第3回
漫画や映画の影響で子どもたちにも人気の『小倉百人一首』を、歌人・作家の東直子さんに毎回5首ずつ、現代語で詠み直していただきます。第3回は、藤原義孝・和泉式部・紫式部・清少納言・良暹法師の5首。深まりゆく秋と、近づく冬の気配を感じながら、特別なひとときをお過ごしください。
東直子さん
ひがし・なおこ/歌人、作家。1963年、広島県生まれ。96年歌壇賞受賞。2016年『いとの森の家』で第31回坪田謙治文学賞受賞。歌集に『春原さんのリコーダー』(ちくま文庫)、歌書に『短歌の時間』(春陽堂書店)ほか多数。
URL:http://www.ne.jp/asahi/tanka/naoq/
君がため
惜しからざりし命さへ
長くもがなと思ひけるかな
藤原義孝
死んでもいいと思ってたけど君のために
長く生きたい一緒にいたい
命にかえても会いたかった相手との恋が実り、その喜びを素直に表現した瑞々しい一首。歌に込めた願い通り長く生きて幸せな日々が続くように心から応援したくなるが、美貌の貴公子だった作者は疱瘡により二十一歳の若さで命を落とした。その事実を知ると、なおさら歌が切なくなる。
あらざらむこの世のほかの
思ひ出にいまひとたびの
逢ふこともがな
和泉式部
この世での思い出のためもう一度
生きてるうちにあなたに逢いたい
「あらざらむ」は、「自分はもうすぐ死ぬでしょう」といった意味。自分の死期を悟り、愛する人と最後にもう一度会って抱かれたいという切なる願いを詠んだ歌。誰に送ったかは分かっていない。情熱的な恋の歌を多く残した和泉式部の『和泉式部日記』には、敦道親王との恋愛が記されている。
めぐり逢ひて
見しやそれとも分かぬ間に
雲隠れにし夜半の月かな
紫式部
めぐり逢ってすぐに別れた友達は
雲に隠れる夜半の月ね
一見恋愛の歌のようだが、そうではない。詞書に幼なじみと久し振りに会ったが月と競うように帰っていった、と書かれていて、友達を詠んだ歌だと分かる。夜空を照らす月が雲の中にふっと隠れる神秘的な様子を友になぞらえている。作者の紫式部の『源氏物語』に登場する情感豊かな女たちを彷彿させる。
夜をこめて
鳥のそら音ははかるとも
よに逢坂の関はゆるさじ
清少納言
一夜君が鳥の鳴きまねしてきても
逢坂の関越えさせません
仲のいい藤原行成(藤原義孝の子)と夜更けまで話したのちに贈り合った歌。函谷関(かんこくかん)の故事を踏まえ、互いの教養のもとに才気あふれるやりとりがなされた。「逢坂の関」は、男女の仲になることを暗示している。清少納言の言葉のセンスと頭の回転の速さを物語る一首。
さびしさに
宿を立ち出でてながむれば
いづくも同じ秋の夕暮れ
良暹法師
さびしくてふらりと外へ出てみたら
どこもおんなじ秋の夕暮れ
「宿」は、自分が住んでいる家のこと。なんだか寂しくて家から出てみたが、結局どこに行っても寂しい秋の夕暮れの風景が広がっていた。誰もが同じような寂しさを抱えているのだという感慨を得た。寂寥感と共に、一人でいるからこそ得られる静けさやおだやかさも感じられる。
出典
『現代短歌版百人一首 花々は色あせるのね』
東直子著 春陽堂書店