもなくなっているだろう。
ホームだけでなく、電車の車両の中も集合住宅になっている。
3月上旬に家が壊されてしまったディマさんは、戦争直前まで大学に通いながらプログラマーの仕事をしていた。今は母親と2人で車両の中に暮す。「ロシア人を憎いと思っていません。彼らはただ、だまされているだけ。戦争終結のためには、彼らの力も必要だと思います」と言う。彼は、大学駅構内で暮す子どもたちに数学や英語を教えている。
この女性は、子どもたちにウクライナ語を教える教師だ。「ハルキウはロシア語区なので、ロシア語を話す生徒も多いですが、ロシアが宣伝しているような『ロシア語差語』など全くありませんでした」と話す。多くのウクライナ人は、ウクライナ語とロシア語、二つの言語に精通しているが、ロシア軍の侵攻を受けてから、あえてウクライナ語を話すようになった人が増えているという。
ボランティアの人たちは、子どもたちの「精神的な健康」も心配しており、ボランティア団体による劇団は、食事や必要品を配るだけでなく、定期的に各駅を回って子どもたちに笑顔を与え続けている。
kaoru ng(クレ・カオル)
1986年、香港生まれ。2019年-2020年の香港民主化デモをきっかけにフォトジャーナリストに。昨年秋にイギリスへ移住し、今年2月18日以降キーウに滞在。現在、身の安全確保のためキーウ市内の宿泊施設や友人宅など5~6ヵ所を転々と滞在しながら取材を続ける。