連日、ロシア軍の攻撃を受けるウクライナの首都キーウで取材を続けるフォトジャーナリストのKaoru Ng(クレ・カオル)さんが、日本のメディアが伝えない現地市民の暮しを伝えます。
2022年4月22日更新
ロシア軍による侵攻を受けて海外へ一時退避するウクライナ人がいる一方で、祖国のために日本から帰国したウクライナ人もいる。首都ハルキウ出身で東京在住5年のサーシャさん(左端)もその一人。日本では、IT系の仕事をしていて、今もリモートワークでちゃんと「出勤」しているという。
ウクライナでは2月24日に総動員令が発令されて18歳から60歳までの男性が出国できないなか、サーシャさんは仲間の女性を集めて、ウクライナ西部の国境の街チェルニウツィーと、隣国ルーマニア北部の都市シレトの間を何往復もして医薬品や食材などの物資を運んでいる。シレトは、ヨーロッパ中から様々な物資が集まっているうえ、難民の収容や保護のために海外から多くのボランティアが集まっている。もともと現地で暮す住民の多くも何らかの形でボランティア活動に参加している。
私もボランティアとして少しだけ手伝いをした(下写真)。スーパーの前で、ある車から物資を運び出したのだが、その物資を運んできたのはルーマニア人のボランティアだった。200キロ離れた街の学校が寄付した食料、毛布、消毒用アルコールなどを運んできた彼は、「人間だから放って置けるはずがない」と笑顔で言った。
シレトの街はずれのある会社は、自社の倉庫をボランティアのためにフル稼働させて、国境の膨大な物流をサポートしていた。現地の人だけでは人手が足りないため、仕事を放り出してアメリカやドイツからきたボランティアが手伝っている。
サーシャさんたちは、木材を購入して避難民のためにベッドを作ったり、国立公園のバンガローで寒い生活を送る避難民4000人のために暖房設備を調達したりしている。
サーシャさんたちの活動資金は、日本からの寄付に頼るところが大きいと言う。在日本ウクライナ人組織「
ウクライナでの戦争は「史上初のクラウドファンディング戦争」とも言われているが、集まったそのお金が人々の役に立つのは、危険を冒してまでウクライナに集まったボランティアたちのおかげだ。
kaoru ng(クレ・カオル)
1986年、香港生まれ。2019年-2020年の香港民主化デモをきっかけにフォトジャーナリストに。昨年秋にイギリスへ移住し、今年2月18日以降キーウに滞在。現在、身の安全確保のためキーウ市内の宿泊施設や友人宅など5~6ヵ所を転々と滞在しながら取材を続ける。