教育と愛国
ホラー映画より怖い萎縮する日本の「教育」の現状。
文・仲藤里美(フリーライター)
斉加尚代監督(毎日放送報道情報局ディレクター)
スクリーンを見ながらずっと、「ホラー映画より怖い……」と考えていた。小学生に「正しいお辞儀の仕方」を細かく説く道徳教科書。ある中学校に大量に届いた、「反日極左の教科書を採用した」と罵る抗議はがき。「政治家が教育に介入するのは当たり前」と、熱を込めて語る元総理。教育の目的は「左翼ではない、ちゃんとした日本人を作る」ことだと持論を展開する歴史学者……。毎日放送でディレクターを務める斉加尚代さんが監督した初映画作品『教育と愛国』が描き出すのは、政治からの有形無形の圧力にさらされ、萎縮する日本の「教育」の現状だ。
元になったテレビ番組(2017年放映)の企画を思い立ったきっかけは、その年の春に話題になった小学校の道徳教科書の検定問題だという。子どもが散歩する途中、パン屋の前を通りかかり……という読み物に「国や郷土を愛する態度に照らして扱いが不適切」との検定意見が付き、教科書会社はパン屋を和菓子屋に差し替えた。
あまりの馬鹿馬鹿しさに、ともすれば笑い話にもなってしまいそうなニュース。けれど、斉加さんの脳裏に浮かんだのは、やはり教科書検定をめぐる07年の報道だった。
「高校の日本史教科書で、沖縄戦に関する項目に検定意見が付き、『集団自決』に国の誘導強制があったと取れる記述が削除されたんです。全然違う出来事のようでいて、根っこはつながっているんじゃないかと思いました」
番組の放映から5年、日本学術会議の会員任命拒否問題が発覚するなど、教育や学問の独立性がさらに脅かされていると感じて、映画化に踏み切った。
「取材の過程でも、5年前に比べて教育現場の状況はさらに悪くなっていると実感しました。教科書検定の問題についてももっと深掘りしたかったのですが、教科書調査官などへの取材はすべてNG。教科書編集者・執筆者に検定意見について伝える部屋の撮影さえ断られました。これで文科省のいうような『民間出版社の自由な創意工夫』による教科書づくりができるわけがないと感じました」
14年には教科書検定基準の変更が行われ、「政府の統一的な見解」に基づいた記述が求められるようにもなった。
「教科書とは、検証に検証を重ねた学問的な知見を載せるはずのもの。時の政府の見解に従えなんていうのは、もはや教科書ではありません。また、道徳の教科書を見ても、規律を守り、社会の枠組みに従いましょう、ということが非常に強調されている。政府の意向に沿って動く国民を育て、異なる意見の人を排除しようとする流れがつくられているようで、非常に危険だと感じます」
冒頭、ホラー映画より怖い、と書いた。何より恐ろしいと感じたのは、「元総理」をはじめ映画に登場する、教育に「圧力」をかけている側の人々が、まったく後ろめたさや「隠したい」という様子を見せないことだ。自分たちの信念に合わない教科書を採用した学校に抗議ハガキを送りつけた山口県防府市長(当時。「教育再生」を掲げて活動するグループ「教育再生首長会議」会長でもある)に至っては、当該の教科書を「ほとんど読まずにはがきを送った」ことを、悪びれずにカメラの前で語る。
彼らが堂々としているのは、自分たちの行為が正しいと確信しているからだけではなく、「隠さなくても批判されない」と知っているからでもあるのではないか。
「何かおかしいと思うことがあっても、下手に発言したら叩かれる、中傷される。そういう空気が社会に充満していて、みんな口に出さないんですよね。でも、今こそいろんな人が『おかしいことはおかしい』と言わないと、本当にこの社会は悪い方向へ進んでいってしまう。もう遅い可能性もあるけれど、今ならまだ間に合うかもしれない。そう思ってこの映画を作ったんです」
本当に「まだ間に合う」のかどうか。その答えは、映画を見た私たち一人ひとりにかかっている。
教育と愛国
監督:斉加尚代 語り:井浦 新 プロデューサー:澤田隆三、奥田信幸 撮影:北川哲也 編集:新子博行 録音・照明:小宮かづき
配給・宣伝:きろくびと 製作:映画「教育と愛国」製作委員会
2022年/日本/107分/カラー
東京/ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋、アップリンク吉祥寺、京都/京都シネマ、大阪/第七藝術劇場、大分/シネマ5で公開中。以降、全国で順次公開。公開情報は映画公式サイトから(カタログハウスのサイトの外に移動します)。
斉加尚代監督プロフィール
さいか・ひさよ 1987年、毎日放送入社。報道記者などを経て2015年からドキュメンタリー担当ディレクターに。 企画・担当した主な番組は『なぜペンをとるのか~沖縄の新聞記者たち』(2015年9月)、『沖縄 さまよう木霊~基地反対運動の素顔』(2017年1月)ほか多数。著書に『教育と愛国~誰が教室を窒息させるのか』(岩波書店)、『何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から』(集英社新書)がある。