6月23日は沖縄「慰霊の日」──
沖縄を二度と
戦場にしないために。
沖縄から15人の声
太平洋戦争末期の1945年6月23日、沖縄での日本軍による組織的な戦闘が終結したことから、6月23日が「慰霊の日」に定められました。この日、沖縄では犠牲者を偲ぶ追悼式が行なわれます。今年5月15日(沖縄の本土「復帰」の日)から5日連続で公開した「沖縄から15人の声」を改めてお読みください。
私はこう考える
目取真俊さん
作家
沖縄の島々からミサイルが発射され、反撃を受けたら、日本人の多くは「沖縄がやられたな」で終わりです。
軍事費を2倍にして少子化対策には財源がない。こんな国に明るい未来がありますか? 日本は戦争で滅びるのではなく、少子化が進み、政治・経済・文化的な影響力が薄れ、存在感を失って自滅すると思います。
18歳の時に初めて反戦デモに参加してから、自分なりに行動してきました。米軍基地が集中する沖縄は、1995年の米兵3人による暴行事件をはじめ、米軍の事件・事故が続いています。黙ってはいられません。
東京、大阪には米軍車両が国道を走り、オスプレイが頭上を飛び回る現実がない。平和は享受したいが基地負担は嫌だ、という人が大多数。憲法9条を守れ、の声は上げても、安保・基地問題には無関心です。
日本政府は沖縄に基地を押しつけることで、日本人の多くが日米安保について考えないようにしてきたわけです。しかし、ベトナム戦争やイラク戦争では、沖縄から出撃した米軍が住民を殺りくしました。日本人にもその責任があります。敵ミサイルの被害を云々する前に、自分たちの加害責任を考えるべきです。
沖縄の島々からミサイルが発射され、反撃を受けたら、日本人の多くは「沖縄がやられたな」で終わりです。沖縄人は日本人を信用してはいけない。「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を胸に刻み、自分たちの島を戦場にしないと決意して、日本人とは違う立場で考えないといけない。米軍や自衛隊が沖縄人を守るはずがないのです。
めどるま・しゅん●1960年、沖縄県今帰仁(なきじん)村生まれ。琉球大学法文学部卒業。1997年に『水滴』(文藝春秋)で第117回芥川賞を受賞。県立高校の国語教師を2003年に退職。学生時代から沖縄の反戦・反基地運動に参加。『ヤンバルの深き森と海より』『魂魄の道』(いずれも影書房)が刊行されている。
山里節子さん
八重山民謡伝承者
石垣は小さな島だけれども、先代が守り続けてくれた平和がある。次の世代に渡さないと申し訳がない。
日本は敗戦国の教訓として未来永劫の平和を誓ったはずなのに、たかだか80年でそれを忘れてしまいました。「敵基地攻撃能力」と聞いて、太平洋戦争の時代に戻るようで怖くて仕方ありません。
敗戦時に8つだった私も、戦時中はここ石垣島で日本軍に容赦なく労働をさせられました。大人たちも軍歌を歌って隊列を組み、勇ましく軍隊に協力したけれど、いざ戦闘になったら住民は見捨てられたのね。私は母と祖父をマラリアで失った。妹は防空壕の中で栄養失調で斃(たお)れ、海軍飛行予科練習生になろうと上京する兄の船は、米潜水艦の魚雷攻撃で沈みました。
今また、シェルターだ、やれ全島避難だと煽られて悪夢が甦ります。でも、避難先はどこで、どうやって暮すの? 島にはいつ帰れるの? 何も示されないなかで、住民を島から追い出す話ばかりです。
今年3月に陸上自衛隊石垣分屯地が完成し、ミサイルもやって来たけれど、私たち「いのちを守るオバーたちの会」は、この8年間ずっとスタンディングで抗議活動を頑張ってきたから、「撤去まで頑張ろうよ」と話してます。小さな島であっても、先代が守り続けてきてくれたもの(平和)がある。次の世代に渡す行動をしないと申し訳がない。
私たちの心と身体のなかには、苦しみに耐え抜いた先代の言葉や知恵が歌や踊りとなってちゃんと入っているのね。歌は平和を求めて祈ることそのもの。こちらは「丸腰の哲学」で、最後まで歌い続けたい。全国の皆さんは、沖縄に対して申し訳ないというような同情心ではなく、自分の足元が危ないということに気付いてほしいです。
やまざと・せつこ●1937年、石垣島生まれ。10代の頃、アメリカ国務省の石垣地質調査に2年間参加したことで英語をマスターし、沖縄初の国際線客室乗務員に。石垣島白保地区の空港建設阻止闘争の事務局を務め、開発よりも地域の自然と文化を守ることに情熱を注ぐ。八重山民謡の最高峰とされる「とぅばらーま」の伝承者として、平和を祈る新たな歌詞を次々と生み出している。「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」会長。
元山仁士郎さん
大学院生
「沖縄は黙ってろ」と言わんばかりに、政府は沖縄の思いを無視して戦争の準備を進めています。
カフェでレモンスカッシュを注文したのに、頼んでもないコーヒーを出されたら、「間違ってますよ」と言いますよね? しかし、ガン無視され、「つべこべ言わずに出されたコーヒーを飲め」と言われている。それが今の沖縄の置かれた状態です。「沖縄は黙ってろ」と言わんばかりです。
辺野古の埋め立てが承認された2013年以降、沖縄では2度の知事選と度重なる国政選挙で埋め立て反対を掲げる候補が当選しましたが、政府はいつも、「選挙には様々な争点があり、各候補は総合的な見地から選ばれたものだ」として民意を無視しました。それならば埋め立てに限った賛否を問おうと実施された2019年の県民投票はどうだったでしょうか? 投票率は52.48%で、投票総数の71.7%、43万人強が「反対」。圧倒的多数でした。ところが、その結果が出ても政府は沖縄の意思を無視し続けたわけです。
「敵基地攻撃能力」の保有も構図は同じ。タモリさんがテレビ番組で言った「新しい戦前」の最前線の一つは沖縄です。多くの県民が「沖縄を二度と戦場にさせない」「戦争準備を許さない」と拒んでいるのに、南西諸島では一方的に軍備が強化されている。当事者の沖縄には何の決定権も認めず、沖縄戦のときと同様、中央の決定にだけ従っていろ、と言うのでしょうか?
私は今、弁護士らと「国民発議プロジェクト」の活動を始めています。政党や議員を選ぶ通常の選挙だけでなく、米軍基地の是非や原発の是非などシングル・イシュー(単一の課題)についても意思表示できる国民投票制度を作り、「選挙の時だけ主権者」から「365日主権者」への転換を国レベルで実現したい。為政者の都合で当事者が切り離されていく構造は、沖縄だけではありません。いつでも誰もが政治に声を届けられる、民主主義をよりアップデート(更新)していかないと、この国の歪みは是正できません。
もとやま・じんしろう●1991年、沖縄県宜野湾市生まれ。一橋大学大学院法学研究科博士課程(法学・国際関係学専攻)。一般社団法人「INIT国民発議プロジェクト」共同代表、認定NPO法人「ヒューマンライツ・ナウ」アドバイザー。辺野古新基地の埋め立てをめぐる県民投票では、その実現を求める「『辺野古』県民投票の会」を2018年に立ち上げ、代表を務めた。論文に『米中接近における沖縄ファクターの検討―米国の対中作戦計画と中国の不干渉』(日本国際政治学会編『国際政治』第209号)。