こんなことを言っても、得することはないんですけども…

「通販生活」で連載中の「こんなことを言っても、得することはないんですけども・・・」。気鋭の小説家、中村文則さんが誰に忖度することなく書き記していく時事エッセイです。

第2回

初出:「通販生活」2022年夏号

色々な国に行って、一番日本社会に近いと
感じたのはロシアだった。

 歴史には、数々の謎がある。

 その一つに、なぜ第二次世界大戦前後のロシアの人々は、厳密に言えば外国人だった独裁者・スターリンに跪いたのか、というものがある。

 独裁者と国民の関係について、ちょっと考えてみたい。

 スターリンは、当時ロシアの支配地域だったジョージアの出身だった。ちなみにあのヒトラーも、出身はドイツではなく。オーストリア=ハンガリー領の人物になる。

 あるロシアの専門家は、ロシア社会は政治を汚いものと思っているので、外国人に任せたかったのでは、と分析している。

 スターリンもヒトラーも、他国を侵略したり、残酷な行為を様々にした。彼らが元々「外国人」であることは、そのような人物をトップに置くことの国民の罪悪感を、無意識に軽減させる効果もあったかもしれない。「彼は外国人だ。残酷な行為をしたのは我々ではない」というような。

 歴史的な独裁者が二人とも外国出身なのは、偶然だろうか。ここには、人間の精神の秘密があるのだろうか。

 人間が社会的な動物であることも影響し、他所から来たものに従いたいという、本能的な何かが、無意識下にあったりもするのだろうか。

 例えば、日本の代表的な童話『桃太郎』。

 川から流れて来た巨大な桃は、異世界から来た異物に違いない。そこから生まれた桃太郎は、当然「他所」から来た存在だ。

 そんな桃太郎は、全てを解決してくれる。

 鬼退治に行く時、彼は村人達に協力は求めず、動物達を仲間にする。村人達は何もしない。全て他所から来た桃太郎が努力し、解決することになる(ちなみに今のロシアの大統領・プーチン氏はロシア出身だが、元KGBの諜報員という肩書には、何やら日常から離れた神秘性が含まれる)。

穏健な政治家ではロシア人の
マゾヒズムを満足させられない。

 このことを踏まえた上で、少し話題を変えてみる。

 またロシアの話だけど、現在のロシアはわからないが、少し前のロシア社会では、スターリンとゴルバチョフ氏、どちらが良かったかと質問すると、スターリンと答える人が多かったそうだ。

 あんなに酷かったスターリンをなぜ? と思うけど、また別のロシアの専門家は、穏健なゴルバチョフ氏では、ロシア人のマゾヒズムを満足させられないからだ、と分析していた。

 政治とマゾヒズム。僕はこれまで、この二つを結びつけたことがなかったので、この説を読んだ時は大変驚いた。

 マゾヒズムとは、狭い意味だと苦痛を快楽に感じる何だか大変なことだけど、もっと広い概念でもある。

 規則に縛られたい、という感覚や、色々なことを委ねて任せてしまいたい、考えるのをやめたい、という意識なども含まれる。自分の代わりに、誰かに弱い者いじめをしてもらいたい、というマゾヒズムの転嫁もあったりする。

 ロシアについて長く書いた理由は、色々な国に行って、一番日本社会に近いな、と僕が感じたのが、実はロシアだったから。

 どこが似ているかは、まだ僕には正確な言語化が難しい。似ていると肌で感じたという、印象論に過ぎない。ナイーブで、他者に気を遣う、繊細な人が多い印象を受けた。

 十九世紀のロシアの作家・ドストエフスキーは、ロシア人は「みんな」という言葉に弱いと書いている。「みんな」と同じようにしたいという感覚。どこの国もそうではあるけど、確かにその度合いは、日本社会も強い気がする。

 日本社会も、政治と(広い意味での)マゾヒズムは関係しているのだろうか。わからないけど、でも日本も、厳しそうというか、弱い者いじめをしそうな空気をまとっている政治家に、なぜか人気が集まる傾向にある。

ドストエフスキー駅の巨大壁画画像
ドストエフスキーの生家近くの、その名もドストエフスキー駅の巨大壁画。僕の携帯電話の待ち受け画面は、この写真です。

弱い立場の人を救う政治が、
年々支持されなくなっている。

 何も人々は、今の与党に跪きたい、とは思っていない。もっと漠然としたもの、つまり「お上」に任せたい、という感覚があるのかもしれない。人々が任せてしまいたいと思っている場合、つまり「お上」は変わらないことになる。

 ここで冒頭の、他所から来たものに従いたい心理は人間にあるのか、の問いを踏まえてみる。 日本はアメリカの言いなりの側面がある。もし政治とマゾヒズムに関係があるなら、日本は「お上」と「アメリカ」を対象とした、二重のマゾヒズムになってしまう。

 戦中のロシアやドイツより、さらに強固な支配―被支配の関係が内包されていることになってしまう。

 もし今の日本社会がそうであるなら、これは中々大変なことだ。

 弱い立場の人達を救う政治、というものが、ここ十年の間で、年々支持されなくなっている印象を受ける。

 現在は経済格差がどんどん広がっているから、本来なら、格差是正を人々は求めるはずなのに、そういう動きにはならない。「超富裕層は別世界だから仕方ない、でも自分達より『下』の存在達が得をするのは嫌だ」という人も増えている。

 社会がこの状態になると、超富裕層は富み続け、お金持ち達は笑いが止まらない。

 そして、自分より「下」が得をするのは嫌だ、と思っている人達も、今の経済政策では、超富裕層しか基本的には富まないので、結果的に少しずつ、少しずつ苦しくなっていく。

 日本の格差は限界に来ていると思う。

 多くの貧困を抜本的に急いで救うには、政治が最重要だと僕は思っている。でもその政治が変わらない。

 超富裕層の富、そればかりが増えていく。

ロシアのマトリョーシカ画像1
ロシアのマトリョーシカは、日本にルーツがあるという説もある。
ロシアのマトリョーシカ画像2
マトリョーシカは、とてもロシアっぽいというか、西ヨーロッパにはない感覚があると思う。

もくじ(アーカイブ)